ソクラテスの妻と言えば、彼に水をぶっかけたといわれる悪妻のクサンティッペが有名だが、実はソクラテスにはもう一人妻がいたらしい。
ディオゲネス・ラエルティオスの『ギリシア哲学者列伝』、あるいはプルタルコスの『英雄伝』(『プルターク英雄伝』)によれば、その妻は「義人」アリステイデスの娘、もしくは孫娘でミュルトという名だ。
ソクラテスの二人の妻
悪妻クサンティッペ
まず「悪妻」クサンティッペについて知らない人はいないほど有名だ。
もっとも有名なのはソクラテスは「奥さんをもらいなさい。いい妻ならば幸せになれるし、悪い妻ならば哲学者になれる」と自分のことを引き合いに出して言ったという話だ。
ディオゲネス・ラエルティオスの『ギリシア哲学者列伝』では、他にもソクラテスとクサンティッペについてこんな逸話を紹介している。
はじめのうち口でガミガミ言っていたが、とうとうソクラテスに水をぶっかけたクサンティッペを指してこう言った。「ほら、言ったじゃないか。クサンティッペがゴロゴロと鳴り出したら雨を降らせるぞ、と」
また弟子の一人であったアルキビアデスが、クサンティッペが五月蠅いのを我慢できないというとソクラテスは「いや、ぼくはもう慣れっこだよ。滑車がガラガラ鳴り続けてるようなものだから」と言った。
続けて「君だってガチョウがガアガア鳴くのを我慢してるではないか」と言うと、アルキビアデスは「でもガチョウは私に卵やひよこを生んでくれます」と答えると、ソクラテスは「ぼくにだって、クサンティッペは子供を生んでくれるよ」と答えた。
これは文章に起こすと真面目な風だが、聞いてるアルキビアデスは笑ってしまっただろう。
『ギリシア哲学者列伝』によれば、ソクラテスが死刑を宣告された時も、「あなたは不当に殺されようとしているのですよ」と妻に言われ、ソクラテスは「それならお前は、ぼくが正当に殺されることを望んでいたのかね」と返したらしいが、これは「彼の妻が(言った)」とされているので、クサンティッペとの会話か、もう一人の妻ミュルトとの会話か分からない。
もう一人の妻ミュルト
もう一人の妻ミュルトについては、クサンティッペほど強烈な個性を持っていなかったらしく、あまり面白いエピソードは伝わっていない。しかし面白いのは、彼女の父親(もしくは祖父)がアリステイデスだったことだ。

アリステイデスはそれほど一般には知られていないかもしれないが、テミストクレスのライバルだった人物で、高潔無比で正義の人だったことから「義人」というあだ名がつけられた人だ。
ギリシア哲学で倫理学を創始したソクラテスと、正義の人であったこのアリステイデスとの結びつきは面白い。
このソクラテスのもう一人の妻ミュルトだが、『ギリシア哲学者列伝』では「アリステイデスの娘」とされ、プルタルコスの『英雄伝』によれば「アリステイデスの孫娘」で、彼女が暮らしに窮しているところを迎え入れたとされている。
しかし『ギリシア哲学者列伝』の作者ラエルティオスと『英雄伝』のプルタルコスでは、ラエルティオスの方が後世の人だから、プルタルコスの「孫娘説」の方が正しいのかもしれない。