哲学者が書いた分かりやすい本をピックアップして紹介

哲学初心者、哲学や哲学者に興味がある人のために、哲学者が書いた分かりやすい本をピックアップして紹介します。

先に「選考の条件」を説明しますが、そういう前置きに興味のない方は、目次を開いて「哲学者が書いた分かりやすい本」をクリックして飛ばして下さい。

選考の条件

選考の条件は、

  1. 哲学研究者ではなく、実際に哲学者が書いている。
  2. ともかく分かりやすい(難しくない)。
  3. 没後にある程度の時間が経過している。

という感じです。

何故そのような条件で選んだを説明すると、「1、哲学研究者ではなく、実際に哲学者が書いている」は、哲学研究者が書いた本を読んだところで、たぶん実際に哲学者に近づくことはできないと思えるからです。

それよりも、本当に哲学者が書いた本を読むことで、その哲学者に関心や親近感を覚えた方が、哲学に近づくための近道だと思います(まあ実際には読んでみなければ分かりませんが)。

また断っておかなければいけないのは、選考条件は「哲学者が書いた」なので「哲学書ではないもの」が含まれます。あらかじめ、ご了承下さい。

2の「ともかく分かりやすい」は説明する必要もないですが、いきなり難しい本に飛びついても挫折して嫌になるだけだと思います。

3の「没後にある程度の時間が経過している」についてですが、結局、時間はその著書が本物か偽物かを暴露するためです。

ある程度時間が経った後で見向きもされなくなるような本を読むのは(読む目的にもよるし、これは私の感じ方に過ぎませんが)虚しいので、書いた哲学者が亡くなってからある程度の時間が経過したものを選考しました(一冊だけ30年くらいしか経ってないものが混じってます)。

哲学者が書いた分かりやすい本

ルネ・デカルトの『方法序説』

言わずと知れた、といったところかもしれません。フランスの哲学者で、西洋の近代哲学の祖といわれるデカルト(1596~1650)の書いた『方法序説』はとても分かりやすいです。

内容について説明すれば、「私はこういう考え、こういう経緯で、こういう哲学の方法(真理を探求する方法)が正しいと思いました」ということを説明するための本です。

だから、れっきとした哲学書です。

  1. 哲学者が書いた
  2. 分かりやすい
  3. 哲学書

という三点セットで欲張るなら、これがオススメです。

お堅い言葉で言うなら、「方法的懐疑」というものが説明されます。ただ、彼自身は「方法的懐疑」という言葉を使ってはいないと思います。方法的懐疑という言葉の由来になったであろう箇所を引用するなら、こんな感じです。

(前略)疑いをさしはさむ余地のまったくないほど明晰かつ判明に精神に現れるもの以外は、何もわたしの判断のなかには含めないこと。

この文は、デカルト自身が決めた四つの思考の規則を説明する箇所の最初に出てくるものです。

また、有名な「我思う、ゆえに我あり(コギト・エルゴ・スム)」という言葉も出てきます。

オルテガ・イ・ガセットの『大衆の反逆』

デカルトやモンテーニュに比べれば知名度には劣りますが、スペインの哲学者オルテガ(1883~1955)の『大衆の反逆』もオススメです。

この人は早熟の天才児だったらしく、7歳の時にスペインの古典であるセルバンテスの『ドン・キホーテ』を与えたところ、3時間後には第一章を暗唱していたという物騒な逸話(?)を持っています。

内容に関しては、世相批判的文明論みたいなところでしょうか。世相批判といっても、当時の世相なんてよく分からなくても興味を持って読めますので、そこは心配しなくていいです。

だから、素直に文明論として読んだらいいと思います。私はこれを20歳くらいの時に初めて読んだ時、あまりに面白くって鼻血が出そうなくらい興奮しました。

こんな記事↓も書いてます。

大学のころスペインの哲学者オルテガの『大衆の反逆』を読んだ。 私は本を読むとき、気にいった文章や心を動かされた言葉などに線を引きながら読む...

歴史的な背景としては、当時のスペインは有名なスペイン内戦が勃発する前で、アナルコ・サンディカリスムとかいう社会主義の亜流みたいなものが力を持っていました。つまり、自由主義勢力がちょっと押されてたわけですが、オルテガは生粋の自由主義支持者なので、それの擁護のために書いたような側面もあります。

内容についてもうちょい説明すると、健全な生は高い使命感を持った少数の貴族的な人間が多くの凡庸な人間をひっぱるものだ、近代文明が生んだ「大衆」というものは、誰の指導にも従わない凡庸人という点でそうした生の根本原則に背いており、未曾有の危険を孕(はら)んでいる、みたいなことを言ってます。

大衆批判の先駆みたいなものですね。だからその点で、最近自裁されて亡くなった保守知識人の西部邁先生なんかも好まれてました。

ちょっと引用してみます。

創造的な生とは、エネルギッシュな生であり、それは次のような二つの状況下においてのみ可能である。すなわち、自ら支配するか、あるいは、われわれが完全な支配権を認めた者が支配する世界に生きるか、つまり、命令するか服従するかのいずれかである。

読みやすいのは、著作として最初からまとめられて出版したものではなく、新聞に連載する形で不特定多数の人に読まれる前提で書かれたからだと思います。文体も情熱的でとても魅力があります。

エリック・ホッファーの『エリック・ホッファー自伝』

アメリカの哲学者・エリック・ホッファー(1902~1983)の『エリック・ホッファー自伝』(副題は『構想された真実』)はとても読みやすく、しかも面白い本です。

タイトル通り哲学書でも文明論でもなく自伝ですが、「沖仲仕の哲学者」とあだ名されたエリック・ホッファーはともかく変わり種で、異端の哲学者といっていいと思います。

手元の『エリック・ホッファー自伝』を参照すると、母親を亡くしたのと同じ年の7歳の時に失明、15歳で原因不明の視力回復、正規の学校教育は一切受けてない、18歳で父親もなくして天涯孤独になる、28歳で自殺未遂、1941年から1967年まで港湾労働者として働く等、到底哲学者の経歴とは思えないような文言が並びます。

『エリック・ホッファー自伝』の「自己欺瞞なくして希望はないが、勇気は理性的で、あるがままにものを見る」という言葉は知ってる方もおられるかもしれません。『自伝』の「希望ではなく勇気」という章に出てきます。

その章の内容は、ヒッチハイクである運転手の車に乗せてもらったホッファーが、その運転手から「希望ってのはとても大事だ。ゲーテもそう言ってる」みたいなことを聞くのですが、反論こそしないもののホッファーは内心「そんなことを言ったとしたら、ゲーテはまだその頃、小者だったのだ」と思う。

後で図書館で調べたところ、実際にホッファーが思った通りゲーテはそんなことを書いておらず、運転手は「希望」という言葉と「勇気」という言葉を取り違えていたのだ、ということが判明する、というお話です。

モンテーニュの『エセー』

フランスの哲学者であるモンテーニュ(1533~1592)が書いた『エセー』はとても読みやすい本です。哲学書というよりかは随筆で、あまり抽象的で堅苦しい哲学用語は使用されず、話題も人間の性格、歴史上の出来事や歴史上の人物、戦争での軍人の振る舞い方といった感じで多岐に渡ります。

ちなみにこんな記事↓も書いてます。

数年前に読みやすいと評判の宮下志朗さんの新訳版で、モンテーニュの『エセー』(白水社)を読んだ(もっとも私は新訳だと知らずに、たまたま行き当た...

難をいえばあまりに長大で、白水社版では全7巻、岩波文庫版では全6巻もあり、初学者がいきなり飛びつくにはハードルが高いのかな、という感じがします。

おまけ・サルトルの『実存主義とは何か』

サルトルの『実存主義とは何か』は、高校生の時に読んで「分かりやすいな」と感じた記憶があります。高校生の私でもそう感じることができたんですから、たぶん誰にでも読めるんじゃないかと思います。

ただし、私はそれほど感心しなかったし、サルトルはやや「時代の寵児」的な感じで過大評価されているという印象があるので、「おまけ」にしました。

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