鬼丸慶一郎と鬼丸軍団 大宮の伝説のチーマー?大宮緋龍会の総長?

俳優の鬼丸さんは、若い頃、不良として有名だったという話があります。

ここでは鬼丸さんの不良時代の話をまとめてみました。

話の性質上、掲示板やブログでの噂話を切り貼りしてまとめたものなので確実性は保証できません。また時系列については必ずしも正確ではないかもしれませんが、ご容赦下さい。

鬼丸慶一郎


出典:https://news.goo.ne.jp/entertainment/talent/M03-0114.html

鬼丸さんの本名は「鬼丸慶一郎」というようです。

その苗字の「鬼丸」だけを取って芸名にしたみたいです。

生年月日は1973年3月10日。

高校は大宮工業高校を中退だという話がありました。

ちなみに、鬼丸さんはお笑い芸人の土田晃之と友人だったという真偽不明の噂もあります。掲示板ではあまりそれを主張する人や同意する声は少なかったのでやや胡散臭いかなとは思いますが、たしかに鬼丸さんが1973年3月、土田さんが1972年9月生まれなので同学年、しかも土田さんも大宮育ちなので一応地理的・世代的にはあり得なくはないです。

しかし土田さんの高校は埼玉工業大学深谷高等学校ですが、鬼丸さんが大宮工業高校中退だとされるなら、少なくとも高校は一緒ではありません。

もしこの話が事実に反して作られたとするなら、おそらく土田さんが元ヤンキー、大宮育ち、生年月日といった偶然の一致から連想されて作られた話だと思います。

しかし例えそれが偶然の一致だとしても、確かに多くの点で一致しているために信じたくなる話ではあります。

暴走族の大宮緋龍会総長

鬼丸さんは暴走族の関東武蔵連合・大宮緋龍会のトップになります。18か19までは大宮緋龍会の現役でした。

大宮緋龍会の前の総長は「田中ヒロ」という人だったそうです。

また当時、大宮緋龍会には大塚総業という(おそらく住吉会系)ヤクザ組織がケツ持ちとしてついていたといいます(鬼丸さんは一時期、この大塚総業で部屋住みをしていたとか盃を受けたとかいう噂もあります)。

関東武蔵連合とは、関東連合が宮前愚連隊やブラックエンペラーといったいくつかのチームの連合体であるのと同様、埼玉の暴走族連合と思われます。

そしておそらくこの大宮緋龍会の時に起こした事件で少年院に入れられたと考えられます。鬼丸さんは2019年3月に閉鎖された小田原少年院に入っていたとされ、少年院には約2年間いました。

出所してからダンサーになりますが、不良だった時期とダンスを始めた時期は微妙に重なっている可能性があります。

伝説のチーマー?
もしくはギャング(青ギャン)か

鬼丸慶一郎の関連キーワードとして「伝説のチーマー」というものがあります。

いくつかのページで「伝説のチーマー」として紹介されていたり、そのようなタイトルの関連動画があるのが理由のようです。

下がその動画です。

大宮 伝説のチーマー 鬼丸

この動画は「大宮 伝説のチーマー 鬼丸」というタイトルですが、中身は鬼丸さんが出演した「ジャンクフード」という映画のシーンを切り取ったものです。(現在は削除済)

ちなみにこの映画で鬼丸さんと共演した「義幸」さんは覚醒剤と殺人放火で逮捕されているそうです。某掲示板では鬼丸さんとこの「義幸」さんがゴッチャにされて、「伝説のチーマー・鬼丸義幸について語れ」みたいなスレが立てられたことがありますが二人は別人です。

そして、鬼丸さんについては「チーマーではなくギャング(カラーギャング)」という説が有力で、それも青の衣服で身を固めた「青ギャン」だったそうです。

この鬼丸軍団の「青ギャン」は「クリップス」とも呼ばれることがあります。

しかし、ギャング自体がチーマーからの流れで変化したものなので、鬼丸さんがチーマーだったこととギャングだったこと、どちらとも間違いではないのかもしれません。

つまりチーマーになって、そこからの流れで自然にギャング(青ギャン)になったということではないでしょうか。

必ずしも喧嘩無敗ではない

鬼丸さんについて、その不良としてのカリスマ性や強さが伝説になっているという話が多いですが、意外にも「鬼丸が誰それに負けた」という話自体はさほど珍しくありません。

ただし鬼丸慶一郎さんは喧嘩は通算50勝くらいしているというほど数多くの修羅場をくぐっているので、喧嘩の総数が多いせいで結果的にたまに負けることもあったとも言えます。

そして裏返せば、必ずしも喧嘩無敗でない鬼丸慶一郎は、腕っぷしや恐怖政治によって仲間を支配していたわけではなく、人望やカリスマ性によって仲間を集めていたともとれます。

しかし、『グラップラー刃牙』の花山薫のモデルになった安藤組の花形敬のような「ステゴロで無敵・無敗」のようなタイプの不良ではなかったことは確かのようです。

鬼丸慶一郎と鬼丸軍団

鬼丸軍団とは?メンバーは?

鬼丸軍団というのは正式なチーム名ではなく、当時鬼丸さんを中心に集まっていた不良たちを、「鬼丸軍団」としてくくっていたようです。

おそらくチーマー、もしくはギャングの集団だったと思われます。

特に大宮の「LOOSE」(ルーズ)というチームは、鬼丸軍団を母体とした青ギャングチームだったとされています。

しかしこれは鬼丸さんが関わっていた大宮のストリートファッション・ショップの「LOOSE」と混同されている可能性もあります。また一方でそこから派生して鬼丸軍団のチーム名を「LOOSE」と呼んでいた可能性もあるかもしれません。

週刊ポストのカラーギャングをめぐる記事では、こんな記述がありました。

 現在30代後半で、初期のカラーギャングを知る青ギャングOBはこう話す。

「最初は『青』だった。埼玉の大宮が発祥で、映画俳優もしていたアウトローのカリスマが仲間と一緒に立ち上げたんだ。彼が青い色のギャングファッションばかりを置いたショップ『L』を経営していたので、後輩が慕って身につけた。そして『青』は大宮から池袋、そして横浜へと広がっていった」

引用:https://www.news-postseven.com/archives/20130409_181182.html

「映画俳優もしていたアウトローのカリスマ」とは鬼丸慶一郎さんのことであり、「青い色のギャングファッションばかりを置いたショップ『L』」とは『LOOSE』を指しています。

そしてこの記述を信じるなら、「鬼丸軍団」は、後輩たちが彼を慕い、彼が関わったショップ『LOOSE』の服を身に着ける過程で自然に形成されていった、と考えられます。

ところで「鬼丸軍団」のメンバーとして掲示板で名前が挙がるのは、

  • 健太(ケンタ)
  • 新田
  • ボブ(BOB)
  • いさお

といった人です。

しかし断片的な情報しかないので、一人一人がどういう人か詳細は不明です。もっともよく名前が聞かれた「健太(ケンタ)」は、鬼丸と同じかそれ以上に危険という人もいました。

また鬼丸軍団とはいえませんが、鬼丸慶一郎の同世代に「進藤」という人がおり、この人は鬼丸さんでも頭が上がらないほどの人だったといいます。この「進藤」さんは早い時期に稼業(ヤクザ)入りしたとのことです。

鬼丸軍団は足立フライズと抗争?

1996年あたりに、大宮の鬼丸軍団と足立区綾瀬のフライズというバイカーのチームと抗争になります。これは鬼丸さんが23歳ごろのこととされます。

調べる限り、当時鬼丸軍団は大宮のみならず浦和にもいたようで、浦和には鬼丸さんの兵隊が100人規模でいたともいい、その浦和の者が足立勢と揉めたことで抗争が始まったようです。具体的には、浦和の「ベース」というクラブで、足立の人間と浦和の人間が揉めたことが切っ掛けでした。

抗争は5つほど年下の世代が始めたものですが、これに鬼丸慶一郎さんは介入、あるいは落としどころを見つけようとします。

この抗争は凄惨をきわめ、互いにメンバーを拉致、車で轢き合うなどをして、大宮の鬼丸軍団は2名も死者を出したともいいます。

とうとう3対3(鬼丸は含まれず)のタイマンまでしましたがそれでも決着はつかず、長期間続いた抗争の末、結局ヤクザに頼んで数百万の示談金を足立フライズに支払うことで決着がついたそうです。

これについて、掲示板などでは「鬼丸がタイマンから逃げた」とか、「鬼丸がタイマンを避けたほどの者、当時の綾瀬の頭って誰なんだ?」という声が上がっていますが、綾瀬の頭が誰かは不明です。

ただその人は既にカタギとして真面目に生きているといいます。

関東連合の川名毅と揉めた?

驚くべきことに、鬼丸慶一郎さんは関東連合の川名毅(川奈毅)と揉めたという話があります。ちなみに鬼丸さんは1973年3月(昭和48年)生まれ、川名さんは昭和46年世代です。

この事件の経緯や結末はこのように伝えられています。

当時、『ゴールド』(たぶんクラブ)という店は杉並勢が仕切っていました。

そのことを知らなかった鬼丸慶一郎はじめ鬼丸軍団のメンバーが遊びに行ったところ、川名が鬼丸軍団の一人を「ブラックジャック」でボコボコにしてしまったそうです。

「ブラックジャック」(画像は下)はムチと警棒の中間のような武器で、中身に砂などが詰まっており、しなるように打ち込まれて打撃した部分の内部にダメージを与え、外傷が残りにくいとされます。


出典:https://matome.naver.jp/odai/2147541589756966801

また別の説では、川名の連れが鬼丸の連れを殴ってしまったともいいます。

そのことで完全に切れてしまった鬼丸慶一郎は、川名の髪を掴んで店の外に連れ出そうとしましたが、共通の友人(ゴールドの店長?)が出てきて仲裁、一緒に呑んで手打ちにしたということです。

この事件については、当時勢いがあったであろう川名毅が自分の名前を出しても通用せずに、鬼丸に喧嘩を売られたことに対してかなり引いていたという話です。

そのせいもあり、戦争寸前ともいわれる緊迫した状況だったともいわれますが、結局戦争にはなりませんでした。

引退の理由は、宮原摩利支天の吉岡に負けたため?

鬼丸慶一郎は、23~25くらいの時に不良を引退していますが、その理由は、大宮の宮原にあった「摩利支天」という暴走族の「吉岡」という人とのタイマンで負けたためといわれています。

タイマンになった理由は、青ギャン(鬼丸軍団)と赤ギャンの抗争ともいわれ、摩利支天の吉岡と鬼丸慶一郎のタイマンは接戦だったものの最終的に吉岡が勝利。

この吉岡は中学の時に高校をシメたという話があるほど強かったそうです。

しかし知名度は鬼丸には及ばないとされています。

ちなみにその吉岡が所属していた「大宮(宮原)摩利支天」は、あの「秒速一億円男」こと与沢翼がわずかな期間ですが所属した暴走族だという驚きのエピソードもあります。


役者として松本大洋原作『青い春』の鈴木役で出演

役者としての鬼丸(=鬼丸慶一郎)さんは1998年公開の映画『ジャンクフード』で俳優デビュー。Vシネマなどにも出演し、2014年には小栗旬主演の不良映画『クローズ EXPLODE』にも出演しました。

また鬼丸さんは俳優を始める時、抗争相手の地区に頭を下げに行き、筋を通したという話もあります。

他に鬼丸さんの出演作品として注目すべきものには、松田龍平・新井浩文W主演の映画『青い春』があります(ちなみに『青い春』の原作者は映画『ピンポン』の原作者としてお馴染みの松本大洋さんです)。

この映画『青い春』は、出演者に松田龍平、新井浩文、高岡蒼佑、瑛太、塚本高史、又吉直樹(現ピース、当時は線香花火)、小泉今日子、佐久間一行(ピン芸人)などなど、今となっては異様に豪華でもあり興味深くもあるキャストが揃っていることで有名な作品ですが、実はこの作品に、短時間ではあるものの重要な役どころで鬼丸さんも出演しています。

甲子園に出る夢が破れた3年生野球部員「木村」の先輩として登場するヤクザ幹部らしき男、「鈴木」こそが鬼丸さんです。(下の画像で右側の人物)

このシーンの後、野球部員「木村」は「鈴木」の車に一緒に乗り込み、野球部員として過ごした高校生活を捨ててヤクザの道に入っていくという描写で終わります。

ところで実はこの「木村」と「鈴木」というコンビ、作品の雰囲気や世界観は大幅に変わっているものの、『青い春』の原作漫画家である松本大洋の漫画作品『鉄コン筋クリート』にも登場しています。


(左:スーツの男が木村、右:占い本を持っている人物が鈴木)

2人はヤクザの兄貴分と舎弟のような関係性であり、映画『青い春』で鬼丸さんが演じた「鈴木」は、『鉄コン筋クリート』では「ネズミ」というあだ名で呼ばれています。

だから世界観の大きな違いを除くならば、『鉄コン筋クリート』の鈴木と木村は、このヤクザに誘われた木村と誘った鈴木との後日談のようにも読めるということになります。

この記事は以上になります。