柴田大輔と瓜田純士の関係|ヤクザ時代には兄弟分に誘われたことも?

今回は元関東連合幹部で著書も出している柴田大輔さんと、元不良で現在はユーチューバーとして活躍している瓜田純士さんの関係についてまとめました。

スポンサーリンク

柴田大輔と瓜田純士の関係とは?

特別対談 柴田大輔(工藤明男)×真鍋昌平(『闇金ウシジマくん』作者)

松嶋クロスにけしかけられた抗争で柴田大輔と出会う

瓜田純士さんは、見立真一に「ワキガ王子」というあだ名をつけたためにヤキを入れられ、しばらくの間バックレていました。

しかし直の先輩である松嶋クロス(松嶋重)から、関東連合・永福町ブラックエンペラーの敵だった「イラプション」「BAD-G」というチーマーを叩きつぶす代わりに、バックレた件を許す(パイにする)と取引を持ち掛けられ、これを引き受けます。

そこで瓜田純士さんと柴田大輔さんは初めて顔を合わせます。

敵と瓜田さんのタイマンをする場面で現れた柴田大輔さんは、いきなり味方であるS53年世代の一人を殴りつけ(柴田さんはS54年世代)、「地回りを強化しろ」と一喝し、その上で瓜田さんの前に来てメンチを切ったそうです。

そして早くに暴走族として活動していた柴田さんは「同い年だけどオレの方が代は一個上だ」と瓜田さんを威圧します。

そうした流れから結局、内心では認められないままにも関わらず、柴田さんの方が瓜田純士よりも立場が上のようになってしまったようです。

そうした事情からか、瓜田純士さんはその前段で「正直に書く。僕はあまり工藤が好きではなかった」と書いています。

当時は「アウトローとして自分の方が格上という自負があった」といいます。

瓜田純士は柴田大輔にヤキをもらう

さらに木村兄弟の兄(木村泰一郎)も参加した抗争で、瓜田さん自身ではなく木村泰一郎が決着をつけたことで、関東連合メンバーは後輩である瓜田さんたちに激怒します。

松嶋重や他の先輩からヤキをもらった後、柴田さんも瓜田純士を殴りつけますが、まだ寒い季節(2月)で拳もかじかんでいるはずなのに「すごいパンチ力だった」といいます。

この時、他の仲間は1発だけなのに瓜田さんだけ10発以上もパンチをもらいます。

そのために瓜田さんの中で「何かが終わってしまった」と書いています。

バックレた件を「パイにする」を餌に頑張って結果勝っているのに、ここまでヤキを入れられるなんて割に合わず、理不尽すぎると思ったそうです。

この後、瓜田さんらは松嶋重に暴走族(梅里スペクター)をやるよう誘われますが、こうした感情から瓜田さんの不参加へと繋がっているようです。

その後、柴田大輔さんらからも暴走族に誘われますが、作業着で現れた瓜田純士さんはその誘いを「真面目にやるんで勘弁してください」と言ってやはり断り、その代わりに柴田さんから売るよう言われたパー券代を払ったといいます。

これが柴田さんと瓜田純士さんが10代の頃に会った最後だったそうです。

ヤクザ時代には柴田大輔と兄弟分になろうとした?

柴田さんと瓜田さんが再会するのは、大人になってからで「Fura」というクラブでのことだったといいます。

「おお! 純士! すげえ珍しいじゃん。っていうか痩せすぎじゃねえ?」

「お久しぶりっす。また会えて本当に嬉しいっす。でもドラッグはやってないよ。組の義理事でストレスが溜まりすぎて、飯も食えなくなって痩せたんだよね」

引用:柴田大輔『聖域』

柴田さんは瓜田純士さんが痩せすぎているので薬をしているのを疑ったそうですが、瓜田さんはそれを認めなかったそうです。

久しぶりに再会した瓜田さんは、「自分、族(暴走族)じゃないっす、家族っす!」と「目を見開いた笑顔」で意味のよく分からないギャグを連発してきたといいます。

再会が嬉しかったのは本当なのか、瓜田さんもへりくだったように親しく接してきたために、それからはよく会うようになり、当時は柴田さんも瓜田さんを別に嫌いでもなかったそうです。

ある時は、ショットガンで乾杯した勢いで、瓜田さんから「兄弟分になろう」と提案されたことがあったといいます。

しかし柴田さんは、

「なんで? ヤクザでもない俺が兄弟分になる必要があるの? 別に友達でよくない?」

引用:柴田大輔『聖域』

とあっさり断ったそうです。

当時は見立真一や柴田大輔さんには、こうした誘いが頻繁にあったといいます。

瓜田純士が柴田大輔を木村兄弟と引き合わせる

さらに、関東連合と敵対していた木村兄弟の弟・木村孔次朗がたまたま車で通りかかった時、瓜田純士さんは仲が良かったために結果的に引き合わせることになります。

柴田さんは孔次朗の顔は知らなかったものの、瓜田さんから孔次朗だと聞かされて、一度去った孔次朗の車を呼び戻すように頼んだからです。

この時のことについて、柴田さんは「興味がなかったが瓜田の方が『木村孔次朗だ』と言ってきた」としており、瓜田さんの方は「聞かれたので胡麻化しようがなかったので仕方なく『木村孔次朗だ』と答えた」としており、それぞれの証言は食い違っています。

結果的に孔次朗と柴田大輔さんは喧嘩をしますが、その後に兄の泰一郎と話し合いを持ちます。

これで和解する可能性がわずかにできたそうですが、見立真一に話を持っていくと「3億くらい持ってきて、ヤキを入れたら下につけてもいい」と到底飲めるはずのない条件だったために和解は幻に終わってしまいました。

『遺書(いしょ)』ではなく『うしょ(うそ)』

柴田さんが『聖域』で言うには、一度は仲良くなった瓜田純士さんと縁が切れた理由はこうしたことだそうです。

  • 瓜田純士が知合いのモデル「M」のストーカーのようになり、「Mは俺の女だ!」と言うようになった。
  • 言動がまったく理解できないものになった。

それから電話には一切出ないようになったといいます。

その後、瓜田さんは兄貴分がシャブに狂ったり、兄貴分の犯した殺人の件もあってか、ますます言動がおかしくなったとしており、そのために瓜田純士さんの著書『遺書』の内容も「推して知るべし」としています。

柴田さんの周辺では『うしょ(うそ)』と呼ばれて馬鹿にされているといいます。

柴田大輔は出版後に関東連合に飲み屋でボコられた?

瓜田純士さんは『遺書』の文庫版(竹書房文庫)の後書きで興味深いことを書いています。

それは「工藤明男は街の飲み屋で先輩らにボコボコにされた」(らしい)という一文です。これはおそらく、『いびつな絆』などの本を独断で出版して見立真一を中心とした関東連合を叩いたことが原因だったと思われます。

一方、瓜田さんはそれでも「奴の性格なら今頃もケロっとしているだろう」としています。

さらにはこんな意外なことも。

ある媒体の編集長を通じて、柴田大輔さんから

『今度 web のニュースサイトを立ち上げたい。そこで瓜田には好きに書いて良いからと、連載をさせて誌上プロレスをしたいとヤツを釣って欲しい。目立ちたがりやの瓜田なら喜んで乗る筈だ。こっちも好きに書いて論争したい』

そんなメッセージが送られてきたというのです。

たしかにこれが実現したら、ネットは盛り上がったかもしれません。

しかし、その誘いに対して瓜田さんは「工藤の金もうけに乗るつもりも関わるつもりもない」「生きてるところが違う」として拒絶したといいます。

柴田大輔さんも瓜田純士さんもお互いに、それぞれのフィルターを通して見ると、まったく違った印象を受けるのが興味深いところです。

この記事は以上になります。

タイトルとURLをコピーしました