ソクラテスの最後の言葉に対するニーチェ評

フリードリヒ・ニーチェは、その著書『悦ばしき知識』において、ソクラテスがその死の直前に述べた言葉を解釈し、ソクラテスはペシミストであった、と興味深いことを述べている。

ソクラテスの最後の言葉に関するニーチェ評

毒杯を呑んで死んだソクラテスの最後の言葉は(新潮文庫の田中美知太郎訳『ソークラテースの弁明』によると)「クリトーン、アスクレーピオスに鶏をお供えしなければならない。忘れないで供えてくれ」だったとされている。

これについて、フリードリヒ・ニーチェはその著書『悦ばしき知識』の「死に臨んだソクラテス」というアフォリズムの中で批評している(訳はちくま学芸文庫による)。

ソクラテスが行ったり、言ったり、――あるいは言わなかったり――したことのすべてにわたって見られる彼の剛毅と英知に、私は感嘆する。

(略)彼は沈黙においても同じく偉大だった。私の思うには、彼は最後の瞬間にも沈黙を守ってくれたらよかったのだ。

(略)「おお、クリトンよ、私はアスクレピオス神に雄鶏一羽の借りがある」。この笑止でもあり恐ろしくもある「末期の言葉」は、聞く耳ある人には、こうきこえる――「おお、クリトンよ、人生は一個の病気である!」と。こともあろうに! 明朗で、誰が見てもひとりの兵士のように生きてきた、彼ほどの人物が、――ペシミストだったとは!(原文では『人生は一個の病気である』に傍点)

「アスクレーピオス(アスクレピオス神)」は医術の神である。その医術の神に、まさにこれから死のうとする時にお供えをするのは不自然とも思える。それを捉えてニーチェは、これを「自分の不本意な長命に対する皮肉」と解したのである。

ニーチェはソクラテスの最後の言葉を「あの婉曲な、ぞっとするような、信心ぶった、だが瀆神的な言葉」と評している。「瀆神」とは「神を汚す」ということである。

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