汪楠『怒羅権と私』の感想|印象に残った部分・内容など

アウトロー本・雑誌
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怒羅権初代総長の佐々木秀夫から「偽物」として批判されている汪楠(わんなん)の自伝本『怒羅権と私』を読んでみました。

最初は読むつもりまではなかったのですが、動画の中で確か草下シンヤが、汪楠が盗みを働いたせいで佐々木たち全員が「ワンパン強盗」として指名手配された話を書いてあるというので、「そんなことまで書いてあるのか」と思い、思わず衝動買いしてしまいました。

ある程度は佐々木マネージャーとの質疑などで知っていた話もあるので流し読みするところも多かったのですが、個人的に印象に残ったところなどを書いておきます。

書きやすさの問題で汪楠が書いていたことを「だ・である」調で再現するところがありますが、『怒羅権と私』は実際には「です・ます」調で書かれています。
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汪楠『怒羅権と私』を読んだ感想【印象に残った部分・内容など】

中国にいた頃の話

序盤は中国にいた時代の話から始まります。

最近読んだアウトロー本の『所沢のタイソン』はかなりライトで読みやすい本でしたが、それに比べると共産中国の話がどうしても絡んでくるので固い印象を覚えるところもあります。

序盤で印象に残っているのが、悪ガキ4人ほどで固まっていた小学4年生頃の少年時代に、汪楠のライバルになったのが女の子だったという話で、汪楠はこの子と何度も喧嘩をし、最終的には好かれて仲間になったと書いてあります。

言葉の問題や佐々木秀夫について

日本に来てから汪楠がイジメを受けたというのはよく聞く話ですが、他のところでも主張されているように、彼は特に言葉の問題が原因の一つだったとしています。

それに関して当時、「中国人が川で溺れて叫んでいたが、何を言っているか分からないので周りの日本人は助けず、結局溺死してしまった」という噂が真しやかに囁かれていたといいます。

彼は「たとえ言葉が分からなくても溺れている時点で助けられるだろうから、これは都市伝説だったのだろう」としています。

同じく佐々木秀夫(ジャン・ロンシン)について名前が出てくるのも言葉の問題に絡めてで、怒羅権で彼が頭角を現したのは日本語が話せたからだ、としています。

佐々木の名前が出てくるのはこの箇所だけで、後の「ワンパン強盗」での指名手配の話でも、「ワンパン強盗」という言葉や佐々木が関わっていることも含めて伏せられています。

佐々木が逮捕された「ワンパン強盗」事件

そして汪楠が財布を盗んだことで「ワンパン強盗」として全国に指名手配された話ですが、本の後半部で、お世話になった「石井先生」という女性弁護士の話題で登場します。

当時は汪楠が「確か17歳の頃」と書かれているので、だから2歳年上の佐々木は19歳ぐらいのはずです。

事件が起こった経緯は佐々木が語るのと同じで、4人で同乗していた車が煽られたために停車して話そうとすると相手が急発進したので追いかけた、というものです。

そこで追いついて車に乗っていた相手に詰め寄ると、脱出に手間取った運転手一人だけが取り残されており、運転席にいる相手を外からみんなで殴ることになります。

しかし相手が運転席から出て来ないために全員で殴れず、手持ち無沙汰になった汪楠は後部座席にあった缶ビールや菓子など300円程度の品物を飲み食いした、ということです。

捕まった時に自分のせいで強盗容疑がついたことに責任を感じた汪楠は、未成年の自分なら罪が軽くなるだろうと考え、自分が言い出しっぺだったことにして石井先生に話した、と書いています。

ただしそれによって「自分(汪楠)が主犯格になった」とか、「他の者の罪が軽くなった」とまでは書いてはいません。

つまり実際に汪楠が弁護士の先生にそう言ったものの、弁護の都合上、相手の弁護士がその言い分を採用しなかったという可能性もあると思います。

『怒羅権と私』ではこれについて、「私は結局、自分で考え、この強盗事件は私が言い出しっぺであると供述しました。先生(弁護士)は『本当ですか?』と尋ねましたが、私の発言を受け入れてくれました」と書かれているだけです。

獄中でのイジメや「ほんにかえるプロジェクト」の名前の由来

汪楠は一貫してイジメのことを問題視していますが、獄中でのイジメについても興味深いエピソードを書いています。

Bという男がAをイジメていたのですが、最初は様子見で静観をしていた汪楠もあまりにしつこいので、ある時、Bと喧嘩(軽い口論)になったそうです。

最初に汪楠が静観していた理由は、刑務所ではある種の人間は積極的に人の舎弟になりがたるので、AがBに対してそういう気持ちを持っていた場合に余計なお世話になるからだといいます。

この箇所での汪楠の立ち振る舞いは慎重すぎてちょっと理解しがたいところもありますが、結局、汪楠とBが喧嘩した後も A は B に気を遣い、Bのすべき雑務を積極的にこなすなどしたために、その後も AとB 二人の関係性は変わらなかったそうです。

また獄中に戦時中に中国で強姦や強盗をしていた80代の男がおり、復員した後も性犯罪がやめられずに受刑していた男がいたといいます。

しかし汪楠は身近な人間が獄中死するのが忍べず、その高齢の男の世話を焼いていたそうです。

また「ほんにかえるプロジェクト」の名前の由来について、刑務所の土木作業で余ったセメントを好きに使っていいと言われた囚人は、「帰る」という言葉に掛けてなのか「カエル」を作ることが多く、それが由来なのだといいます。

父を殺そうとしたという話

一番興味深かったのは、汪楠が弁護士の石井先生を前に「父を殺そうとした」と口に出して、自分で自分の言葉にショックを受けたというエピソードです。

この箇所の記述では「口に出したのも初めてなら、思考したのも初めて」と書かれており、やや分かりにくいですが、要するに実際にはそのような行動はしていないのだと。

なぜそんな発言をしたのかと深く考えるようになった汪楠は、ある時、老人の孤独死に関する新聞記事を読んで、自分が「彼(父)が孤独に死ぬことを待っていたのだ」と気づいたといいます。

彼は自分を異郷である日本に連れてきておきながらないがしろにして人生を狂わせた父を恨んでおり、にも関わらずそのような恨みを抑圧して考えないようにしていたために、不意にその言葉が口をついて出てきたことに自分で驚いてしまったそうです。

そして、「自分の人生がねじれたのは父との不仲に主因があるのは明らか」なのに、そこから目を逸らして問題点は他にあるように振る舞い、にも関わらず父の孤独な死を自分が密かに待っていたのは「看過できない卑怯な行為」だと思ったといいます。

汪楠の『怒羅権と私』は嘘なのか?

印象に残った内容についてはここまでです。

ところでネットの『怒羅権と私』の検索キーワードを見る限り、汪楠の『怒羅権と私』に嘘が含まれているか気にする方も多いようです。

しかし、当然ながら読んだところで部外者である読者に判断できるはずもありません。

強いて私が読んだ範囲で違和感を探すなら、彼が5~7グループを動かしていたという話でも「構成員は怒羅権と無関係の人々」としていたり、他に「怒羅権のシノギ」という抽象的な表現こそあれ、成人後に怒羅権メンバーと絡んだという記述が少なすぎることでしょうか。

汪楠『怒羅権と私』のAmazon評価

汪楠『怒羅権と私』のAmazonレビューは上位に低評価のコメントが並んでいますが、平均評価は4.0と、けして低くはありません。

でも私がつけるなら3.0ぐらいで、まぁ「興味のある方はどうぞ」といった感じでしょうか。

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