トゥキディデスの『戦史』

トゥキディデス(ツキジデス)の『戦史』は、陸軍国スパルタを中心とした同盟諸国と、海軍国アテナイを中心とした同盟諸国とが衝突した、古代ギリシャにおける世界大戦のような性格を持ったペロポネソス戦争について記述したものである。

トゥキディデスの『戦史』

歴史記述

古代ギリシャに関する歴史記述的文献には、ホメロスの叙事詩、ヘロドトスの『歴史』、そしてこのトゥキディデスの『戦史』とがある。

ホメロスは現在に残されているものの中で最古層のギリシャについて窺うことのできる唯一のものだが、その記述様式には神話と伝説とが混在している。

一方ヘロドトスの筆には、しばしば「これについては信じがたい」などと、極力史実を選択して記述しようという意思は感じられるものの、相変わらず伝説と歴史記述とが混在している。

その点でトゥキディデスの筆には、伝説や神話を排除して史実を記録しようという意志が現われており、我々現代人が思う意味での「歴史」が、ここで初めて姿を見せることになる。

そしてこの歴史記述的文業は、「開戦劈頭以来(開戦当初から)、この戦乱が史上特筆に値する大事件に展開することを予測して、ただちに(メモあるいは手記の)記述をはじめた」というトゥキディデスの先見の明によっている。

演説

例外的にトゥキディデスの創作的部分と考えられるものとしては、政治家や外交使節が行なう演説がある。『戦史』においてペリクレスが行う演説は特に有名なものだ。

しかしこれらも、トゥキディデスが同時代において戦争の当事者だったことを考えれば、ものによっては(細部については創作でも)、その場に居合わせて実際に聴いたものもあると考えられる。

これも注意して読むならば、ギリシャ式の弁論というものが、どのような性格のものか窺うことができて興味深い。

我が国での国会中継などを見ると、(けして嫌味で言うつもりではないが)そこでの政治家の弁論は、批判、あるいは批判に対する反論に主軸が置かれている。

しかしトゥキディデスの『戦史』を読むと、ギリシャ式の弁論は、対手あるいは聴衆の「説得」に、全精力が傾注されているものだということが分かる。

ペロポネソス戦争

ペロポネソス戦争は既に述べたように、スパルタを中心とした諸国とアテナイを中心とした諸国との軍事的衝突なのだが、この大戦を凄惨なものにしたのは、単なる軍事的な衝突ではなく、それがその他のポリス(都市国家)における内戦を誘発したことだ。

ほとんどのポリスには民衆派と貴族派が存在しており、スパルタとアテナイそれぞれの政治構造との近さから、民衆派はアテナイ贔屓であり、貴族派はスパルタと結託しようとする傾向がある。

したがってスパルタやアテナイの軍勢が接近し、政治的な圧力を増すと、今まで劣勢にあった政治党派が、挽回を帰して策謀を開始することとなる。

こうしてペロポネソス戦争は多くのポリスにとって、対外的な戦であるとともに、自国内における内戦という二重苦の性格を持つことになる。

人倫の荒廃

ペロポネソス戦争によって起こった人倫の荒廃についても言及されている。

沈着とは卑怯者の口実、万事を解するとは万事につけ無為無策に他ならず、逆にきまぐれな知謀こそ男らしさを増すものとされ、安全を期して策をめぐらすといえば、これは耳ざわりのよい断り文句だと思われた。

何ごとによらず、人の先をこして悪をなすものが賞められ、悪をなす意図すらないものをその道に走らせるのが、賞揚に値することとなった。そして遂には肉身のつながりも、党派のつながりに比すればものの数ではなくなった。

トゥキディデスはソクラテスとほぼ同時代人であり、岩波文庫『戦史』の訳者久保正彰の解説によれば、ソクラテスより10ほど年下、ソクラテスを笑いものにした喜劇『雲』を書いた喜劇作家アリストパネスより10ほど年上と推定されている。

ペロポネソス戦争による人倫の荒廃の後、ソクラテスの倫理学的哲学が現われたことを考えれば、これは周末の伝統秩序の混乱の中から孔子の儒学が現われたことと、経緯が酷似していることが分かる。

記述の中断

『戦史』の題材となったペロポネソス戦は27年間継続したが、21年目の紀元前411年の記述を最後に途絶えている(岩波の『戦史』訳者久保正彰は、おそらくトゥキディデスが死没したためと解説している)。

西洋古典叢書では『ギリシャ史』として出版されているクセノポンの『ヘレニカ』は、このトゥキディデスの仕事を受け継いだものである。