瓜田純士と石元太一の対立|所沢のタイソンの拉致にワンターレンが動いた?【噂の真偽とは】

関東連合
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「アウトローのカリスマ」瓜田純士と、関東連合の石元太一(千歳台ブラックエンペラーの総長)の対立は有名ですが、この二人はどのような経緯で対立したのでしょうか?

そしてその対立の結果起こったと噂される「所沢のタイソン」の拉致とは?

その時、瓜田ファミリーとして認知されていたワンターレンの動きとは?

また、瓜田と石元の対立の黒幕は松嶋クロスなのか?

こうしたことを瓜田純士の著書『遺書』やネットの情報などをもとに調べて、まとめてみましたた。ただし時系列では微妙に不正確なところもあるかもしれないので、その点はご容赦願います。

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瓜田純士と石元太一の対立の始まり

最初の切っ掛けとなったのは瓜田の「ミスターサンデー」出演からだといいます。

瓜田純士「ミスターサンデー」出演

その2010年12月某日の「ミスターサンデー」出演映像がこれです。

アウトローのカリスマが知れてる地上波出現。貴重映像!!!

この映像だけ見ても、いったいなぜこれが瓜田と石元の喧嘩の発端になったかは理解しにくいので、実際にはもう少し別の出演部分もあったのかもしれません。

瓜田の『遺書』にも、「『ミスターサンデー』出演について石元が言いがかりをつけてきた」というだけで、この言いがかりが具体的に『ミスターサンデー』出演のどのような点に向けられていたかは書かれていません。

松嶋クロスが石元を瓜田にけしかけた?

しかし『遺書』の瓜田の説明によれば、これは松嶋クロスが仕組んだとしています。

(石元との対立の)原因はくだらない。
芸能界に進出したい石元太一を、M嶋(=松嶋)くんがプロデュースすることになった。そこでM嶋くんが悪知恵をはたらかせて、僕と抗争させることで石元太一の株をあげる作戦を思いついたのだ。

引用:瓜田純士『遺書』

ただこれは瓜田自身の説明であり、瓜田が勝手に思い込んでいた原因だという可能性もあります。それでも、瓜田は松嶋とは中学の頃からの付き合いでその思考や性格をかなり理解しているはずだから、間違いとは言い切れないでしょう。

ともかく、瓜田は『遺書』でそのように説明しており、また自身でもそのように信じているようです。

瓜田・石元が互いのブログで応酬

そして瓜田純士と石元太一は、ブログで不満や相手の文への返答を応酬し合うようになります。

石元太一:2011年12月24日の投稿

まず石元はこの写真を自分のブログにアップします。


出典:NEVERまとめ

もちろんこれは左が松嶋クロス(松嶋重)・右が瓜田純士で二人の中学時代の写真で、そしてこの時、石元はこのような文章を載せています。

(笑)

スゴイ鬼剃りだよね(笑)

こんな中学生は最近は見ないよな(笑)

そういや、松嶋君の隣に写ってるの中学の後輩の瓜田って奴らしいけど、こいつカリスマでもアウトローでもなんでもねぇじゃん(笑)

この人間、俺とリオンが事件を起こした時に、あれは俺の後輩がやったみたいな事言ってたらしいけど、勘弁してくれよ(笑)

俺もリオンもお前なんか知らねぇって(笑)

ホントそういう奴って多いよな

どこどこの関東連だったとか言われてもわかんねぇし、会った事やお世話になった事がなければ先輩じゃないでしょ。

引用:石元太一「あきらめないからな、俺は。」

ここでなぜ石元が瓜田に反感をもったかというと、瓜田が如何にも「関東連合関係者」然としているように見え、それが気に食わなかったようです。

工藤明男(柴田大輔)の『いびつな絆』によれば、関東連合には特に暴走族の現役時代に徹底されるルールとして先輩には徹底して敬語、一方で関東連合と関係のない先輩には敬語は使ってはいけないというルールがありました。

つまり年上でも、関東連合に無関係な者に対して敬語を使うことで相手を「自分より上」と認めてはいけないということです。

だから石元太一も、自分が先輩と認識していない年上の人間が関東連合の関係者的な(と石元には見える、つまり石元からすれば「先輩」にあたる)立ち位置で出てきたのが癇に障ったらしいのではないかと推測できます。

ちなみに瓜田純士の『遺書』によれば、関東連合において徹底して上下関係を意識した敬語使いのルールは、実は柴田大輔自身が、自分が収監された敬語使いに厳しい久里浜の特別少年院で徹底教育されたことに由来するルールだとしています(つまり柴田自身が久里浜の特別少年院から持ち帰ったルールなのだとしてます)。

実際に瓜田の『遺書』では、柴田大輔より年下の木村兄弟の弟・木村孔次郎が、柴田に対してぞんざいな口をきいてきた時、「久里浜でそんな口の利き方、許されたのか?」と詰め寄るシーンがあります。

瓜田純士:2011年12月28日の投稿

それはともかく、瓜田はこれに答えて次のような文をブログに載せます。

ブログ拝見しました
懐かしい写真ですね
俺の直上の先輩の鬼ゾリ写真懐かしいです
今は音楽プロデューサーで活躍してますね
先月が確か最期の電話だったかな?
なんだか誤解しているようだけど
関東連合は語った事はない
同世代が友達なのと
先輩方
親がそうなだけで
俺はただの元ヤクザです
(省略)
貴方の事を後輩と言った事は一度もないですよ
リオンは昔
先輩方とバーベキューとか行きました
石元君は世田谷なら
千歳台ですね
僕の代は
吉岡がエンペラーしてましたね
荒川って喧嘩っ早い子も
同じ世代でした
エンペラーではないけど
喧嘩を参加してた子でした
上北沢は西山がいましたね
懐かしいです
貴方の言う通り
会った事も世話にもなってないのが先輩じゃない
そうですね
俺もそのスタンスだけど
年上は立てる社会にいたので、一応気をつけて付き合いしてます
(省略)
一応僕も公人な為
媒体は選ぶので
対談は無理かな
貴方の言うように
アウトローでもカリスマでもない
(省略)
石元君も体調 風邪等ひかないよう
素敵な新年を迎えてください。
活躍の程 応援しています。
瓜田純士

引用:瓜田純士VS石元太一 関東連合内 内戦 対決の歴史

瓜田にはそこまでの気持はなかったでしょうが、この文は一部では降伏宣言・引退&謝罪宣言のように受け取られます。

たぶん、まずは相手の言い分をほぼ全面的に認めて、そして「アウトローでもなければカリスマでもない」といった言葉があるところからなのでしょう。

実際に、翌年の2012年1月15日に引退試合を行っているので、余計にそう受け取られたようです。

石元太一の返答:2011年12月28日以降に投稿

そしてやや引き気味・譲歩的な瓜田の文に対し、石元はこのようにアンサーをします。

人の事を悪く言うのは、いい大人がみっともない事だと重々承知してますが、俺根本的にあの手のタイプの人間が嫌いみたいです。
いちいちいろんな人の名前なんて出さなくてもいいし、興行サイドとか最後の試合って必要?
ましてや、公人って天皇陛下とかじゃないんだからさ

引用:瓜田純士VS石元太一 関東連合内 内戦 対決の歴史

瓜田が自分を大きく見せようとしていることを指摘、それに嫌悪感を持っているようです。

松嶋クロスを問い詰める

次第に「関東連合 VS 瓜田純士」という構図が出来上がり、瓜田は四面楚歌の状態で狙われることになります。

業を煮やした瓜田は、自分と石元対立の原因だと思える松嶋クロスに直接問い詰めることにし、松嶋に電話をかけて掛け合います。

「もしもし、ご無沙汰してます、純士です。グリコのオマケみたいな坊やがケンカ売ってるんすけど、何か企んでんすか?」

(略)

「純士。もう昔の関東連じゃなくなって来てるんだ。太一は千歳台エンペラーの後輩で、気合いもあるしケンカも出来る。揉めるなら勝手にやればいい。ただし、おまえがブログにあげた俺の中学時代の写真は消してくれ。頼む」

は? 何の話だ? ぜんぜん噛み合わなくて、イラついた。

「何言ってるんすか。あれは先に石なんたらが、先輩と俺の中学時代の写真をブログに出したから、その御礼じゃないすか」

電話はそこで切れた。

引用:瓜田純士『遺書』

「所沢のタイソンの拉致にワンターレンが動いた」という噂の真偽

「所沢のタイソン」とは?

その後、一般的には、インターネットのオフ会で瓜田と知り合ったという瓜田の弟分の「所沢のタイソン」が拉致されるという事件があったといわれています。

この所沢のタイソンについて先に説明しておくと、なかなか埼玉では評価の高い人間らしく、「タイソン」の本名は「 久保広海」です。

相当腕っぷしが強いらしく、総合格闘技チャンピオンSを一撃で沈めた、木村兄弟の弟・木村孔次郎とクラブ内でタイマンをはって勝った、上の世代がタイソンを潰そうと徒党を組んだが結局潰せなかった、関東の同じ世代ではもっとも強い、などという噂があります。

「タイソン」なんてあだ名なので、おそらくハードパンチャーなのだろうくらいのことは想像がつきますが、これは想像以上です。

だから「タイソンが拉致された」という話も、嘘か誇張、もしくは何か別の出来事が誤解されてそう伝わった、という可能性も捨てきれません。

それほどの人物が拉致されたなら、もっと派手な大立ち回りの話であれ、この時の石元太一らの武勇伝であれ、今以上に有名な話になっていそうなのに、このエピソードがあまりに地味に受け取られているのは不自然な気もします。

つまり場合によっては「拉致」それ自体が眉唾である可能性すらあるということです。

追記:実際に後日、久保広海はYouTubeで「タイソンチャンネル」を開設、真相について、あれは関東連からの話し合いから逃げた瓜田の代わりに話をつけたのだ、それはこれから出版する本に全部書くつもりだ、といったことを語っています。
大ホラ吹きのチンコロ侍へ
追記:というわけで「タイソンの拉致」については事実ではないようですが、あまりに分量が多く書き直すのが難しいので、「当時どのように錯綜した噂が飛びかったか」という意味もあり、あえて残しておくことにします。

「所沢のタイソン」の拉致事件?:2011年12月某日

そして、そのいわゆる「タイソンの拉致」について、こういう中途半端にネットに噂や情報が出回っている事件にありがちな話ですが、幾つかもの説や噂が入り乱れており、何が真相なのか掴みにくいです。

匿名掲示板などで事情を知っているらしき人の話では、「タイソンの拉致」について、主に2つの説がありました

一つは、そのものずばりのエピソードとして、タイソンら2人が石元の後輩の関東連合6人に拉致られた(そしておそらく暴行された)という話です。

もう一つは、瓜田が石元太一から逃げてしまったので、タイソンが自分一人で話をつけに行き、そこで小池幹士(カンジ)らが男気を買ってタイソンとは和解した(タイソンのことを認めた)、という説です。

そして後者の説では、そもそも話し合いで解決したために殴り合いにすらならなかったということでした。

どちらかといえば後者の説が正しいと主張する者が多かったですが、その両方に共通するのが、タイソンと石元太一自身は面識がない(会う機会がなかった)ということ。

少なくとも「石元らの一派に拉致られた」という言葉の印象から想像してしまうような暴力的な事件はなく、拉致られて云々というのはやはりやや眉唾の可能性があります。

そして実際に瓜田純士の引退試合の行われた2012年1月15日に撮られた写真では、久保広海(所沢のタイソン)は、つい最近に関東連合に拉致られて暴行されたにしては特に怪我をしているような様子も見えません一番左)。

出典:サイゾー

一番左から、所沢のタイソン、瓜田純士、ワンターレン(瓜田舎弟)です。

しかし瓜田がその後ボコボコにされていることからも、タイソンは拉致られて一方的にやられた、ということこそなかったものの、関東連合と瓜田との和解・仲裁には失敗したのではないかと思われます。

続いて、この写真の一番右の男、ワンターレンが動いたらしいのですが、そのワンターレンの動きの前に瓜田の引退試合があったのかもしれません。

そちらの方が流れが自然な気がするので、ここで引退試合を挟んでおきました。

瓜田が内藤裕と引退試合を行う:2012年1月15日

そして瓜田はアウトローを引退して音楽活動に専念すると宣言、内藤裕(元KGB)と引退試合を行います。これは、石元たちと揉めてしまったためではないかと見る向きもありました。

アウトローのカリスマ 瓜田純士引退試合

実際タイミング的にそう見るのが自然ですが、瓜田はそれを否定し、音楽のためだと言っています。さらにこの試合直前にサイゾーの取材に答えていますが、そこで瓜田は「昨年末、ある事情で小指をツメた」と話しました。

既にヤクザでもないのに何のために?

まさか石元らに向けてやったのでしょうか。

そしてだからこそ、これ以上何も起こらないようにタイソンが動いたのでしょうか。

この「ストーリー」は如何にも辻褄が合っている気がしますが、もちろん憶測に過ぎません。

再掲しますが、この引退試合の直前にサイゾーの取材に答えており、そこでは後に袂を分かったと言われているタイソンとワンターレンがまだ瓜田と一緒にいます。

出典:サイゾー

ワンターレンとは?

一般的に言われている「タイソンの拉致」の後には、ワンターレンが一人で返し(報復)に行った、あるいは行こうとしたという話が続きます

このワンターレンはどのような人物なのでしょうか。

ワンターレンは本名・須本高欣在日台湾人とも言われています。

追記:後に本人は『台湾生まれだが日本人』と否定しています。

職業は当時、キックボクサー、また占い師もやっていたという話もあります。

ワンターレンは瓜田と地元が一緒にずっと背中を見てきたといいます。

サイゾーの取材では、ワンターレンは『北斗の拳』を引き合いに出して、自身を「バット」、瓜田を「ケンシロウ」に例えています。

ネットでは「パンイチ」などというあだ名をつけられていますが、それは瓜田がライブで「スタンドバイミー」を歌っている時に、ワンターレンパンツ須本高欣が一丁でパフォーマンスをしている映像があるからです。

瓜田純士 / Stand by Me(カバー)

しかし私はワンターレンのパンイチよりも、瓜田の声があまりにかぼそく、ライブで歌うレベルと思えないほど歌が下手なことの方が気になります。

瓜田の声量とファンらしき客の声援とが、明らかにアンバランスです。

ワンターレンの返し事件とは?

そしてワンターレンの返し(報復)事件が起こったとされていますが、「タイソンの拉致」に比べれば、ワンターレンの返しの話の方が比較的信憑性が高い気がします。

「ワンターレンの返し」とは、一般には、タイソンが拉致されたことに対する返し(報復)をワンターレンが単独で行おうとした、という説です

もしタイソンが本当に6対2で拉致られてボコられた、あるいはクンロクを入れられたということなら実際に報復もありえますが、タイソンが関東連合にやられたとは考えにくいから、おそらくワンターレンは石元らに舐められっぱなしの兄貴分の瓜田に業を煮やして一人で動こうとしたのではないかと思います。

これに信憑性があるのは、ワンターレンは瓜田の引退試合でのサイゾーの取材に対し、瓜田の不良の現役時代、「手打ちが済んだのに、水面下で僕が勝手に襲撃しちゃったり……。そういう手打ち破りとかで、随分ご迷惑をおかけして、よく瓜田君に怒られましたと言っているからです。

そして当時瓜田はそれをすべてフォローし、一緒に喧嘩をしてくれたというようなことを言っていますが、さすがに石元たちを相手にしたこの時ばかりは瓜田にも不安があったらしく、「返しは後輩が勝手にやっている。俺は関係ない」とワンターレンを完全に切り捨ててしまったという噂もあります。

このことに深く失望したらしく、ワンターレンは後にブログで「瓜田は母親から仕送りを貰い生活している」「東日本大震災の時に募った義援金を全額搾取した」といったことを暴露、瓜田から離れた(あるいは離れた後で暴露した)といいます。

しかしワンターレンが瓜田から離れたのは、その返し云々のタイミングではなく、瓜田がJOYの姉の脅迫騒動で捕まった後の3月だと主張する人もいます。(後述)

追記:ワンターレンはその後、瓜田と関係を修復したらしく、瓜田と一緒に仲良くジムで練習するという姿をYouTubeで見ることができ、また瓜田のYouTubeチャンネル『瓜田夫婦』ではサブカメラマンも務めています。
瓜田純士&ワンターレン マススパーリング 朝倉海選手とオタク姿で秋葉原に行き話題になっていますね!! 19:00-6:00 新宿歌舞伎町キックボクシングジム ダイエット 新宿スポーツジム

瓜田純士のブログ:2012年3月某日(6日?)に投稿(即時削除)

ここでまた瓜田のブログの文を掲載しておきますが、瓜田は石元にコケにされているのが相当悔しかったらしく、意味は通りづらいが激しい憤りを感じる文章をブログに投稿、それもすぐに削除しています。

ハニーに何かあったら
生き方全てが口だけの胸板
笑い話で今迄許したけど
それ以上いったら
生き恥コラ
生い立ちから全てバラすぞ坊やコラ
暴走族しか知らないで
アウトロー語った
勘違い坊や
おまはただ生きる恥なんだよ(笑)
頑張れよ
生きる事が恥ずかしい少年
お前
終わってるよ
全てがダサ過ぎて。
頑張れよ
チロルチョコ。
調子に乗のんなよ
たかだか雇われが
まぁ
頑張れよ
お前が逆立ちしても
俺にはなれないから
調子に乗ったら
お前の土下座写真バラまくぞ
質問に答えます!
いつも土下座してました。
人生の半分が詫びです!
胸板は暑いです!
生き方が詐欺なんで!
10月の逮捕状
お前頑張れよ。
生きている事が恥ずかしいんだから。
蛆虫が。
「己を知れ」

坊や

引用:瓜田純士VS石元太一 関東連合内 内戦 対決の歴史

こうなると起こった時系列を整理するのが難しくなってきますが、「ハニーになんかあったら」なんていう言葉があることから、当時付き合っていたJOYの姉・ソフィアと関係がこじれる前なのではないかと思います。

また「胸板」という言葉は石元太一の有名な写真を思い出させます。

「生い立ちから全てバラすぞ」という言葉がありますが、この投稿は3月で、石元の『不良録』はこの年の8月が第一刷なので、まだ石元は世間に自分の家族がヤクザばかりだと公開していなかったのかもしれません。(またトーヨーボール殺人事件も含む可能性もあります)。

「暴走族しか知らないでアウトロー語った」というのは、おそらく瓜田には「自分は元ヤクザ」というプライドがあるので、石元は父親や親族がヤクザなだけで自身にはヤクザの経験がないことを言いたかった可能性があります。

「たかだが雇われ」とは、瓜田は一貫して、石元が自分にからんでくるのは松嶋クロスの「石元プロデュース」が発端だと捉えているので、そういう言葉が出るのでしょうか。(もしくは見立真一が出資した格闘技のジムの雇われオーナーをしていたことを指しているのかもしれません)

瓜田がソフィア脅迫で逮捕(石元らが面会に):2012年3月

瓜田はJOYの姉「Sophia」(28)に対して2月1日早朝に「芸能界から消えろ。弟がどうなっても知らないぞ」「事務所ごと潰してやろうか」などと脅迫したことで、Sophiaは被害届を提出、瓜田は3月27日に逮捕されます。

この時、瓜田の『遺書』によれば、瓜田は結局10日間で保釈されたものの、瓜田の中学時代の直の先輩である松嶋クロスとともに面会に石元太一が訪れているのだということです。

しかし瓜田はこの頃、なぜかすべて面会を断っていたらしく会ってはいません。

なぜ面会を断ったか、また松嶋はともかくなぜ一緒に石元まで来たのか、理由は説明されていませんが、石元と瓜田の間のトラブル・対立と関係がある話をしようとして松嶋が石元を引っ張って来たのかもしれません。

余談ですがこの時、瓜田の面会には(もちろん松嶋らとは別に)瓜田と昔から仲がいい木村兄弟の兄・木村泰一郎も来たらしいのですが、同じく彼にも会わなかったということです。

ワンターレンの裏切りの理由は?

キックボクサーのワンターレンが瓜田を裏切った理由は、瓜田が返しに行こうとしたワンターレンを切り捨てたせいだという説の他にもう一つあります。

その説では、ワンターレンは石元襲撃を計画、しかしバレて立場が危うくなりますが、瓜田が関東連合と掛け合って助けてくれます。

しかし直後にまたワンターレンは攫われてしまい、瓜田の悪口を書くように指示されます。

つまり敵に脅迫されたせいだということです。

またソフィアに相談され、ワンターレンは田無署に瓜田を売ったという説もあります。つまりソフィアは被害届を出したことで瓜田は捕まっているので、この解釈だとワンターレンがソフィアに被害届を出すよう勧めたと考えらます。

しかしワンターレンが石元一派の言う通りにした割には、ワンターレンは瓜田を裏切ったことを石元太一に非難されています。

あるいは石元の後輩たちが勝手にやって、石元太一自身が知らなかったのか、もしくはこれ自体、自分が無関係であることを装う石元の偽装工作なのでしょうか。

しかしそこまで石元太一はずる賢くはない気もします。

以下は当時、石元太一のブログで掲載されたワンターレンを批判する文章です。

>ワンターレン、自分は知りませんが、瓜田の事を兄貴と慕っていた時期があるのなら、
>例え決別した後でも悪口は言うなよと自分は思います。

>すごくカッコ悪いですよね。

>どうせ薄っぺらい仲間意識でヤクザごっこしてたのかもしれませんが、
>仮にも兄貴と呼んでいたなら、何かしら面倒を見てもらった事があるのでしょう。

>だったら仲違いしても、黙っていればいいのにと思いますね。

引用:裏切りのパンイチマスク・ワンターレンこと須本高欣

瓜田純士と石元太一の対立|ピークから終焉まで

瓜田純士ボコボコにされる:2012年5月

ある時、瓜田はブログで「階段で派手に転んだ」として写真をアップしたらしいです。

しかしそれはとても階段で転んでできるような傷とは思えず、おそらく関東連合の反目している石元一派の者たちにやられたであろうということが丸分かりの写真でした。

瓜田の『遺書』によれば(両方そうなのか分からりませんが)おかげで2回救急車に運ばれて、「今では顔半分にチタンが入っている」といいます。

瓜田は石元と、何とかして和解しなければならなくなります。

石元太一のジムへ直接会いに行く

石元太一は見立真一が出資した格闘技のジムの雇われオーナーをしていました。

そこへ瓜田は、何やらメッセージを書いたらしき巻物を持ってジムに向かいます。

あいにく石元はいませんでしたが、そのままメッセージを置いて帰ると、後日一緒に飲むことになります。『遺書』によれば、その呑みの場で石元は、「本当、工藤(注:柴田大輔)殺してぇよ」と、自分の会社の上司である柴田大輔(工藤明男)に対する愚痴ばかり言っていたといいます。

理由は、石元はずっと柴田大輔を慕ってきましたが、最近では柴田は石元の芸能界入りにストップをかけてきたり、自分の動きたいように動かせてくれないからだそうです。

実際に工藤の著書には、自分と同じく裏の道を歩んできた石元太一が、芸能界のような日の当たるところに出ようとするのを戒めるような記述が散見されます。

瓜田純士が松嶋クロスに切れる

そのうち、例の六本木のクラブ襲撃事件(人違い殺人)が起こります。

松嶋は関東連合や見立のための情報工作に、中学の時からの直の後輩である瓜田を利用することにします。

これが瓜田がブログに掲載した、有名な「カンジくん(=国田正春)」「チャッピーくん(=小池幹士・もしくは佐藤幹士)」に対する非難の言葉です。『遺書』によれば、実はこれはその文面まで松嶋クロスが考えたものだそうです。

瓜田は直の先輩である松嶋の頼みであったために最初はそれに乗ったものの、利用されていることに気づくと、ブログで関東連合に対して喧嘩を売るような文面を掲載、しばらく大阪で匿ってもらい、隠れることになります。

いよいよ我慢の限界になった瓜田は、松嶋クロスに直接電話で食って掛かります。

『遺書』のこの時の次のような言葉を見ると、やはり瓜田にとって石元とのことは本当に屈辱的な出来事だったのだということが分かります。

「僕が一番の後輩だとか、見立くんは純士のことを一番信頼しているとか言うんなら、なんで石元らにナメたまねさせたんですか? 純士だけは特別だとなんで言ってくれなかったんすか? こっちがどれだけ我慢したかわかります? 自分、腐っても同世代じゃ顔ですよ? 関東連ってそんなに偉いんすか? 見立くんの前で『自分と泰一郎とは兄弟分です』って言い切った人間、他にいますか?」

出典:瓜田純士『遺書』

瓜田純士「石元太一は遅れてきた可哀想な若い衆」

さらに『遺書』の中で、瓜田は石元に対して「可哀想な若い衆・石元太一」と題して表面上は同情的でありつつも散々な書きようをしています。

 石元太一は、圧倒的に怖い先輩たちの言いなりにしかなれなかった、哀れな男だと思う。

石元は僕ら昭和54年生まれ世代より、さらに2コ下。一応、その世代の関東連では総長だったみたいだが、僕からしたら「遅れてきた可哀想な若い衆」という感じだ。

見立くんたち昭和53年世代の押さえつけが強く、いつまでたっても関東連の中では三下扱い。一時期は頑張って芸能人になろうとしたけれど、工藤明男に「勝手なことするな」と止められて断念(と見せて、強行突破しようとしていたがフラワー事件によりそれも潰えた)。フラワー事件に限らず、K村兄弟との抗争では、いつも先兵隊の役割を押しつけられていた。

引用:瓜田純士『遺書』

それでも一応、罵詈雑言を吐くわけでもなく、「M嶋(注:松嶋)くんも、そんな石元を不憫に思ったのかもしれない」などの冷静な分析もされています。

最後に

おそらく石元はクラブ襲撃に関与したとして逮捕された件で忙しく、今では過去の因縁などどうでもよいと思っているでしょう。

それでも瓜田には嫌な思い出としてずっと残っているのではないかと思います。

(記事おわり)

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