ヤクザになる理由とは何か?環境に焦点を当てた犯罪社会学的著作

廣末登の『ヤクザになる理由』は、犯罪社会学の視点からヤクザになる人間の家庭環境・地域環境などを分析した著作である。

著者の廣末によれば、犯罪社会学はしばしば「犯罪心理学」と混同されてしまうが、あくまでも犯罪者を社会学的視座から分析するもので、『FBI心理分析官』のようなものとは異なる。

廣末は元ヤクザへの取材と学術的な研究成果を照らし合わせながら、人がヤクザになる理由について分析している。

廣末登の『ヤクザになる理由』

ヤクザや元ヤクザに関するエピソードトークを中心にした著作を予測して『ヤクザになる理由』を読みだすと、意外な内容の固さに面食らうかもしれない。

先行研究

例えば第五章の「ギャングになる理由はどう理論家されてきたか」では、海外の先行研究を取り上げている。

ジョン・ヘーガンの「資本の再組織化理論」は、崩壊した地域社会で逸脱的なサブカルチャーが形成され、それに順応する過程で非行・ギャングがその地域で一般的になる、と考える。「女性は失職した男性とは正式な婚姻関係を持たず、もっぱら生活保護に依存した母子家庭がその地域の家族形態の主流になる」という観点はなるほどと思う。

リチャード・クロワードとリロイド・オーリンの「分化的機会構造理論」では、その社会での合法的な目標達成が制限されている状況では、人は非合法の目標達成に望みを託す、その非合法の目標達成のパターンは地域のサブカルチャーによって決定される、としている。

ウォルター・ミラーの「焦点的関心理論」では、崩壊したスラムでは一般社会と異なる独自の下層階級文化が育ち、そこでの犯罪行動は、下層階級文化の価値や伝統への順応であり、必ずしも一般社会への反抗を意図しないと考える。

自分たちのルールに従ってゲームをしていたら、結果的に一般社会への反抗・犯罪になってしまった、ということだ。

「焦点的関心」とは下層階級文化に見られる6つの特徴のことで、①タフネス(頑強さ)、②スマートネス(抜け目なさ=他人を出し抜く能力)、③危険をあえて冒すことに対する満足感、④運まかせ、⑤他人から束縛されない自由、⑥慢性的な闘争、を指している。

ハワード・カプランの「自己評価回復理論」では、一般社会で与えられなかった自尊心を回復するために、非合法な集団に加入するとしている。

こうした部分を読むと、興味深いとも思う一方で、用語や理論や切り口が学術的すぎて読みづらいところもある。

元ヤクザたちの証言

しかし、著者の廣末はけして机上でだけこうした問題を考えているわけではない。

『ヤクザになる理由』に読み応えがあるのは、しばしば元ヤクザの生々しい証言が飛び出すからだ。

この元ヤクザたちは、廣末登の前著の『若者はなぜヤクザになったのか――暴力団加入要因の研究』でも取材の起点になった、関西の元ヤクザ幹部が運営するキリスト教教会の関係者である。

元ヤクザというだけあって、色々な癖のある、波乱万丈な人生を送った人たちがいる。

こんな証言をする人もいる。

で、児相に行って、「おい、兄ちゃんや、帰ったで」言うても、妹はカーテンの陰に隠れよるんですわ。「なんやねん、お前」言うて、カーテンめくったら、ショックで言葉なかったですね。小学校五年生の妹の腹が大きいやないですか。「なんや、おまえ、どないしたんや」と問い詰めますと、妹は泣きながら「聞かんといて」言うてました。聞かんわけにいきませんがな、とうとう口割らせましてん。まあ、あの時が、最初に人に殺意抱いた瞬間やったですわ。おれを虐待したオッちゃんにやられた言いよりますねん。
もう、アタマの中、真っ白ですわ。出刃持って家に帰りましたら、ケツまくって逃げた後やったです。あの時、もし、そのオッちゃんが家に居ったら、間違いなく殺人がおれの前歴に刻まれとった思います。

しかしこの人とのエピソードはそれだけでは終わっていない。

実を言うと、筆者は、彼とは決していい別れ方をしていません。彼とその内縁の妻から、金銭的損害を被ったからです。最後に会ったとき、彼は、覚せい剤でフラフラでしたが、私をハグして「先生、すんません……ありがとう」と、一言発しました。筆者も、流れる涙を止めることができませんでした。
この身の上話が、脳裏をよぎり、彼ら夫婦が、これから直面するであろう世間の逆風や荒波を思うと、「たかが数万円くらい、どうということはない、ささやかな餞別や」と思ったものです。

覚せい剤

覚せい剤、スラングで「シャブ」と言われるものについても話が出てくる。

ヤクザと覚せい剤は微妙な関係にある。多くの組が表向きは「シャブはご法度」と禁止している一方で、ヤクザの重要な収益が覚せい剤であることは周知の事実だ。

元ヤクザに言わせると、ヤクザには覚せい剤をせざるえない場面が二つあるという。

一つは部屋住み(ヤクザになりたての者が組の雑用をする時期)で、夜に外出した親分を車の中で待つ時など。この時、部屋住みの者は眠くて仕方がないので、つい覚せい剤に手を出してしまいがちだという。

もう一つは、ヤクザの先輩に勧められた時。組に命を預けたという手前、怖いとはいえずに手を出してしまうらしい。

それ以外にも、元博徒の証言として、組をやめたくなった時にあえて覚せい剤に手を出し、「シャブでボロボロだからやめさせてくれ」と破門してもらったという話もある。

ヤクザになる理由とは?

結局、著者の廣末は、人がヤクザになる理由として二つの仮説を提示している。

〈社会的・文化的資本が撤収された家庭で発達した者が、非合法的な機会構造内で地位を求めるとき、暴力団に加入する傾向がある〉

〈一般社会において自尊心の低下を経験した者が、新たな帰属集団において自尊心の回復を希求するとき、暴力団に加入する傾向がある〉

人がヤクザになる理由は単純なものではないだろう。それでも、その理由を単純な形に要約しようとしたなら、このようになるのかもしれない。

要するに、崩壊した家庭で生きてきた者が非合法な社会で高い地位を得ようとするとヤクザになりがちだ、一般社会で自尊心の低下を経験した者が自尊心を回復しようとするとヤクザになりがちだ、という当たり前のことを書いているに過ぎない。

もっとも『ヤクザになる理由』はそのような結論として述べる部分で面白いのではない。元ヤクザへの聞き取りなどの記述、それへの分析などが一番の読みどころだと思える。

例えば、元ヤクザの子供時代における家庭での躾を調査して、「ベルトで叩かれた」「一度、酷く怒られて針金で納屋に吊るされた」「悪いことしたら(理由も聞かされずに)仏壇の前に座らされた」といった証言が上がる。

それに対して「躾というより懲罰であり、躾の目的ではなく手段といえる」「そのために彼らはその懲罰の原因を明瞭に述べることはできず、単なるエピソードとして記憶している」という指摘は鋭い。

こういう人におススメ

最初に書いたように、『ヤクザになる理由』は学術的な本であるから、堅苦しい文体・用語が頻出して読みづらいところもある。

しかし『ヤクザになる理由』が、単に学者が机上でヤクザ心理やヤクザの背景を社会学的に分析したものと異なるのは、著者の廣末登自身が不良だったせいだ。

廣末はヤクザにはなっていないし、少年院にも入っていないが、大学も30歳で卒業しており、不良に寄り道したことが取材等で元ヤクザの人間に近づきやすくしているらしい。

著者の廣末が不良の道から卒業する切っ掛けになったのは、「今度は少年院」と言われた警察署内で、腰縄をつけられて泣きながら連行されるリーゼントの若者を見たことだという。

ヤクザになる人間の家庭・学校など社会的背景に興味がある、しかし不良についての実地の経験に欠けた人間の著作は読む気がしない、という人にはおススメできるかもしれない。