「深キョン」こと女優の深田恭子さんに新しい恋人がいることが分かったそうです。
その人は杉本宏之さん、シーラホールディングスという会社の会長さんだとか。
二人は交際二ヶ月ですが、もう正月には双方の親族に挨拶をしているそう。
杉本宏之さんってどんな人でしょうか?
またシーラホールディングスってどんな会社なんでしょうか?
調べてみました。
杉本宏之のプロフィール
名前:杉本宏之(すぎもと ひろゆき)
生年月日:1977年6月25日(2019年1月現在41歳)
出生地:茨城県守谷市
育った土地:神奈川県川崎市
血液型:A型
身長:約1メートル80
趣味:読書、筋トレ
好きな食べ物:和食
杉本宏之の経歴
調べてみたら、この人けっこうハチャメチャです。
ガチで「波乱万丈」ってこんなことなんでしょうね。
幼少のころに貧乏を経験
杉本さんが生まれたのは茨城県守谷市ですが、3歳の頃、お父さんが経営していた不動産会社を潰してしまったために、大宮、川崎へと何度か引越しを経験しました。
家は貧乏で、6畳一間のトイレもお風呂もなかったそう。
母親が台所で流し台の洗面器に水をためて身体を拭いている記憶があるほどです。
こうした「貧乏」が杉本さんの原体験で、お金を稼ぎたいという強い想いが杉本さんのビジネスの原点になっているそうです。
8歳の時に交通事故に遭い、生死の間をさまよっています。今でもその時の後遺症で左足の指は動かないそうです。
しかしこの時、お父さんは相手の車から何とかお金を引き出そうとしていたそう(笑)。いや、笑いごとじゃありませんね。
何となくどういう環境か想像がつきます。
そこであらためてお金儲けの必要や、自分の家が貧乏であることを感じたといいます。
事業に失敗したお父さんはろくに働かないようになり、母親がパートに出て家族を養っていましたが、そのお金すらお父さんがパチンコで使い果たすことがあったようです。
杉本さんの父親は次第に、世の中や他人の批判ばかりするようになりました。
そんな中、杉本さんが中学二年生の時に母親が胃がんになり、入院からわずか1ヵ月半でなくなってしまいます。
家には借金取りが来るようになり、父親は家に帰らなくなります。
不良少年時代
当然杉本さんの生活は荒んでいき、地元の不良チームに入ってヤンチャするようになったそう。
入ったチームはもともと大きなチームで、組織の中で出世した杉本さんは、最後には不良チームのナンバー2になったそうです。
ビジネスでも不良の世界でも、仲間を信じて組織を束ねる力がいりますが、当時から仲間を大事にして、仲間の窮地にはすぐに助けに行くことが杉本さんのポリシーだったそうです。
しかし次第に、杉本さんは自分は本当にここにいるべきなのか、自分がしたいことはこれなのかと悶々とし始めます。
ある夜、後輩が敵対する暴走族に襲われ、亡くなってしまったそう。
刺激を求めてチームに入った仲間もいましたから、中にはそんな出来事に妙な高揚感を覚えているメンバーもいたといいます。
しかし杉本さんはそこで、自分はいったい何をしているのかと、不良として生きることに対して急に醒めてしまいました。
※杉本宏之は「死ね死ね団」の幹部
追加情報:『実話ナックルズ』2019年3月号によれば、杉本さんは当時、神奈川・川崎のバイクチームでチーマーの「死ね死ね団」(SSD)に所属していたといいます。
「死ね死ね団」は1994年頃に横浜で結成されたチームで、数々の武闘派伝説を持つ「ジョーカーズ」と兄弟チームとされ、全盛期には両チームあわせて300台の大勢力を誇りました。
写真中央が杉本さんです。
当時の川崎について知る関係者は、杉本さんについて「ナンバー2ってのも本当だが、喧嘩してた印象はない。大人数でアメリカンのうるさいバイクを乗り回してるだけで、喧嘩や窃盗、強盗や恐喝っていう暴走族がやるようなことはしてないよ。俺たちからは”真面目な集団”にしか見えなかった」と話しています。
また週刊誌では背中に刺青が入っていると報じられましたが、それについても「背中にクロス(十字架)が入ってるのは事実だが、刺青なんていうほどのもんじゃない。煽りすぎだ」と話しました。
他には、杉本は川崎中部のメンバーで、川崎のメンバーは20人ほど。南部のメンバーには薬や喧嘩をするような悪いメンバーもいたといいます。
しかし、ほとんどは単なるバイク好きで、地元の暴走族ともめて、その下につくことになったそうです。関係者は「2年ももたずに解散したんじゃないか」としています。
エスグラントコーポレーション設立・倒産
チーマーを引退した後、大学入学のために猛勉強し、補欠合格したものの、大学の費用は家の経済状況では払える額ではありませんでした。
そこでまたがむしゃらに勉強して宅地建物取引主任者(宅建)の資格を取り、就職情報誌の一番給料のいい会社の面接を受け、受かった一社目で働き始めます。
杉本さんは3年目で営業成績トップになったそうです。
その後、独立して「エスグラントコーポレーション」という会社を設立しました。
「エスグラントコーポレーション」は設立4年目の2005年12月に業界史上最短で、しかも最年少で株式上場を果たしました。
しかし2008年9月のリーマン・ショックで会社で倒産、400億もの負債を抱えました。
再起のために作った会社が、今会長を務めているシーラホールディングスです。
シーラホールディングス
2010年に杉本さんは株式会社SYホールディングスを設立。
シーラホールディングスと以前失敗したビジネスモデルを180度転換した会社で、グループ企業7社で売上高200億円を超える不動産ビジネスを展開しています。
今では完全に再起したようですね。
「再起した後は本を出した方がいい」とアドバイスされ、実際に出版した本がこちら。(Amazon)
30歳で400億円の負債を抱えた僕が、もう一度、起業を決意した理由
最後に
杉本さんの行動力や波乱万丈の人生、スゴイですね。
以上、最後までお読みいただきありがとうございました。