モンテーニュの『エセー』を白水社の宮下志朗の新訳で読む

数年前に読みやすいと評判の宮下志朗さんの新訳版で、モンテーニュの『エセー』(白水社)を読んだ(もっとも私は新訳だと知らずに、たまたま行き当たりばったりで買ったのだが)。

新訳版の特徴としては、とにかく読みやすいということだ。訳文の分かりやすさというだけではなく、文字が大きいこともあり、目の悪い方や年配の方には特におススメできる。

新訳版モンテーニュの『エセー』(白水社)

『エセー』の特徴

新訳だけでなく『エセー』それ自体を読んだことがない人もいると思うので、『エセー』それ自体の特徴について記述していくことにする。

『エセー』の特徴としては、

  1. 哲学者が書いた本とは思えないような意外なテーマや日常的な事柄も扱う。
  2. 体系的な記述をせず、話題の中心が次々に飛ぶ
  3. キリスト教よりも古典古代からの引用が多い

といったところだ。

「1」と「2」については、第一巻の目次を紹介した方が早そうなので引用する。

第一巻の目次

第一章 人は異なる手段で、同じような目的に到達する
第二章 悲しみについて
第三章 われわれの情念は、われわれの先へと運ばれていく
第四章 本当の目的がないときには、魂はその情念を、いつわりの対象に向かってぶちまけること
第五章 包囲された砦の司令官は、そこから出て交渉すべきなのか
第六章 交渉のときは危険な時間
第七章 われわれの行動は、その意図によって判断される
第八章 暇であることについて
第九章 うそつきについて
第一〇章 口のはやさと口のおそさについて
第一一章 さまざまな予言について
第一二章 揺るぎのないことについて
第一三章 国王たちの階段における礼儀
第一四章 理由なしに砦にしがみついて、罰せられること
第一五章 臆病を罰することについて
第一六章 何人かの使節たちのふるまいについて
第一七章 恐怖について
第一八章 われわれの幸福は、死後でなければ判断してはならない
第一九章 哲学することは、死に方を学ぶこと
第二〇章 想像力について
第二一章 一方の得が、他方の損になる
第二二章 習慣について。容認されている法律を容易に変えないことについて
第二三章 同じ意図から異なる結果になること
第二四章 教師ぶることについて
第二五章 子供たちの教育について
――ギュルソン伯爵夫人、ディアーヌ・ド・フォワさまに

見ての通り、「哲学することは、死に方を学ぶこと」とかの如何にもな章題もあるが、「包囲された砦の司令官は、そこから出て交渉すべきなのか」や「教師ぶることについて」など、哲学者が論じていることとは思えないようなものもある。

特にモンテーニュが生きた時代はプロテスタントとカトリックによる血なまぐさい宗教戦争があった時代なので、戦争の話題も多く扱われる。

『エセー』の大部分はこうした短く区切られた章が延々と続くものだが、全てがそうであるわけではなく、一章だけ(モンテーニュはカトリック側の人間なので)カトリック擁護のために書かれた「レーモン・スボンの弁護」という長大な章があり、白水社版でいえば第4巻がまるまる「レーモン・スボンの弁護」にあてられている。

古典古代からの引用の多さ

「古典古代」とは、「古代ローマ・ギリシャ」のことを指しており、そうした時代の文献から引用されることが多いということだ。

統計を取ったわけではないが、体感的にはプルタルコスの『モラリア』からの引用が特に多く感じる。他には、セネカ、キケロ、オウィディウス、ホラティウス、ルカヌスの『内乱』、ルクレティウスの『事物の本性について』からしばしば引用される。

「誰それ?」と思う人も多いかもしれないが、基礎知識を要求するような引用の仕方ではないので読むのに支障はない。私もほとんど基礎知識がない状態で面白く読むことができた。

例えば古代ローマの詩人ルカヌスの『内乱』(古代ローマのカエサルとポンペイウスとの内乱を主題にした作品)からの引用はこんな感じだ。

オリュンポスの支配者よ、あなたはなぜ、不吉な前兆によって、未来の不幸を知らせて、死すべき存在の人間たちの悩みをつのらせるのですか? あなたがなにを用意していようとも、不意打ちしてください。人間の心が未来のことには盲目であるようにして、恐れている者にも、希望を持たせてください。

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