落合博満の伝説とエピソード!高校・現役・監督時代と全部が凄い!

野球を知ってる人は、落合博満はとても偉大な野球選手だといいますよね。

ただ現役時代や野球を知らない人には、「テレビやラジオ出て、何か語るたびに周りの人が感心して聴いてる」程度の印象しか伝わりません。

もしくは、とんねるずの「細かすぎて伝わらない物まね選手権」での物まねしか知らないとか……。

いったい、落合は、どういうところが凄いんでしょうか?

落合博満の高校・大学・現役時代のエピソード・伝説を調べてみました。

落合博満のエピソード・伝説

高校・大学時代

落合博満は1953年生まれ、出身地は秋田県の南秋田郡、若美町(現男鹿市)という町です。

その時代の多くの野球少年がそうであったように、長嶋茂雄や王貞治に憧れて野球を始めました。

しかし高校は、体罰を肯定するような体育会の気風を嫌い、甲子園常連校には行かずに、秋田工業という無名高に進学します。

甲子園常連校と違い、キツい練習をしないだろうということで、「練習が楽そう」という理由からです。

ところが、落合の予想に反して、秋田工業にも先輩による理不尽なしごきなどがあり、落合の嫌いな体育会的練習をしていたので、嫌気が指して退部してしまいます。

しかし投げるにも打つにも、落合ほどの実力を持った選手がいなかったため、試合が近づくと部員たちに説得されて戻ってきます。

そんなことを毎度繰り返したので、合計で8回入部、7回退部、という伝説まで残しています。そのために毎試合、ほとんど練習していないのに4番として出場していたそうです……。

落合は大の映画好きで、中学時代とこの高校時代には年間100本もの映画を鑑賞したとか。

当然、野球をする時間よりも映画館にいる時間の方が長くなります、ってどんな野球部員だよ‥‥…。

ちなみに、お気に入りは『マイフェア・レディ』、ちょっと意外ですね。7回も見て、劇中の歌詞を覚えてしまったとか。好きなものにはトコトン、っていうタイプみたいですね。


そして大学時代ですが、東洋大に進学するものの、先輩が煙草をくわえたらすぐに火をつける、といった体育会的慣習に馴染むことができず(やっぱり…)、故障したこともあり、わずか半年間で退部。

しかも大学まで中退して秋田に帰ってしまいます。

秋田に帰った落合はボウリング場でアルバイトを始めますが、そこでボウリングに目覚め、プロボウラーを目指します。

ところが、ボウリングのプロテスト受験の日、スピード違反で捕まってしまい、反則金を支払ったことで受験料が払えず、挫折しています。

しかし、ここでプロボウラーになっていたら、もしかしたら後の落合の野球選手・監督としての活躍はなかったかもしれませんから、人生ってどう転ぶか分かりませんよね。

社会人野球からプロ野球選手としての現役時代

落合はその後、高校時代の恩師の勧めもあり、東京芝浦電気の府中工場に入社、そこで社会人野球の選手になります。

在籍5年間の公式戦で約70本塁打を放つなど、活躍します。

その頃の落合は、日中はトランジスタラジオの基板を組み立て、夕方から野球の練習をする、という生活を送っていたそうです。

そして社会人野球での活躍もあり、25歳の時にプロ入り。野球選手は高卒でプロになるのが珍しくないですから、非常に遅いプロ入りということになります。

落合はプロ入り後、バッティングフォームを我流で矯正するなどし、3年で史上最年少の三冠王に輝きます。その後も2度三冠王に輝き、合計で3回の三冠王を記録しました。

神がかり的バットコントロール

現役時代の落合について、その選球眼・ボールを思った通りの場所に運ぶバットコントロールには定評があります。

こんな凄いエピソードも。

落合がグラウンドで打撃の練習中、マスコミのカメラがたくさん来ていました。
カメラが目の前を通るたび、落合は「危ないよ」と何度も警告を発します。

しかし落合の打撃練習をいい場所で撮影したいカメラマンは、それでも居座ろうとしました。業を煮やした落合は「じゃあ、そこ、狙うから」と言い、1球目でカメラマンのカメラレンズへ直撃させました。

もちろんカメラレンズは破損。時価1000万円もするカメラだったと言います。

ところが、カメラマンはその時に撮影した迫力満点の映像のために、社長賞を受賞しました。その映像がこれ。

落合、カメラを壊す

そのカメラマンは後日、落合にお礼を言いに来たという話です。

ピッチャー返し

そんな落合のバットコントロールは、東尾修に対する強烈なピッチャー返しのエピソードでも知られています。

ピッチャー返しとは、ピッチャーによるデッドボールに対し、バッターが球を打返してピッチャーの体に当て、仕返しすることです。

普通、どんなに腹が立っても、そんなことできませんよね。それを可能にするようなバットコントロールが必須ですから。落合の伝説は、もはや漫画の世界です。

落合博満 – 東尾修に死球の報復に投手強襲安打

監督時代

現役引退後、落合は中日ドラゴンズの監督として就任します。

現役時代のエピソードがあまりにパンチが効き過ぎているので見落としがちですが、落合は監督としての実績も素晴らしいものがあります。

監督を務めた8年間で4度のリーグ優勝し、すべての年でAクラス入りを果たしています。

しかし監督時代も、落合の強固な個性は健在で、そのために一部の球団幹部と対立してしまったようです。

2011年に監督を退任しましたが、ファンサービスにあまり熱心でなく、「勝てばファンはついてくる」と発言したことを、2012年の中日ファンクラブ会報誌で露骨に批判されました。

もっとも、そんなことがあったとしても、現役・監督時代通じた、落合の輝かしい実績が曇るようなことはありません。

まとめ

落合は体育会的気風を苦手とした異端児で、優れた投打のテクニックで、高校時代、プロ時代ともに数々の伝説を残しています。

  • 高校時代は練習してないのに4番で試合に出る。
  • 一時はプロボウラーを目指し、野球から完全に離れる。
  • 史上最年少で三冠王に。
  • 神がかったバットコントロール。
  • 監督としての実績も豊富。

以上です。如何だったでしょうか?

少しでもお役に立てたのなら幸いです。

フォローする