『田中清玄自伝』と『お父さんの石けん箱』清玄と田岡一雄の繋がり

『田中清玄自伝』

さあ、なんでもお聞きください。

冒頭、田中はインタビュアーにこう言った。

一般に「フィクサー」という色眼鏡で見られている田中に、私がそれとは裏腹の爽やかなイメージを持ち続けているのも、この一語がもたらす開放感がいつまでも尾を引いているせいなのかもしれない。

『田中清玄自伝』はどのページを読んでも面白い本なのでその全てを語りつくすことはできないが、個人的に私が読んで特に面白かった部分だけかいつまんで書いておく。

山本玄峰

田中は戦前に獄中で左翼から転向し、出所後、臨済宗の山本玄峰という禅僧のもとで修行を積んでいる。

田中を山本玄峰に紹介したのは、血盟団事件で有名な右翼の四元義隆だ。

山本玄峰は将棋の升田幸三が「後ろ姿を何となく見ていたら徐々に大きく見えてきて、こんな凄い人間がいるのかと驚いた」というほどの禅僧だ(これは今東光『極道辻説法』で知ったエピソード)。

田中と終戦工作で色々と動いたというのは有名な話だろうから端折る。

個人的に面白かったのは山本玄峰が当時の内務大臣の安藤紀三郎に呼ばれ、迎えに来たキャデラックに乗って出かけた時の話だ。

車中で山本玄峰はこう言った。

「ときに、坊主の値段も下落したものよなあ。俺がたかが内務大臣に呼ばれて出かけて行くんだものなあ。昔なら法のためとあらば、法皇さまでも寺までお出でになられたものだぞ」

面会場所に到着して一緒に行った田中が安藤にそれを告げると、安藤は詫びたという。

昭和天皇と

田中は終戦直後に昭和天皇に拝謁している。

その時に、三つのことを陛下にお願いしたという。

一つは、絶対に退位してはいけないということ。

もう一つは、皇室財産で飢えた国民を救ってほしいということ。

最後に、直接その姿を国民に見せて励ましてほしいということ。

特に最後のお願いに関しては昭和天皇はこのように反応された。

「うーん、あっ、そうか。分かった」と。そりゃあ、もう、びっくりしたような顔をされて、こっちがびっくりするぐらい大きくうなずかれたなあ。

戦後の昭和天皇の巡行は田中の助言が一つの要因としてあったことになる。

尊敬する右翼

田中が尊敬する右翼は橘孝三郎と三上卓の二人だけと言うが、私も二人についてあまり詳しくはないが、どちらかというと著書があり学究肌のイメージの橘孝三郎と、行動派の三上卓の取り合わせは何か面白い。

田中は赤尾敏や野村秋介は全く評価していない。

児玉誉士夫に至っては「聞いただけで虫唾が走る」と言っている。

瀬島龍三と尾崎秀美

田中はともかく人物の好き嫌いがはっきりしている。

瀬島龍三も嫌っている。

面白いのは、田中が「私のみるところ、瀬島とゾルゲ事件の尾崎秀美は感じが同じだね」と言っていることだ。

いったい何が似ているのか、それ以上のことは書かれていないし、またおそらく感覚的なことなので、田中自身にもはっきりしたことは分かっていなかったのかもしれないが、この評は面白い。

田中清玄と田岡一雄の繋がり

田中は田岡一雄のことを深く信頼して付き合っていた。

インタビュアーの大須賀瑞夫から「山口組とは今も付き合いがあるのですか」と訊かれると、田中は言下にこう答えている。

いいえ。私は何も山口組と付き合ったわけではありません。私が付き合ったのは田岡一雄という一人の侠客であって、彼とは終生の友人でした。

田岡一雄とエドナン・カショギ

たぶん話のスケールが同じぐらいの大きさのせいなのだろう、『田中清玄自伝』の登場人物が落合信彦の書籍に出てくる人物とたまにかぶるのも面白い。

田岡に、東京で賭場のような商売をやるためなのか、サウジアラビアの商売人エドナン・カショギが接触してきたことがあった。

田岡は田中清玄にカショギについて訊き、田中は「彼は世界最大のいんちきだから相手にするな」と言う。

カショギ側から再び田岡に電話があり、「お前のことはタナカから聞いている」と答えると、二度と電話がかかって来ることはなかった。

田岡一雄といえば、娘の田岡由伎の『お父さんの石けん箱』も面白かった。

田岡由伎の『お父さんの石けん箱』

「麻薬追放・国土浄化連盟」

田中清玄と田岡一雄が岸信介と児玉誉士夫の「東亜同友会」に対抗して「麻薬追放・国土浄化連盟」を作った話は『田中清玄自伝』にも詳しいが、『お父さんの石けん箱』の方から該当箇所を引用してみる。

昭和三十六年のことだそうだ。ロンドンにいらした田中先生のところへ、お父さんから、「至急、ご帰国されたし」という電報が来た。何事か? と、先生はすべてをほったらかして、急いで帰国し、お父さんと会った。
「先生、日本が大変なことになりそうです」
と前置きして、真剣なまなざしでお父さんは話した。(中略)
(田岡)「今のところ、反対しているのは私だけで、あとはみんな乗り気になってます。このままいくと、日本を‶独裁”にもっていってしまうことになる」
(田中)「反共の政府だなんて、私は、右翼はきらいなんだ。右翼と軍部のために、日本はバカな戦争をして、えらい目にあった……」
田中氏に助力を頼むお父さんは、もう真剣そのものだったという。

()内の「田岡」「田中」は前後の文脈から類推して私が入れた。

神も心も存在しない

娘の由伎は田岡一雄について『お父さんの石けん箱』の中で色々書いているが、田岡は無神論者で神仏を信じなかったらしい。

それどころか「心」すら存在しないと言うのには驚いた。

「心みたいなもんは、ないんや」

「見えないものは信じない」という言い方はよくあるが、田岡の場合は見えても信じない。

死ぬ三日ほど前に田岡は病院のベッドで「おい、なんや、この周りの光った人間は?」と言い出す。娘の由伎には見えないが、田岡は確かに目を開けて見ている。

しかし、しばらくすると「そうか、これは夢やなァ」といって目を閉じてしまう。

三種類のお辞儀

所作については田岡一雄は、会釈でも三種類のものを使い分けていたという話は面白い。

同業ヤクザへの礼は「腰をかがめながら、目だけは相手の目からそらさない」

堅気には「目を下へ向けたままで、静かに腰を折るように」

娘や息子の友達には「礼をしてニコッと笑い、笑いながら顔を上げていく」

『この国で女であるということ』との比較

ところで、何人もの女性を取り上げたインタビュー集、島崎今日子の『この国で女であるということ』でも田岡由伎は取り上げられている。

こんな箇所がある。

卒業後悶々とする彼女を見て、父は「お前は可哀想なヤツやなあ。そいでもしゃあないな、自分で悩まな」と一言かけたきりだった。

これだと、如何にも田岡一雄が娘に素っ気ない対応をしたような印象を受けるが、『お父さんの石けん箱』では全く同じエピソードが全く違う意味のあるエピソードとして書かれている。

『お父さんの石けん箱』ではこう書かれている。

「おまえ、かわいそうなヤツやなぁ。どこへ行ってええんか、なに見たらええんか、わからへんねんなぁ。そいでも、しゃあないな、それは自分で悩まな」
そう言って、スッと出て行った。あ、お父さん、ほんとに私を愛してくれてる。そう思った。私の悩みをわかってくれてる。でも、それは自分で悩まなしょうがないんやと。突き放して、親でも入り込めない領域だと。それが人間なんだと。私はその時、涙が出て止まらなかった。

実際にはこのように、父一雄の気持ちに感動するシーンだ。

『この国で女であるということ』では単に文字数の関係で端折っただけなのかもしれないし、たまたま田岡由伎にインタビューした時にそのような話し方をしたという可能性もあるが、正直いって島崎今日子の書き方は私には何やら悪質な印象操作のように思えて、酷く不快だった。

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