女性専用車に乗り込んだ男たちと議場に赤ん坊を連れていった女性市議

先月の16日、東京メトロ・千代田線の国会議事堂前駅で、停車中の女性専用車両に男性数人が乗車してトラブルになり電車が12分遅延した。

こうしたことは今回が初めてではないらしい。

女性専用車両に乗り込んだ男たち

女性専用車両に乗り込むことを定期的に行っている「差別ネットワーク」なる団体もあるという。私は、これは粗野で洗練されてはいないが、一種のマスキュリズム運動なのだろうと思った。

マスキュリズムとは、アメリカの社会学者であるワレン・ファレルがフェミニズムの対置概念として提唱した男性差別撤廃を目指す思想や運動のこと。

マスキュリズムの将来

日本では今のところ「マスキュリズム」という言葉は一般的ではないが、このような活動や団体が増えたなら、いずれ日本でも定着して当たり前のものとなるだろう。

そしてそうした団体の一部は、女性の権利を擁護するフェミニズムの裏面が男性憎悪であるように、女性憎悪を内包し、それに理論的正当性を与えるだろう。

つまり、フェミニズムがしばしば「理論武装した男性憎悪」に過ぎないと感じられるように、それは「理論武装した女性憎悪」になるということだ。

彼らが率直に語るなら、こう言うだろう。
「我々の憎悪には道理がある」と。

議場に赤ん坊を連れていった女性市議との類似

それはともかく、私はここから以前似たような印象を受けたニュースを思い出した。それは去年の11月22日にあった、熊本市議会で女性市議が赤ん坊を連れて議場に入ったというニュースだ。

考えれば考えるほど、この2つのニュースは似ていると思えた。

女性市議が議場に赤ん坊を連れてこずとも、ベビーシッターを雇えば控室で赤ん坊の世話ができたように、男性たちも女性専用車に乗らずとも、他の車両に乗ることで目的地に辿り着くことができた。

そして一方はマスキュリズムに、もう一方はフェミニズムに親和的な行動を取っている、という点でも似ている。

強いて違いを挙げるなら、男たちは数人で行動したのに対し、女性市議は一人で実行したという点だけだ(もちろんこの場合は赤ん坊を含めて『二人』とカウントする必要はないだろう)。

何よりもこの両者は、自己の正義を主張するためならば現行の規範を侵犯しても構わない、と考えている点でも見事に一致した。

それは「悪法も法なり」といったソクラテスとは真逆の態度だ。

私にはこの2つのニュースの当事者は、同じように非難されるべきと思える。

2つのニュースは格好のリトマス試験紙

もしあなたがこの2つの事柄を両方否定したり、両方肯定したり、もしくは同じ程度にどうでもいいことだと思ったのならそれでよい。

だがもし、一方の当事者だけを過剰に擁護したり、或いは過度に批判したりという、是非判断のバランスを欠いていたとしたら、あなたは今日の社会状況、特に男女問題に関するそれを、公平に見たり感じたりすることができていない可能性がある、ということだ。

いわばこの2つのニュースは、それを見聞した者の、男女問題に関する公平性を試す格好のリトマス試験紙だったと私には思える。

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