哲学者オルテガの犬儒派に対する評価

スペインの哲学者オルテガ・イ・ガセットは、その著書『大衆の反逆』の中で古代ギリシャの哲学者のディオゲネスとその犬儒派の思想に触れている。

オルテガの『大衆の反逆』

ファシストやシュルレアリスト

オルテガは、ファシストを「慢心しきったお坊ちゃん」に例えて批判する。オルテガは、ファシストは政治的自由がなくならないからこそ安心して自由を誹謗していられるのだとする。

シュルレアリストについては「他の人々が『ジャスミンとか白鳥とか半獣半人とか』書いたところに、書く必要もない一言を書き加え全文学史を超克したと信じ込んでいる」と辛辣だ。

つまり、ファシストもシュルレアリストも、満たされ過ぎた現状に対する一種の甘えから、そのような非生産的な批判に溺れているのだとする。

オルテガの犬儒派哲学への評価

その文脈で、オルテガは古代ギリシャの犬儒派(キュニコス派)の思想について触れる。

ディオゲネス(紀元前412年?~323年)は質素な生活と奇人変人ぶりでも知られた古代ギリシャの有名な哲学者である。 樽の中で暮らしたこ...

そうした「成熟した文明に対する甘え」という点で、犬儒派と(オルテガの視点からの)ファシストやシュルレアリストには共通するものがあるという。

ディオゲネスは泥まみれのサンダルをはいてアリスティプスの絨毯の上を歩いた。(一行略)ところで、彼らがやったことは、当時の文明をサボタージュすることに他ならなかったのである。彼らはヘレニズムの虚無主義者だったのだ。彼らは、何も創造しもしなかったし、何も成しはしなかった。彼らの役割は破壊であった。というよりも破壊の試みであったというべきであろう。なぜならば、その目的さえも達成しえなかったからである。文明の寄食者である犬儒主義者は、文明はけっしてなくならないだろうという確信があればこそ、文明を否定することによって生きているのだ。

このようにかなり辛辣だ。
犬儒派の思想を「文明のサボタージュ」とするオルテガの解釈は興味深い。

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