大東旭(ダブルヒガシ大東の父親) のK-1魔裟斗戦やその他の戦績は?

1月12日の「人志松本のすべらない話」のすべらない話にダブルヒガシ大東翔生(おおひがししょうい)さんが出られましたね。

翔生さんは父親の元プロボクサー大東旭さんのお話をされていました。

大東旭さんのボクシングやK1での戦績はどんなものだったんでしょうか?

詳しく調べてみました。

大東旭のプロフィール

本名 大東 旭(おおひがし あきら)
階級 スーパーウェルター級
身長 173cm
国籍 日本
誕生日 1970年4月10日(48歳)
出身地 日本の旗 日本大阪府
スタイル オーソドックス

引用:Wikipedia

大東旭のボクシングの戦績

大東さんは1988年4月25日、18歳の高校3年生でプロデビューしました。

1996年2月11日に日本ジュニアミドル級タイトルマッチで伊藤辰史と戦って、8回KO勝ちでチャンピオンになりました。

しかし同年の6月にビニー・マーチンと再戦して王座陥落。ところがまたその年の12月に同じくビニー・マーチンから王座を奪還しています。4回KO勝ちでした。

日本Jミドル級TM  ビニーマーチンVS大東旭 ハイライト

その後、この王座を10度も防衛、うち3回は最初に王座を奪った伊藤辰史のリベンジを退けての防衛でした。

WBC世界スーパーウェルター級5位、またWBA世界スーパーウェルター級8位にもランク。日本王座返上を返上してからも戦い続けますが、サイシーレック・チョーチャンタヤカーン相手に引退試合を行ってプロボクシング界から引退しています。

ボクシングの戦績は50試合39勝(KO26)8敗3引き分けでした。

大東旭のK-1の戦績

大東旭さんはボクシングに全てをささげていたため、引退後は燃え尽き症候群のようになって生きがいを失い、同時期に母親を亡くしていたこともあり、酒浸りになりました。

しかし、秋山成勲に打撃の指導を行ったことがきっかけでK-1への転向を決意、酒で肥満気味だった体もまたたくまに絞ります。

こうして2005年10月12日にK-1 WORLD MAXでアルバート・クラウスと対戦しますが、序盤はパンチで追い詰めるシーンも見られましたが、ローキックのダメージによってKO負けします。

Albert Kraus vs Akira Ohigashi

次に2005年12月31日、魔裟斗と対戦しましたが急なオファーだったせいもあってか、やはりローキックでKO負けを喫しました。

K-1Dynamite05' 魔裟斗vs大東旭

2006年2月4日には上山龍紀と対戦しますが、KO負けこそしなかったものの判定で敗退しました。結局これがK-1の最後の試合になり、戦績は3戦3敗という結果に終わりました。

【準々決勝】大東旭vs上山龍紀<K-1 WORLD MAX 2006 日本代表決定トーナメント>

大東旭の引退後

2005年11月、西日本ボクシング協会の「K-1や総合格闘技等に出場するボクサーは、引退後のセコンド、トレーナーライセンス、ジム設立の許可を一切剥奪する」という宣言によって大東旭さんは半ば追放の身になりましたが、引退後は無事ボクシングに携わることができました。

大東旭さんは大阪市西成区の渥美ジムで会長代行を務め、後進の育成に励んでいるようです。

以上です。最後までお読みいただきありがとうございました。