ZARDの坂井泉水さんと倉木麻衣さんって、とても似た雰囲気をお持ちの感じがしますが、坂井さんの生前から2人はある程度関わりがあったようです。
坂井泉水さんと倉木麻衣さんにどんな関わりがあるのか調べてみました。
Mステで奇跡のデュエット
2月1日の「ミュージックステーション3時間スペシャル」でハリウッドの最新技術を駆使して、ZARD・坂井泉水さんの映像と倉木麻衣さんの歌唱映像とを組み合わせてデュエットが披露されるようです。
その記事の中でこんな文章を見つけました。
2007年5月に惜しまれつつもこの世を去った坂井。彼女の楽曲を聴いて育った倉木はデビュー後に坂井と同じレコード会社に所属し、親交を深めていた。2002年には坂井が倉木の神奈川・横浜アリーナ公演を訪問し、そのときにかけられた言葉は今も倉木を勇気付けているという。
引用:音楽ナタリー
「そのときにかけられた言葉は今も倉木を勇気付けている」ってどんな言葉なのか気になりますね。けど調べても分かりませんでした。
そこで、それ以外でZARDの坂井泉水さんと倉木麻衣さんにどんな関わりがあったか分かるような情報を調べてみました。
坂井泉水と倉木麻衣との関わりとは?
坂井さんと倉木さんは同じレコード会社だということが先ほども出てきましたが、そのレコード会社とは「Being」(ビーイング)のことです。
ビーイングには他にも大黒摩季さん、T-BOLANといったビッグアーティストも所属しています。
倉木さんが坂井さんに初めて会ったのは1999年、倉木さんデビューの3か月前だったそう。
坂井泉水さん没後、ZARDデビュー25周年を記念して作られた特設サイトである「Message for ZARD 〜25th Anniversary〜」には、このような倉木さんの言葉が寄せられています。
初めて坂井さんにお会いしたのは、ZARD初の船上ライブの時だったのですが、当時私はまだデビュー前で、一つ一つの言葉を丁寧にそして大事に歌う姿に感銘を受けたことを今でも覚えています。
また、坂井さんの描く詞の世界観や表現も本当にone and onlyで、 尊敬する唯一無二の先輩です。
25年経っても色褪せないZARDの作品を通して、素晴らしい楽曲はどんな時代でも心に寄り添い続けてくれると今改めて実感しています。
そして、これからも…心からの尊敬と感謝を込めて。
一つ一つの言葉を大切に歌う姿に感銘を受けた、ということです。
そして初めて会ったのが「ZARD初の船上ライブの時」ということですが、これが調べてみると1999年に行われているものでした。
ZARDの船上ライブは抽選形式で、累計で300万枚を売り上げたベストアルバム『ZARD BEST The Single Collection 〜軌跡〜』の購入者の中から、抽選に当たった600名だけを招待するという形だったそう。応募総数は100万を超えたといいますから、とんでもない倍率になります。
そして8月31日、そのクルーズ客船「ぱしふぃっくびいなす」上で行われた単独ライブの楽屋で倉木さんは坂井さんに会ったそうです。
しかしとんでもなく倍率が高いですから、たまたま抽選に当たったっていうのは出来過ぎてる感じがしますよね。関係者として通してもらったということでしょうか。
デビュー前でも既にデビューは決定して関係者扱いだったでしょうから、その可能性も高い感じがします。
そして坂井泉水さんはガンの闘病中の2007年5月26日に、病院のスロープから3メートル下に転落して後頭部を強打、脳挫傷のためにその翌日の27日に息を引き取りました。40歳でした。
6月26日、東京・青山で「ZARD/坂井泉水さんを偲ぶ会」が関係者向けの音楽葬として催され、大黒摩季さんや織田哲郎さん、池森秀一さん、森友嵐士さん、浅岡雄也さん、TUBEらが列席しました。この時B’zの松本孝弘さん・稲葉浩志さん、巨人の終身名誉監督・長嶋茂雄さんとともに、倉木麻衣さんは追悼コメントを寄せています。
坂井泉水と倉木麻衣との関わりまとめ
意外とお二人の目立ったエピソードのようなものは見つけられなかったですね。
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なおさらMステでするお話は貴重なものになりそうです。
気になる人はチェックした方が良さそうですね。
以上、最後までお読みいただきありがとうございました。