ウィリー・ウィリアムス死去!死因は?極真空手家「熊殺し」動画あり

極真空手家で「熊殺し」の異名を持ち、極真の世界大会では上位入賞、アントニオ猪木さん、前田日明さんらと対戦の経験があったウィリー・ウィリアムスさんが死去したというニュースがありました。

ここではウィリー・ウィリアムスさんの業績と死因についてまとめました。

 「熊殺し」の異名を取った米国出身の空手家、ウィリー・ウィリアムスさんが今月7日、うっ血性心不全のため米国で死去していたことが10日、分かった。67歳。オランダのメディアが報じた。1976年公開の映画「地上最強のカラテ Part2」ではヒグマと戦って世界を驚かせ、80年には「格闘技世界一決定戦」としてプロレスラーのアントニオ猪木(76)とも対戦した。

巨熊に何度押し倒されても、再び立ち上がって応戦する。映画「地上最強のカラテ Part2」で、ウィリーは「熊殺し」の異名を取った。

1980年には「格闘技世界一決定戦」でアントニオ猪木と対戦。国民的人気を誇ったプロレスと極真空手のトップ選手の対決は大きな注目を集めた。ウィリーの突き、蹴りと猪木のアリキックが交錯。結果は両者リングアウト(引き分け)だったが、世界の格闘技ファンを熱狂させた。

極真空手黎明期の名選手にして名伯楽の大山茂氏(故人)の猛特訓を受け、突きや蹴りを武器に活躍。猪木戦の後もたびたび来日し、総合格闘技のリングなどに参戦した。2000年に現役を引退した後は、空手のインストラクターや木彫り職人として生計を立てていた。近年は心臓病を患っていたという。

引用:サンスポ

ウィリーさんの死因は心臓の病気である「うっ血性心不全」でした。

極真空手をやめてからはバスの運転手をしたこともあり、格闘家を完全に引退してからは木彫り職人をしていたとも言われています。

ウィリーさんは3~4年前の交通事故で一時期動けない状態にまでなっていましたが、空手を指導できるまでに回復していたそうです。

一緒に稽古したこともあるキックボクサー・藤原敏夫さんは「キレると気性が半端なかったけど、純粋で真面目な男でした。ウィリーが送ってくれた元気に稽古をしている写真を見て、米国に行ってビックリさせようと思っていたのに…」とのことです。

ウィリー・ウィリアムスさんは1980年2月に東京・蔵前国技館でプロレスラーのアントニオ猪木さんと対戦、92年7月にはリングス時代の前田日明さん(60)とも対戦しています。

ウィリーさんの訃報を受け、前田日明さんは「450キロの熊と組んで押し倒されなかったんだから、あり得ないですよ。試合をした時は『まさかウィリーと試合をするなんて』って信じられなかった。当時でもまだ馬力ありましたね」と語りました。

全盛期には実質的にもっとも強い極真カラテ家ではないかとも噂されました。

動画

熊と戦うウィリー・ウィリアムス

この時の熊は牙が抜かれていたという話もあります。

しかしそれが本当だとしても馬力で負けていなかったのが間違いないので、前田日明さんの言葉通り、凄まじいパワーがあったことになります。

極真 W.Williams (ウィリー・ウィリアムス)

三瓶啓二とウィリーウィリアムス

ウィリー・ウィリアムスさんが不可解な反則(袖つかみ)で負けたウィリーさんと三瓶啓二さんの試合は八百長だったと言われています。

一説によれば、ガチンコでやっては日本人が負けることから、館長の大山倍達が指令を出して、ウィリーの師匠の大山茂や審判の添野義二と仕組んで負けるようにしたそうです。

激突!暴走! 三瓶啓二 VS ウィリーウィリアムス  Keiji Sanpei VS Willie Williams kyokushin  極真空手

試合前に大山館長は「絶対に日本人が優勝しなければいけない。外国人に負けてはいけない。チャンピオンは日本人の中から出なければいけない」と話し、添野義二に「いいか、三瓶(啓二)とウィリー・ウィリアムスの試合でウィリーが三瓶の襟を掴むから反則負けにしろ。これは館長命令だ」と厳命したそうです。

元極真会館某師範は「三瓶選手は日本の選手のなかでは体も大きくて根性もある。確かに日本の選手のなかでは強い。だがウィリーには絶対負ける、ウィリーは強すぎる」と証言したといいます。

アントニオ猪木とウィリー・ウィリアムス

格闘技世界ヘビー級選手権 熊殺し W・ウィリー VS 燃える闘魂 A・猪木

前田日明とウィリー・ウィリアムス

格闘王 前田日明 VS 熊殺し ウィリー・ウイリアムス

最後に

ウィリー・ウィリアムスさんのご冥福をお祈りいたします。

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