高須クリニックの高須克弥院長とウーマンラッシュアワーの村本は、長い間、ツイッター上で政治的意見の食い違いから議論を戦わせている。
加えて今回、ウーマンの村本がツイッターのアイコンに高須院長の長男・力弥氏のアイコンを無断で使用し、後に力弥氏とアイコンのイラストを描いた西原理恵子さんに謝罪するというトラブルがあった。
騒動の経緯と顛末、また高須院長の長男である力弥氏について調べた。
ウーマン村本が無断イラスト使用を謝罪
お笑いコンビ「ウーマンラッシュアワー」の村本大輔(38)が24日、自身のツイッターアイコンを再変更し、謝罪した。
村本は、SNS上で激論を戦わせている高須クリニックの高須克弥院長(74)の長男・力弥氏のイラストをアイコンに使用。このイラストは院長の妻で、漫画家の西原理恵子が描いたもので、これを村本が利用したことから力弥氏は「直ちに西原理恵子先生がお描きになった私のアイコンの使用を中止して下さい」と指摘した。
村本は24日深夜に「すいませんでした。変更しました」と力弥氏に謝罪し、アイコンを自身の写真に戻した。
克也院長は「素早い謝罪を評価する。二度とするな。顧問弁護士に戦闘体勢解除通知なう」と“和解”を投稿した。
引用:スポーツ報知
すいませんでした。変更しました。 https://t.co/XLm0vr3OCi
— 村本大輔(ウーマンラッシュアワー) (@WRHMURAMOTO) 2019年2月24日
素早い謝罪を評価する。
二度とするな。顧問弁護士に戦闘体勢解除通知なう。 https://t.co/2cVuoaEL79
— 高須克弥 (@katsuyatakasu) 2019年2月24日
余談だがこの後、なんやかんやで高須院長の方から絶縁宣言が出され、長い間続いた交流もこれで終わりになる気配だ。
知識はないが才能のある可哀想な芸人だと誤解して育てているつもりでした。
百田先生のお話で、ウーマンが学習能力の欠如したつまらない芸人にすぎないと理解できました。
彼は育ててタニマチをやろうとしている僕の意図がわからずネタにして嘲笑して生き残ろうとしているのですね。
見捨てます。 https://t.co/FMnio6IQv7— 高須克弥 (@katsuyatakasu) 2019年2月24日
あ、最後に一点。あんたと絡んできたのはスポンサーになって欲しいわけでも、学びでもなく、考えは違うけど発信する姿勢を評価してただけ。タニマチとか育てるとか、おれにおこがましい口の利き方するな。
— 村本大輔(ウーマンラッシュアワー) (@WRHMURAMOTO) 2019年2月25日
高須力弥のイラスト
高須力弥氏は、今回の騒動の要因になった村本が無断使用したイラストの全体像をツイッター上で公開している。
西原理恵子先生が私にお描きくださった絵の全体像です。 pic.twitter.com/aeqvfta2sC
— 高須力弥 (@rourensiumu) 2019年2月24日
高須克弥の長男の高須力弥とは?
それでは高須力弥氏とはどのような人なのか。
まず高須クリニックの高須院長には3人の子供がおり、全員が男性である。
そして高須力弥氏は1970年生まれで長男。
大学は愛知医科大学医学部を卒業している。
また力弥氏の奥さんは高須クリニックの大阪院の院長を務める敬子さんという女性で、同じ愛知医科大学の講座に通っていたことから知り合い、結婚することになったらしい。
力弥氏自身は以前は高須クリニック東京院と横浜院の副院長だったが、それを退職して現在では高須クリニック名古屋院・大阪院理事になっている。
高須クリニック東京院、横浜院副院長を退職いたしました。
今後ともよろしくお願いいたします。— 高須力弥 (@rourensiumu) 2018年4月2日
私の意思による決定ではありません。
— 高須力弥 (@rourensiumu) 2018年4月2日
この退職の原因については父との不仲が噂されることもあり、当時色んな憶測がはびこったようだ。
しかし副院長を辞めたというだけで、今でも理事として高須クリニックに携わっているようなので、退職という言葉にも語弊があるかもしれない。
高須力弥の関連キーワード
高須力弥氏について検索すると、このようなキーワードが出てくる。
このうち「退職」は先ほどの高須クリニック東京院、横浜院副院長を退職した件について、「父」は父親の高須克弥氏のことだが、「左翼」「思想」「えた」「対立」「けものフレンズ」というキーワードも出てくる。
これらについて調べてみた。
「えた」の話はデマ?
まず「えた」というキーワードは、以前流布された力弥氏のツイートから来ているらしい。
ただし、これは父の克弥氏は誤解だと説明、その後、力弥氏のツイートも消されたようだ。
プチブルのせがれである僕はいじめられっこで子供のとき劣等生の子供たちから石をぶつけられて遊ばれました。
村の餅投げのときエタの子供に餅を投げてやった情け深い人は僕の曾祖父の高須小左衛門です。
2つの話しが結合してしまったようです。息子は理解してくれました。 https://t.co/dwqtFBWPxJ— 高須克弥 (@katsuyatakasu) 2018年4月25日
ということで現在でも一部では修正されずにいるようだが、この話は力弥氏の誤解に発したデマだったという説が濃厚だ。
しかしこのようなツイートをしてしまう時点で、少なくとも当時、親子関係が微妙だったのは何となく察しがつく。
このツイートをしたのは2018年の4月23日、退職のツイートはその月のはじめである。
高須力弥は思想が左翼・リベラル的で父と対立?
父親の高須院長は思想が保守主義・右翼的であることで有名だが、力弥氏は反戦平和主義的・リベラル的であり、そのことでしばしば父と対立したようだ。
そのことが「左翼」「思想」「対立」といったキーワードに現れている。
安保関連法反対
例えば、力弥氏は安保関連法にも反対していた。
安全保障関連法案に反対します。 http://t.co/IocNyulrd1
— 高須力弥 (@rourensiumu) 2015年8月19日
特攻と玉砕
また特攻について、父の高須院長が肯定的に語った時には反対している。
特攻と玉砕は大事な人たちを守るための勇敢な行為の結果だよ。美しいよ。
保身のために抵抗もせず逃亡するのは醜い。醜い行為を推奨する国は尊敬されない。日本人は尊敬されたいのだ。憲法前文に明記されている。 https://t.co/H4b66yZIIW— 高須克弥 (@katsuyatakasu) 2017年8月10日
特攻も玉砕も軍から強制されたもの。
美しくはなく、恐ろしい。 https://t.co/5ybsCLOs9H— 高須力弥 (@rourensiumu) 2017年8月10日
高須院長のナチス擁護的発言をめぐる騒動
高須院長は欅坂46がナチス風コスプレをしたことで、反ナチスで有名なサイモン・ウィーゼンタール・センターに批判された時に、
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の心の狭い人権団体の圧力に屈しちゃだめだよ。
デザイナーのセンスはイデオロギーと無関係。とんだとばっちりだ。ユダヤ人にペコペコするな。 https://t.co/aDYF135oXJ— 高須克弥 (@katsuyatakasu) 2016年11月1日
これに力弥氏は釘を刺した。
欅坂46ファンの方々がナチス擁護で有名な高須克弥氏ツイートを拡散・絶賛してる模様ですがやめた方が – NAVER まとめ https://t.co/MkUpnJH5MF
— 高須力弥 (@rourensiumu) 2016年11月3日
克弥氏は過去にはナチスの戦後の科学への貢献やホロコースト捏造論なども擁護していることから、それも含めて拡散することを嫌ったようだ。
今のアメリカとロシアの原子力も宇宙計画も医学も戦後スカウトしたナチスの科学者のおかげで大発展したんだよ。イデオロギーと関係なく彼らの実力は偉大なものだったんだよ。検証してごらん。西原理恵子をよろしくお願いいたします。 https://t.co/ulIUGilrGX
— 高須克弥 (@katsuyatakasu) 2015年10月3日
こうした数々のSNSでの発言から、力弥氏は特にネトウヨ界隈から「左翼」とか呼ばれるようになったと考えられる。
もちろん当の「左翼」「リベラル」「反戦平和」の側からは、力弥氏はむしろ「高須クリニック内の良識派」と考えられている。
そこで例の「退職」についても、こうした親子の対立が原因ではないか、と言われているようだ。
しかし繰り返すが、力弥氏は自分の意思で退職したのではないらしいが、それでも理事としては相変わらず高須クリニックに関わっている。
それを考えると、周囲が心配するほどは険悪ではないのかもしれない。
今回のウーマン村本のアイコン使用の件でもそう思える。
けものフレンズ
ちなみに「けものフレンズ」というキーワードに関しては、次のようなツイートが関係しちえると思われる。
『けものフレンズ』声優イベントが開催されるのんほいパークに来たのだ! #けものフレンズ pic.twitter.com/zLTT3o8Lre
— 高須力弥 (@rourensiumu) 2018年5月12日
けものフレンズの最終回は、サーバルちゃんの正体はサタンで、かばんちゃんの正体は不動明、フレンズはデーモンだったという想像をした。
— 高須力弥 (@rourensiumu) 2017年3月20日
たぶん、アニメ作品「けものフレンズ」のファンなのだろう。ツアーにも参加していることから、ネットでは「ガチのファンだ」とかなり話題になったようだ。
高須力弥が高須クリニックを退職
高須力弥氏は、2020年4月2日に高須クリニックを退職したとツイートしている。
高須クリニック東京院、横浜院副院長を退職いたしました。
今後ともよろしくお願いいたします。— 高須力弥 (@rourensiumu) April 2, 2018
もともと力弥氏は父の克也氏とやや険悪な雰囲気を感じさせることがあったため、これは親子間の対立のせいかと疑う向きもあるかもしれない。
しかし少なくとも力弥氏は、高須クリニックの名古屋院と大阪院では理事として残るというので、生活面で支障をきたすということはなさそうである。
また妻の高須敬子さんは、その力弥氏が理事を務める高須クリニック大阪院の院長として勤めているという。
以上、最後までお読みいただきありがとうございました。