工藤明男(柴田大輔)の生い立ち|玄関で罵る母と初めて聞けた父の本音

関東連合
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工藤明男(柴田大輔)は『いびつな絆』とその続編『破戒の連鎖』を工藤明男名義、第3作目となる『聖域』を柴田大輔名義で書いた元関東連合の重要人物です。

彼は第2作目となる『破戒の連鎖』の中で、彼自身の家庭環境や生い立ちについて語っています。

ここではその『破戒の連鎖』を参考に、工藤明男(柴田大輔)の家庭環境・生い立ちについてまとめてみました。

以下、引用部はすべて工藤明男の『破戒の連鎖』からのものです。

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工藤明男(柴田大輔)の生い立ち|玄関で罵る母と初めて聞けた父の本音

父の会社の倒産と「偽装離婚」

工藤明男(柴田大輔)の父は、都内で11店舗を展開する中堅のレンタルビデオのチェーン店の会社を経営していました。

しかしTUTAYAの台頭などによって業界の競争に負けたこと、借金の保証人になって数千万の負債を背負うことになったこと、などを理由として会社が倒産してしまいます。

父の会社の倒産についてそのように考えている工藤ですが、一方でハングリーさに欠ける父の会社はどの道ダメになったのではないか、とも考えているようです。

いずれにしろ父の会社の倒産・保証人になったことで背負った借金を転機として、工藤明男が小学4年生の時、両親は借金の取り立てなどを回避するために形式上の離婚をしました。

しかし同居は続いており、いわば「偽装離婚」のようなものだったそうです。

工藤の父が続けてした仕事はアダルトビデオを含むビデオの卸(おろし)だったそうで、工藤は父の扱う商品が段ボール箱などで家に届くと、その隙間から「女性の卑猥なヌードのチラシ」が覗いて見えるのが恥ずかしかったといいます。

一方で工藤の両親はけして仲が良くなかったものの、経済的な面での苦労をしたくないという思いが強かった母は、それについては意外にも「こういうものはどんなに不景気でも関係ない。お金になればいいのよ」と文句を言わなかったそうです。

帰るたびに玄関先で罵る母とそれに耐え続ける父

工藤の両親は物心つく前からよく喧嘩、喧嘩というよりむしろ母が一方的に父を罵ることが日常だったといいます。

父が家に帰ると、工藤の母は玄関先で声を上げて父を罵るのが常で、その叫び声でよく工藤は目を覚ましたそうです。

父が家に帰ってくると、母は玄関で父を家に上げずに声を荒げて延々と罵った。私が幼い頃は、その母の叫び声で目が覚めてしまい、なんだかわからないが無性に不安を感じて、父と母の仲裁に入ろうとするのが日常的だった。私は両親が〝夫婦喧嘩” をしていのだと勘違いしていた。
年齢を重ねるにつれて、それが母による一方的な感情の爆発だということが少しずつ理解できるようになった。

工藤の母は、あんたのせいで私はこんなに惨めな生活をしている、あんたに騙された、今月の生活費がまだ足りないだろう、といった言葉を父に向って投げかけたといいます。

また工藤の母は潔癖症でもあり、外回りの仕事でアルコール臭のする父をそのまま上げたがらず、上げる時には両足にビニール袋を履かせ、消臭剤のようなものを振りかけて風呂場に直行させたそうです。

ときどき母がなかなか家に上げてくれないために、痺れを切らしてそのまま外に出ていくこともあったそうで、大好きな父が出ていくのが嫌だった工藤は母に父を許すよう懇願して、追いかけて家に連れ戻したといいます。

工藤が家に連れ戻すと、母は苦虫を噛み潰したような顔でしぶしぶ家に上げることを了承したそうです。

初めて聞けた父の本音

工藤が事件を起こして少年院に行った時には、「両親がそろった家庭の方がいい」と教官から指導を受けたことで、母は両親の不仲について工藤に謝罪したこともあったそうです。

しかし、しばらくするとまた母は父を罵りだします。

工藤の母は「もうとっくに夫婦の仲は終わってる。一緒に暮らすのももうウンザリ」と、ついに別居することになります。

しかしそれでも母の心が落ち着かず、今度は工藤自身に矛先が向き、帰るたびに玄関先で罵りを受けるようになったといいます。

父はこれを私が生まれる前から十数年間受け続けてきたのかと思うと、奇特な人というか、これを我慢し続けた父を不思議に思った。

工藤の父は妻と別居し、新宿区大久保にある住居兼事務所のマンションに住むようになります。

そこにいる父のもとにたまに遊びに行った工藤でしたが、既に帰ってきてほしいという思いも持たなくなったそうです。

この頃はじめて、幼い頃から何度も問いかけた問いをぶつけると、初めて正直な言葉が聞けたといいます。

「お母さんのどこが好きなの?」
幼いころから何度も問いかけた私の質問に対して、父はこの頃初めて答えてくれた。
「嫌いだよ。うるさいから」
普通なら父から母のことが嫌いと言われれば複雑な心境になるものだが、私は父の(おそらく)本心が聞けて、やっと納得ができて逆にうれしかった。

そして工藤は、母が別居すると父の代わりに自分が罵り続けた理由として、「結局のところ、母自身が自分の人生について呪っていたからだと思う」と語っています。

工藤明男の父母のそれぞれ異なるルーツ

さらに工藤明男は『破戒の連鎖』で父母の異なる出自についても語っています。

工藤明男の母:「半チョッパリ」と酒乱の父

工藤明男の母は、在日韓国人1世の父と日本人の母を持っているそうで、在日コリアン2世だといいます。

この「半分だけ日本人」であることは、かつての在日コリアンの社会では嫌われる大きな原因であり、日本人を侮蔑する言葉である「チョッパリ」と合わせて、「半チョッパリ」と呼ばれます。

工藤の母もそのような蔑みを受け、くわえて重度の酒乱だった父(工藤の母方の祖父)が暴れる時には、兄弟や妹とともに家を抜け出して祖父が寝静まるまで待つという幼少期を過ごしたといいます

家庭は経済的にも困窮しており、工藤の母は父のプロポーズを受けた理由の一つを、「経済的な安定が欲しかった。自分の子供たちに自分と同じ思いはさせたくない」として、工藤の父の家庭が裕福だったからだといいます。

ちなみにこの工藤の母方の祖父は、朝鮮の貴族階級である「両班(ヤンパン)」の出身であるということです。

工藤明男の父:日本人の裕福な父母のもとに生まれる

それとはまったく異なり工藤の父は父母の両方が日本人で、父が裕福な軍医で父母の両方がクリスチャンだった家庭のもと、中国の大連で生まれました。

工藤の父方の祖父母は帰国の途中でサイパンの地を気に入り、日本に帰国後は開業医を定年まで勤めたものの、その後サイパンに移り住んだといいます。

工藤の父は既に亡くなっていますが、その父母(工藤の父方の祖父母)とともにサイパンの地で眠っているそうです。

工藤の祖父の父にあたる曽祖父は実業家豪快な人物でもあり、長崎県の五島列島に住んでいた当時、酔った勢いで福江小学校に「校庭を寄贈する」という約束をして、後日その通りにしたということです。

工藤は自分のルーツを探る旅で、その学校に見立真一含む4人で訪ねたこともあるとか。

(記事おわり)

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