富永清(旭琉會会長)が死去 国士舘大学出身・旭琉会を統一

指定暴力団旭琉會の会長、富永清(とみなが・きよし)氏が2019年7月12日に病院で死去したというニュースがありました。

旭琉會四代目会長である富永清は、仲介者がいないという独特の事情から激化する傾向にあるといわれる沖縄の抗争の中心にいた人物であるとともに、2011年に対立組織を一本化して現在の「旭琉會」を発足させたことでも知られています。

富永清(旭琉會会長)が死去

富永清会長が亡くなったのは12日午後3時45分ごろ、北中城村(きたなかぐすくそん)の病院で亡くなったと報じられています。73歳でした。

北中城村は沖縄中部の南の方にある村の名で、日本で最も人口密度が高く、村としては日本で5番目に人口の多い村だといいます。

関係者によると、富永清会長は10年ほど前から入退院を繰り返していたということです。

富永清と旭琉會の統一

富永清は久米島出身。

柔道に打ち込み、国士舘大学を中退しています。

沖縄では山原派の先輩を頼ってコザに流れつきました。

それ以前にも沖縄ヤクザは熾烈な抗争を繰り広げていたものの、1990年に当時理事長であった富永清は、9組織を率いて「沖縄旭琉会」という新団体を発足、そのまま新たな抗争に突入、これが現時点で最後の沖縄抗争とされている第6次沖縄抗争です。

この年だけで無関係の市民を含む6名の死者と12名の負傷者を発生、市民の間での反暴力団の機運を高める結果になります。そのため、1992年の暴力団対策法の施行は、この抗争を一因としたものとすら言われています。

1992年6月、旭琉会・沖縄旭琉会はそろって指定暴力団となります。

その年で抗争は終結したものの、そのまま2つの「旭琉会」が並立し、冷戦状態は以後20年余にわたって継続することになりました。

やがて2010年に富永の元所属団体である三代目旭琉会会長の座から翁長良宏が退くと、三代目体制下で理事長を務めた花城松一が四代目を継承します。

その代替わりでは沖縄旭琉会の会長・富永清が後見人を務めました。

その翌年の2011年の暮れ頃に、沖縄旭琉会による吸収合併という形で両組織が一本化、分裂から21年を経て再統一されました。

旭琉会と沖縄旭琉会は「旭琉會」と名称を改め、首領を富永清、組織のナンバー2は四代目旭琉会を率いた花城松一となりました。

旭琉會といえば、沖縄の繁華街で関東連合の伊藤リオンが乱闘する動画が話題になったことがありますが、その乱闘の相手が旭琉會組員とされています。

関東連合、伊藤リオン沖縄で暴れて、旭琉会にケジメつけられる‼️
沖縄ヤクザvs伊藤リオン

沖縄ヤクザについて

本州の中でも苛烈な抗争をしたとされる広島ヤクザ、戦闘的であることで知られる九州ヤクザ、そして沖縄のヤクザなど、ヤクザは南方に行くほど気性が激しい傾向にある気がします。

ちょうど同じ頃に沖縄ヤクザについて取材していたらしいヤクザ専門のフリーライターである鈴木智彦氏がこのような一連のツイートをつぶやいており、興味深く感じました。

以上になります。

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