この記事では自分が読んで面白かったアウトロー系の読み物をご紹介します。
ただし、アウトロー系といっても主役がアウトローではないものも含むので、「ヤクザや不良(=アウトロー)が登場する本」という表現にしました。
もしかしたら微妙にチョイスが変わっているかもしれません。
本当にガチで書くので、いざ読んでみて「え・・ぜんぜん面白くないんですけど・・」ってなっても責任は取れません。だから真に受けて買う場合は注意してください。
ヤクザや不良が登場する本で面白かったもの9選
『岸和田少年愚連隊』(小説)
最初に選考が変わっていると断りましたが、強いて誰にでも勧めやすいものを挙げるとすれば、この中場利一の小説『岸和田少年愚連隊』あたりになると思います。
『岸和田少年愚連隊』は著者・中場の自伝的小説で、主人公の「チュンバ」は著者・中場の苗字を麻雀読みしたものです。
そして同書は、その主人公・チュンバやツレの小鉄、アキラといった不良少年の物語を綴った作品です。
率直に言って、不良モノで中場利一に比肩するような完成度の高い作品を書いた作家はそうそう存在しないと思います。
例えば、元ヤクザの作家・沖田臥竜の本を読んでいると、「たぶん中場の影響だな」と思うような文が出てきます。
そしてもちろん沖田には沖田の面白さはあるのですが、どうしても両者を比べてしまうと沖田の方が各段に見劣りしているように感じられてしまいます。
これは沖田が駄目というより、中場には不良の喧嘩話・犯罪話でも笑いに変えてしまえるような天性の筆力とユーモアのセンスがあるからです。
『岸和田』の活字でも生き生きとした躍動感を感じさせる関西弁のトークは絶妙です。
また、なぜか犯罪の話でもコミカルにできてしまう中場の筆力は、次に扱う浅田次郎とも共通しています。
グダグダ書きましたが、『岸和田少年愚連隊』は一言でいえば「ただ面白い」。これに尽きます。
唯一残念なのが、表紙が気持ちの悪いアニメタッチの絵になってしまったこと。
なぜそんな余計なことをしてしまったのでしょうか。
『極道放浪記』(小説)
『岸和田少年愚連隊』ほど有名ではありませんが、浅田次郎の『極道放浪記』(全2巻)も隠れた名作です。
彼はアウトローをユーモアを交えながら描くことがあるのですが、そのような作風の原型となったのが、浅田自身の若き日の生活体験から出ています。
『鉄道員』(ぽっぽや)の浅田次郎が二十代の頃、無頼の生活を送っていたことをどれだけの人が知っているでしょうか。
実はこの『極道放浪記』は、事件屋・詐欺師あるいはヤクザの企業舎弟のようなことをしていた若き日の浅田の自伝的な小説なのです。
浅田のこうした作品は、近年になると『鉄道員』(ぽっぽや)、『壬生義士伝』などの正統派作家路線に押されて鳴りを潜めています。
そのため、浅田にそうした後年のイメージしかない人が『極道放浪記』を読むと、余計に度肝を抜かれることでしょう。
浅田が後年にこうしたイメージから脱却できたのは、当時からドロドロした筆致でなくユーモラスに裏社会を描いていたことも一因だと思います。
しかし、そうでなければ浅田次郎は「アウトロー作家」のカテゴリーに分類されても仕方のないような生活を送っていた人物だったというのが同書を読むと分かります。
ただし、彼自身は腕っぷしの強いタイプではなく知能犯タイプで、拳銃を使うのが抜群に上手かったバディ(相棒)の「J君」と組んで仕事をすることが多かったそうです。
いずれにしろ、同書を読んで肌に合った人は、『初等ヤクザの犯罪教室』など、浅田の同系統の著書も賞味してみるといいと思います。
『極道辻説法』(人生相談)
『極道辻説法』(全3巻)は天台宗の大僧正だった作家・今東光の人生相談集で、雑誌『プレイボーイ』に連載されていたものをまとめたものです。
今東光は僧侶になる前は元々作家をしており、川端康成の親友でもありました。
面白いのは彼は若い頃はかなりの不良で、喧嘩ばかりしていたということです。
『極道辻説法』はあくまで人生相談がメインなので、その種の話が常に出るわけではありませんが、時たま出るそうした話は非常に面白いです。
例えば、喧嘩がやたら強かったという今東光の従兄弟の話として、こんなものがありました。
ある時、ヤクザ者と喧嘩をした今東光の従兄弟は、そのヤクザ者の指を1本ずつ竹筒に入れて、片手の指をすべて折ってしまいます。
そのヤクザは従兄弟から金を取ろうと訴えたのですが、裁判中に金額を提示された従兄弟は、すっくと立ち上がるとこう言ったといいます。
「金額は2倍払う。その代わり、もう片方の手の指もすべて折らせてもらう」と。
ヤクザ者はあわてて訴えを取り下げたそうです。
『ギャングースファイル』(ルポ)
次にご紹介するのは、漫画『ギャングース』の原案者である鈴木大介のルポ『ギャングース・ファイル 家のない少年たち』です。
同書には鈴木が取材した不良が何人も登場しますが、基本的に龍真(仮名)というタタキ(強盗)専門の不良から聞いた生い立ちやシノギの話が中心になって展開されます。
漫画のモデルになった人物が何人か登場するので、「サイケ」や「スギ」といった人物がどのように描かれているのか、漫画ファンにはその辺が見どころでしょうか。
また、漫画の『ギャングース』を読んだ人は、欄外に短い解説が書かれていたのを覚えているかもしれません。
あれを書いていたのが確か鈴木大介だったと思うのですが、私がそうだったように、ごく稀に「漫画そのものより欄外の解説の方が面白かった」という方がいると思います。
そういう方は絶対にこっちを読んだ方が面白いです。
私は同書よりも先に漫画の方を「ブログのネタになるかもしれない」と思って読んでみたのですが、漫画『ギャングース』はどうしても好きにはなれませんでした。
最大の理由は、主人公のコミカルでポジティブなデブ「カズキ」に、いささかもリアリティを感じなかったからです。
ところが、ルポ『ギャングースファイル』の終わりにある作家・辻村深月による解説ではその種明かしもされています。
というのも、あるインタビューで鈴木大介が語ったことによれば、不良と言うのは不運な生い立ちや環境のせいで心が折れてなるものなので、実際には「カズキ」のようなポジティブなキャラクターは存在しないそうなのです。
つまり、漫画原案者の鈴木大介が意図して込めたある種の夢・希望が、あの「カズキ」というキャラクターのリアリティの無さ(フィクション性)には秘められていたというのです。
そして私には、同書の後書きに登場する不良「辻原君」の言葉も重かったです。
彼は刑務所の中で自分の人生を変えるためにはどうすればいいか自問自答し、自身が悪環境の中で育ったにも関わらず、それは「誰かのせいにしないこと」だと結論づけたといいます。
総括するなら、同書は著者・鈴木大介のこの問いに対する答えといっていいでしょう。
”不良”の素顔を知っているだろうか。
『お父さんの石けん箱』(エッセイ)
次は山口組三代目組長・田岡一雄の娘の田岡由伎の『お父さんの石けん箱』。
田岡一雄について書いた本はたくさん存在すると思いますが、もっとも近くで過ごした娘の視点で田岡一雄の素顔を知ることができます。
本職の人間は「所作」という言葉・概念を非常に重視しますが、同書で私がもっとも関心したことの一つは、田岡が少なくとも3種類の礼(お辞儀)を使い分けていたと書いてあること。
ヤクザ屋さんへの礼は、腰をかがめながら、目だけは相手の目からそらさない。堅気さんの人には、目を下へ向けたままで、静かに腰を折るようにする。私の友達とか兄貴の友達には、礼をしてニコッと笑い、笑いながら顔を上げていく。
さらに田岡が「動物的とも思えるほど人の気持ちの分かる人だった」という記述も面白いです。
田岡一雄は家に遊びに来る娘の友達と普通に話をしたそうで、同書にはそうしたシーンの描写も多いのですが、その一つにこんなエピソードがあります。
ある時、娘の友達が婚約したと聞いて最初は喜んだ田岡一雄でしたが、彼女のわずかな目の動きで内心乗り気でないことを見抜き、「いややったら、やめたらええんや。やめたら」と言い放ちます。
次に会った時、彼女が婚約を破棄したと聞いた田岡は非常に上機嫌だったそうです。
『仕事で使えるヤクザ親分の名言』(名言集)
お次に山平重樹の『仕事で使えるヤクザ親分の名言』をご紹介します。
同書は色々な極道の名言を取り上げた本で、計50ほどの言葉を載せています。
本当に「仕事で使える」かは疑問の出るところですが、シンプルに面白い本ではあります。
基本的にはヤクザ物にしては誰にでも読みやすいライトな本なのですが、私がこの本を取り上げたのは、かつて、この中で取り上げられている言葉に強く心を打たれた経験があるからです。
それは山口組四代目組長・竹中正久襲撃チームのリーダーだった長野修一(現在は受刑中)が、命がけの襲撃前に書いたという言葉です。
男として死にたく思う。我が死の果てに仏や神もあらまほしく思う。
『鉄コン筋クリート』(漫画)
唯一の漫画になりますが、松本大洋の『鉄コン筋クリート』(全3巻)もいいです。
この作品は架空の街「宝町」を舞台にしたもので、主人公は独立独歩で生きるクロとシロという二人の少年なのですが、同作には鈴木とその舎弟の木村というヤクザが出てきます。
個人的に、フィクション作品で出てくるヤクザでもっともカッコいいのが鈴木で、この鈴木と木村の関係がヤクザの理想像のように感じることがあります。
ちなみに、同じく松本大洋が原作で松田龍平・新井浩文が主演で映画化された『青い春』には、まだ野球部員である木村と、彼を鈴木がスカウトする場面が登場します。
しかもその鈴木の役は、大宮の伝説のカラーギャング・鬼丸(故人)が演じているのだから、かなり熱いです。
『棒の悲しみ』(小説)
『棒の悲しみ』はハードボイルド系作家・北方謙三の小説です。
主人公の田中は、親分に「お前は棒みてえだな」と形容されたヒョロッとした体格の極道。
物語は田中の親分の死の前後を扱うものなのですが、一風変わっているのが、この主人公のヤクザが親分のことを深く憎んでいるということ。
ヤクザが疑似家族制といったところで、実際には金や権力の方が優先度が高くなって同じ組織の中で争ってしまうこと多いと思います。
だから、この小説で主人公が親分を憎んでいたり、他の身内と反目だったりするのはとてもリアリティがあります。
これは(Vシネが嫌いというわけではないですが)Vシネ系のヤクザのリアリティの無さとまさに対極にあるものです。
またヤクザ的な本音と建て前・腹の探り合いを生々しく描いている点でも特徴的です。
そして主人公の田中は時に殺意すら沸くほどの憎しみを持っているのですが、そうした露骨に憎しみを表現することはなく、ただ親分が自然に病気で死んでいくのを見送ります。
私がこの小説で一番感動したのは、この田中が死んでいく親分を見送るシーンです。
田中は病院で意識不明で眠っている親分の手を握り、離すことができなくなります。
気付くと彼は無意識に涙を流していました。
この手が、俺を殴った。俺から金を吸いあげた。そしてなにか、俺が気がつきもしないことを、してくれたのかもしれない。
他にもこんな言葉にもグッときます。
荒っぽい連中が、かっとして人を殺すたびに面倒を看ていたら組は潰れる、と親分(おやじ)ははっきりと言った。
かっとして人を殺すような人間だから、やくざ者になってしまった。俺はそう思っている。やくざ者になってしまった人間に、親分(おやじ)はなにを求めていたのか。
私はこの『棒の悲しみ』を一度ブックオフで売ったのですが、こういった場面を思い出してもう一度読みたくなり、結局また購入して未だに手元にあります。
個人的には、この記事の紹介作品の中でどれか一つというなら、この『棒の悲しみ』を選ぶかもしれないというほど私は好きな作品です。

『実話ナックルズ』(雑誌)
最後にご紹介するのは、面白かったというより仕事(ブログネタ)の絡みで驚かされたという感じのものですが、アウトロー誌『実話ナックルズ』をご紹介します。
本というより雑誌なので一番最後に回しました。
こういうブログをやると、今まで全く注目しなかった人物や雑誌に注目するようになりますが、その一つがアウトロー誌『実話ナックルズ』です。
やはりナックルズのアウトロー系への取材力には目を見張るものがあります。
2019年2月号の「歌舞伎町5人衆」工藤明生と藤井学の対談なども驚きましたが、個人的に一番驚いたのは、SNSの動画拡散で有名になった前橋の半グレ・ブラットに取材した2019年11月号です。
「え?そんなこと(ブラットへの取材)が可能なの?」と度肝を抜かれました。
「モチはモチ屋」(=アウトローへの取材ならアウトロー専門の雑誌記者)というのは至言だな、と思った次第です。
『実話ナックルズ』2019年11月号(半グレ・ブラット取材号)
(おわり)