ディオゲネス・ラエルティオスの『ギリシア哲学者列伝』では、プラトンが、ソクラテスの他の弟子たちを良く思っていなかったかのような記述がある。
その箇所を読むと、まるでプラトンは、自分以外のソクラテスの弟子たちのことは、一人残らず嫌っているかのような印象を受ける。
プラトンが ソクラテスのその他の弟子を嫌っていたという話
プラトンとクセノポン
ディオゲネス・ラエルティオスは、プラトンとクセノポンは互いに競争心を持ち、嫌い合っていた可能性を示唆している。
そこで挙げられる最初の根拠は、プラトンとクセノポンは、互いに対抗心を持っているかのように同じ主題の書物を書いていることである。確かに、両者には『ソクラテスの弁明』『饗宴』という同じような題の著作がある。
ラエルティオスは、一見関係なさそうなプラトンの『国家』とクセノポンの『キュロスの教育』も似た主題を扱い、(どちらが先に書かれたかは分からないが)対抗意識から書かれたかのように推測している。
またプラトンは『法律』の中で、「(クセノポンの)『キュロスの教育』は作りごとである、なぜなら、(大)キュロスはそこに描かれているような人間ではないから」と述べているようだ。
そして、両者とも著書でソクラテスを話題にしているのに、クセノポンの『ソクラテスの思い出』の第3巻6章の1節で、わずかにプラトンが言及される以外、一切互いに言及しない。
その例外的なクセノポンの『ソクラテスの思い出』での該当箇所も、「(その他の人や)プラトンの縁故で(グラウコーンという)この青年に好意を持っていた」とする間接的な言及だけで、プラトンその人が登場するわけではない。
プラトンとアンティステネス
犬儒派(キュニコス派)の開祖となったアンティステネスとプラトンについては、こんな滑稽な逸話が取り上げられている。
アンティステネスが自分の作品を朗読する席で、プラトンが招待されていた。
プラトンが「何を読むのか」と訊くと、それは「人に反論することはできないということについてだ」とアンティステネスが答える。
するとプラトンは、「それなら君はいったいどうやって、その事柄について書くつもり(書いたの)かね」と言った。そのテーマで書くなら、必然的に「人に反論することはできる」という通念に反論する形で書くことになるからだ。
それで恥をかかされて根に持ったのか、アンティステネスは『サトン』(現存しない)という題でプラトンを攻撃する対話篇を書いたという。
ラエルティオスは、それ以後、両者は疎遠になったとしている。

プラトンとアリスティッポス
ラエルティオスは「プラトンはアリスティッポスとも仲が悪かった」と書いている。
しかしそこで挙げられている根拠は、プラトンの『パイドーン』の中で、アリスティッポスがアイギナのように近いところにいながら、ソクラテスが死ぬ時に側にいなかったと書いていることが、アリスティッポスへの誹謗だということである。
『パイドーン』の該当箇所は、登場人物のエケクラテースがパイドーンに、ソクラテスが毒杯を呑む時、周りに誰が居合わせたのかを次々に尋ねるシーンである。
その記述はこのようになっている(訳は新潮文庫の田中美知太郎による)。
エケクラテース アリスティッポスとクレオンブロトスは? いましたか。
パイドーン いいえ、彼らはアイギーナにいたそうです。
たったこれだけの記述である。
私はギリシャの地理に詳しいわけではないので、アテナイとアイギナがどれだけ近いのか分からないが、距離感が分かる人にはこの記述だけでピンと来るということだろうか。
いずれにしろ、このラエルティオスの記述はやや理解に苦しむ。
しかも当のプラトンは『パイドーン』の中で、パイドーンに「プラトーンは病気だったように思います」と言われ、登場しない、つまり「病欠」なのに、である。
プラトンとアイスキネス
アイスキネスに関しては、彼が経済的に窮して、シケリア(シチリア)の僭主、ディオニュシオス(おそらく一世)のところに行った時、「アリスティッポスはかばってくれたのにプラトンからは軽蔑された」と書かれている。
『ギリシア哲学者列伝』の列伝別では、「プラトン」の項では既に書いたように「軽蔑」とあり、「アイスキネス」の項では、これが「無視」となっており、代わってアリスティッポスがディオニュシオスに彼を紹介してくれた、とされている。
また、プラトンの『クリトーン』でソクラテスに脱走を勧めたとされているクリトンだが、実は脱走を勧めたのはアイスキネスであり、プラトンはアイスキネスを快く思わなかったために、それをクリトンに変えたのだとしている。
総評
こうして見ると、如何にもプラトンが自分以外のソクラテスの弟子を手当たり次第に嫌っているような印象を受ける。
だが、もしディオゲネス・ラエルティオスの記述を無視した場合に、そのような可能性について考えるとすれば、信憑性があるのは、実際似た主題の本を多く書いており、如何にも気質的に異なっていそうなクセノポンとの不仲くらいだろう。
しかしそもそも、ディオゲネス・ラエルティオスの『ギリシャ哲学者列伝』は、とある高貴な女性に献呈するために書かれたものであり、その女性は特にプラトン哲学を愛好していたらしい。
ゆえに、その女性にプラトンの悪い印象を、わざわざ全く信憑性のない話を持ってきてまでPRするとも思えない。それはキムタクファンの前でキムタクの悪口を声高に言うようなものだからだ。だから、少なくとも著者のラエルティオス自身は、ある程度そのような可能性を信じていたのだろう。
もちろん、プラトンその人がそのような癖のある人だった、で片付けられもするが、他に納得のいくように解釈するならば、プラトンほどの人だから、名誉心も極端に強く、それがソクラテスの彼以外の弟子に対する競争心や対抗心として現れた、ということなのだろう。