禅語によって死を決した龍造寺隆信

龍造寺隆信は、戦国時代に肥前(現在の佐賀県)を治めており、「肥前の熊」とあだ名された戦国大名である。

同じような逸話が武田信玄と上杉謙信の話としても伝えられており、史実かどうかは疑わしいところもあるが、この龍造寺隆信には死の間際、自分の首を取る者と禅語で会話をかわしたという話が残されている。

龍造寺隆信の最期

隆信は肥満体の巨漢で、戦場では6人の者に山駕籠(やまかご)で担がれて指揮を執った。沖田畷(おきたなわて)の戦いで、もはや隆信の軍の敗勢は明らかになり始めた時だった。

6人の山駕籠を担ぐ者も打ち取られて身動きが取れなくなった隆信の前に、川上左京亮(さきょうのすけ)忠智という敵の武士が迫ってきた。

隆信は死が目前に迫っているにも関わらず、傲然と構えて川上忠智に問いかけた。

お前は大将の首の取り方を知ってるのか?

それに川上忠智は『臨済録』の言葉を引いて答える。

如何なるか、是れ剣刃上の事

隆信は満足し、同じく禅語で返して首を差し伸べた。

紅炉上一点の雪

77 名前:人間七七四年 投稿日:2010/01/17(日) 11:...

解説

功成り名を遂げた隆信としては、死ぬことは避けられないまでも、自分の首をそこら辺の雑兵に渡すのは惜しい。その隆信の僅かな逡巡・迷いこそが最初の「お前は大将の首の取り方を知ってるのか?」という問いかけとなって発せられる。それは言い換えれば「お前は私の首を取るのに相応しい人間なのか?」という問いかけなのである。

それに対する川上忠智の「如何なるか、是れ剣刃上けんにんじょう」は『臨済録』の中に見られる「振り上げた刀は如何か」という問いかけであって、隆信の問いに問いで返したことになる。

ゆえに、厳密に言えば隆信の最初の問いかけに対する答えにはなっていないが、しかし隆信の傲然とした問いかけに動じずに禅語で「死の覚悟」を逆に問うて切り返した川上忠智の所作は、隆信に「目の前の男は単なる雑兵ではない」ということを感じさせ、したがってこれ以上ない形で「大将の首の取り方を知ってるのか」という最初の問いに答えたことになる。

この逸話の秀逸さとは、一見すると隆信の第一の問いかけを無視したかのような川上忠智の返答が、実は巧みに第一の問いかけを処理し、解決しているというパラドックスにある。

紅炉上一点の雪」とは『続近思録』にある言葉で、真っ赤に燃える囲炉裏(いろり)に一粒の雪が落ちてあっという間に溶けてなくなるように、煩悩や迷いが一瞬で消失する様を譬えたものである。

まさに「そこら辺の小童に自分の首を渡したくない」という隆信の「わずかな迷い=一点の雪」は、川上忠智の「如何なるか、是れ剣刃上の事」という禅語での返答によって、あっという間に溶けてなくなってしまう。

隆信はこの「紅炉上一点の雪」の言葉で、既に覚悟を決めて生死の迷いを持たない己の心を表現し、遠慮なく首を落とすようにと川上忠智を促したのである。

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