エレファントカシマシの「歴史前夜」と「歴史」

以前、YouTubeでエレファントカシマシの「歴史前夜」と題された歌を聴いて感動したことがある。しかし公式には「歴史前夜」という歌はないらしい。

エレファントカシマシの「歴史前夜」と「歴史」

エレカシの「歴史前夜」

私はこの曲に興味を持ってGoogleで検索してみた。特に「歌詞」が何を言っているのか全く分からないので、「歴史前夜 歌詞」と入れて検索したが、「歴史」という歌の歌詞しか出てこない。

おかしいな、「歴史」じゃなく「歴史前夜」なんだがな、と思いながら幾つかサイトを見る中で分かったのは、「歴史前夜」というのは、エレカシが「歴史」という曲のメロディだけが出来上がった状態で演奏し、ボーカルの宮本浩次さんが適当に歌ったものを、ファンが「歴史前夜」と呼ぶようになったということだ。

エレカシの「歴史」

私は完成品である「歴史」という曲も聴いてみたが、歌詞は「森鴎外」について述べたものになっていた。

歴史

聴く者の好みにもよるかもしれないが、私には「歴史」は、「歴史前夜」にあったような魅力、「歌の原始性」のような魅力が完全に失われたものに思えた(もっとも、宮本浩次さんは『変わり者』で有名だから、意図的にやった可能性もあるが)。

歌の「メッセージ性」

そこで私は歌のいわゆる「メッセージ性」について考えてみた。

一般に歌は「メッセージ性」があった方が高尚な内容を持つかのように言われることが多い。例えば、そうした「メッセージ性」の強い歌で成功したものの代表は、ジョン・レノンの「イマジン」ではないかと思う。

しかし、実のところ歌には「メッセージ性」など不要なのだ。

この歌の「メッセージ性」が強すぎると、歌は「メロディ」が与える単純な感興を破壊して、聴く者の感動を損ねてしまう。というのも、歌は「感性」に、つまり「情緒」や「情念」に働きかけるものであって、「知性」に働きかけるものではないからだ。

仮に何かしらの「思想≒メッセージ」の表現が可能だとしても、それは「情念」に働きかけることで、聴く者の中に形作られた情緒的感興が、自ずからある種の思想を肯定するようになる、という間接的行き方でしかないと思える。

私は必ずしもエレファントカシマシの大ファンというわけではないが、一時期非常にハマって毎日のように聴いていたことがある。 そんな私が、ボ...

歴史前夜収録

下のライブアルバムとDVDには「歴史前夜」が収録されている。

購入する場合は、CD(上)とDVD(下)を間違えないように注意してほしい。