渡辺五代目の引退理由は本当に司忍組長のクーデターか|盛力健児・太田守正・溝口敦らの見解

山口組の五代目組長だった渡辺芳則の引退理由をめぐっては、元直系組長の盛力健児による『鎮魂 さらば、愛しの山口組』の暴露によって、司忍六代目組長を中心としたクーデターだったといわれています。

しかし一方で、2008年10月に除籍処分を受けて山口組を去った元直系組長の太田守正(元太田興業組長)は、これに著書の『血別 山口組百年の孤独』で反論しているといいます。

いったい渡辺五代目の引退理由の真相はどこにあるのでしょうか。

調べたところ、やはり渡辺五代目の引退は、司忍組長ら当時の執行部のクーデターによるものだったという公算が高いようです。

この記事では渡辺五代目の引退理由について、盛力健児の『鎮魂』での見解、『血別』の著者の太田守正の見解、さらには同業の鈴木智彦に「山口組に関する記事でどこまで切り込めるかは溝口敦が書いたか、それ以外の人が書いたかで決まる」とまでの言わしめたヤクザライター・溝口敦の見解までご紹介します。

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渡辺五代目の引退理由は本当に司忍組長のクーデターか

盛力健児『鎮魂』の記述

盛力健児の『鎮魂』では、渡辺五代目は自らの五代目就任にも功労のあった組織のナンバー2であった宅見勝を、自ら暗殺指名を出して始末した証拠を掴まれ、司忍らに追い詰められたといいます。

その記述によれば、神戸の山口組総本部の奥の部屋で、司忍若頭、高山清司・二代目弘道会会長、元宅見組の若頭で暗殺後に二代目宅見組組長の入江禎(いりえ ただし)の3人と、それにくわえて当時の執行部のメンバーが渡辺五代目を取り囲んで引退を迫ったとしています。

その「クーデターの真相」と題された部分での記述はこのようになっています。

前にも話したとおり、五代目は中野(太郎・中野会会長)が宅見(勝・若頭)を殺すのをどこかの時点で”了承”しとった。弘道会はその証拠をつかみよったんや。その証拠が(五代目と中野との会話を録音した)テープなんか、それとも他のもんなんか俺には分からんよ。けど動かぬ証拠であったことは間違いない。

そして司は、その(五代目による)”子殺し”の証拠を五代目に突きつけた後、入江のほうに向き直ってこう言うたんや。

「親の仇は取らなあかん!」と。

この司の一言で決着がついた。五代目は観念しよったんや。

引用:盛力健児『鎮魂 さらば、愛しの山口組』

ちなみに司忍組長らが引退を迫る大義名分となった渡辺五代目による宅見勝暗殺については、実際に暗殺部隊の組員を出した中野太郎の『悲憤』にも書かれています。

中野太郎の『悲憤』出版の経緯に関する噂は奇怪で、山平重樹の『最強武闘派と呼ばれた極道 元五代目山口組若頭補佐 中野会会長 中野太郎』では、中野太郎の長男は、父は何も言っておらず、それどころか『悲憤』出版の事実すら知らなかったとしています。
しかし宅見勝の暗殺が渡辺五代目の直接の指示であったか、それとも渡辺五代目は単に了承していたにすぎないかまでは不明です。

『決別』の著者・太田守正の見解

そしてこのような盛力『鎮魂』での記述に反論しているのが『決別』の著者・太田守正です。

太田守正は2008年10月に除籍処分を受けた、山口組の元直系組長で、有力組織であった元太田興業組長だった人物です。

太田元組長は『鎮魂』について、インタビューで「まるで事実と違う」「山口組にいた者なら、何行か読んだだけで『ああ、これはウソやな』って分かる」といったことを主張しています。

太田守正は盛力の人物評として、「4つ下だが先輩なので顔を立てていた」「当時はまともで、渡辺五代目、初代健心会会長の杉秀夫と並んで『山健組の三羽ガラス』と呼ばれていた」としていますが、一方で長い懲役に行ってから人が変わってしまったとしています。

おかしな人間と付き合うようになり、特に「ミナミの帝王」のモデルを自称する和田アキ子の叔父は最悪で、嘘ばかり言う詐欺師で手形を勝手に回されたり若い衆をこき使われたそうです。

盛力にも付き合わないように忠告したものの、聞く耳を持たなかったといいます。

そして具体的に、太田元組長は次のような『鎮魂』の記述を否定しています。

  • 太田元組長を含め11人の直系組長が処分されることになった08年の会合で謀反の企てがあり、太田元組長が「司忍六代目と髙山清司若頭を殺す」と言ったとされているが、そのような事実はない。(ただしその場の雰囲気で物騒な話がされたのは事実)
  • 渡辺五代目に引退を迫ったとするクーデターは盛力の作り話。その時、盛力は中国の青島にいたのにまるで見てきたように語っているのはおかしい。

さらに盛力が渡辺五代目を「渡辺」と呼び捨てにする神経は理解できないとも語っています。

太田元組長は『血別』について、「自分が体験した真実のみ書くことを心がけた」としており、伝聞や推論は避け、「ある親分」といった表現もせずに実名を書くようにしたとしています。

このように、太田元組長は盛力健児『鎮魂』での「クーデター説」を全面的に否認しているようです。

溝口敦は「クーデター説」を肯定

一方で溝口敦は『月刊現代』06年1月号に『六代目山口組・司忍 武闘派知将の素顔』という記事を書いており、そこにはやはり五代目山口組組長・渡辺芳則の引退経緯として次のような記述があったそうです。

若頭補佐など山口組の執行部に近い筋からは、司六代目を最終的に決めた話し合いは執行部側の一方的な攻勢で決着を見たとされる。

渡辺前組長は執行部側に『あんたは人気が悪すぎる。即刻辞めなはれ』と、面と向かっていわれたらしい。側で聞いていた山健組系の有力組長が『親分に向 かって、なんということを言うんや』と口を挟んだところ、執行部のひとりに『直参(直系組長)でもない者が余計なこというな。引っ込んでろ』と一蹴され た。側近はこれで口を閉ざした。渡辺前組長は『引退してもええ。そのかわり一年でも二年でもわしを総裁に着けてくれんか。じゃないと殺されてまう』と土下座せんばかりに頼んだそうです

引用:長男刺傷事件の背景

この記事に関して、最後の渡辺五代目が「土下座せんばかりに頼んだ」という記述は特に関係者に問題視され、山健組内兼國会の組員である永野一雄は溝口に「訂正せよ」と迫ったといいます。

しかし溝口敦は記事について、

  • 五代目から六代目組長への交代はクーデター的に行われたと兵庫県警も認めている。
  • さらに大阪読売新聞も「クーデター」と報じている。
  • さらに自身の得た内部情報では密室の詳細なクーデター劇が伝えられており、これでも記事は具体的な人名を出さないなど内容を抑えている。

などとして反論、即時の訂正を拒否しました。

その結果として、2005年1月に溝口敦の長男の刺傷事件が起きたともいわれています。

この事件の論功行賞だったのか、兼國会・山本國春の若衆だった永野一雄は、事件後に山健組の直参になり、その後は井上邦雄組長付きになったそうです。

盛力健児・太田守正・溝口敦らの見解

ここまでの3者の見解をまとめると、

  • 盛力健児:クーデター説を主張
  • 太田守正:クーデター説を否認
  • 溝口敦:クーデター説を肯定

となります。

溝口敦までがクーデター説を容認しており、さらには引退後に渡辺五代目が六代目山口組の総裁にも名誉総裁にも着くことなく、単なる一般人となって身を引く形になったという不自然な引退後の処置を考えれば、やはりクーデター説は正しいのではないでしょうか。

引退後の渡辺芳則五代目とその死因

こうして渡辺五代目は2005年に表向きは「体調不良」を理由として引退します。

そして山口組の組長が「引退」という形で自らのヤクザ人生に幕を下ろしたというのは戦後の山口組では初だったそうです。

渡辺五代目は2004年の夏に戸籍上は夫人と離婚していますが、これは現役時代に蓄財した金を逃避させ、保護するための措置だと警察には見られており、したがって経済面でだけいえば引退後は悠々自適に暮らしたでしょう。

ただし無理矢理な引退の経緯は渡辺前組長から生きる気力を奪ったのか、司忍組長が2011年に出所した後、渡辺前組長の自宅に挨拶に行ったところ、渡辺前組長は対面している人物が司忍だと認識できないほどに脳の衰えが顕著だったといいます。

こうし2005年に引退した渡辺芳則は、その引退の7年後の12月1日、兵庫県神戸市中央区の自宅で71歳で死去しています。

渡辺前組長の詳しい死因は不明ですが、関係者によると、渡辺前組長は体調を崩して神戸市中央区の自宅で療養、12月1日の朝にその自宅で倒れていたのが見つかったということです。

ヤクザは一般に、全身の刺青を原因とする肝硬変や暴飲暴食による糖尿病などで一般人より寿命が短いのが常だといいます。

しかし渡辺五代目は(刺青については不明ですが)完全な下戸で酒は一切飲まなかったそうで、少なくとも生活上の不摂生が根本的な原因ではなかったとも推測できます。

最後に・ヤクザ本で多くの見解の相違が生まれる理由

それにしても、中野太郎の『悲憤』と山平重樹の『最強武闘派と呼ばれた極道』といい、盛力健児の『鎮魂』と太田守正の『決別』といい、溝口敦の記述とそれへの批判といい、ヤクザ本やヤクザライターの記述などには、なぜ多くの見解の相違が生まれるのでしょうか。

それはヤクザには「メンツ」を大事にするというカタギにはない文化もさることながら、直接仕えたヤクザは自分の親分の名誉が汚されることに我慢がならないという事情もあるのだと思えます。

引退の経緯の特殊性からいって、山口組の五代目に関しては、神戸の震災の際の迅速な支援を除けば賞賛の声などが聞こえることはあまりないですが、少なくとも引退した渡辺芳則前組長の名誉を守ろうと幾人かの人間が動いた事実を鑑みれば、渡辺前組長が魅力のある人物だったのは間違いないのでしょう。

関連文献

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