工藤明生の経歴とは?イベサーから電通へ。闇金と詐欺で稼ぐも引退

ネット上の「歌舞伎町五人衆」の噂で名前が挙がっていた工藤明生(くどうあきお)は、「そのような人物は存在しない」と注意喚起するページすら作られたほど非実在論が喧伝されましたが、溝口敦の『詐欺の帝王』で仮名(本藤彰)であるものの詳しく取材されたことで、実在の人物だということが明らかになっています。

歌舞伎町五人衆メンバーの名前は?その実態は歌舞伎町で派手に遊んでいた者たち?

ここではその工藤明生とは如何なる人物なのか、その経歴を中心に、『詐欺の帝王』と、それに加えてネット上の情報を照合しながら実像に迫ります。

工藤明生の経歴・学歴は?
九州の生まれで明治大学に入学

工藤明生は九州の某県で1976年に生まれました(地元は匿名掲示板では福岡県の北九州市と言われており、高校は福岡県立の修猷館高校に行ったと噂されています)。

この地元で、工藤は大学に受かる18歳まで過ごします。

生家は阪急百貨店などに手広く日用品を卸す卸商で経済的には恵まれていました。

大学受験には父親の意向で「東京六大学のどれかに受からないなら大学進学は認めない」と言われ受験勉強に励み、結果、希望していた大学には受かりませんでしたが、浪人したくないがために合格した六大学の一つに進学しました。

学部は経済商業関係で、工藤が進学した六大学とは明治大学だと言われています。

そして工藤がこの明治大学に進学したのは1995年のことです。

工藤明生のイベサー活動

サイドキックスに所属 先輩の「ST」のこと

95年に明大に入学した工藤が関わったのがイベントサークル、通称「イベサー」でした。

まず工藤は大学の公認サークルだった「サイドキックス」に所属するも、「K」という先輩による汚い金集めに耐えられず、残った仲間たちで追い出して乗っ取ります。

このイベサー活動では、工藤は「K」とは別の「ST」という先輩から多くを学びます。

この「ST」は東大出身で後にマッキンゼーに入社した男で、住吉会の福田晴瞭前会長の息子や後に稲川会の本部長となった稲川英希(引退)をアゴで使えるような男だったといいます。

この「ST」について匿名掲示板では、「斎藤達矢」という男かもしれないという声があります。斎藤達矢は当時5つほどあったイベサー系列の一つのトップだった男です。

いずれにしろ、後年の工藤がヤクザを恐れず対等に近い立場で付き合えたのは、この「ST(=斎藤達矢?)」に対し「ヤクザが怖くないんですか?」と訊いた時に、「怖くない。暴力団は損得勘定で生きてるから、俺を殺しても利益にならず、生かして利用した方が得だから」という答えが返ってきて、それが印象に残ったからだといいます。

この時、工藤は「ヤクザといえども、STのような頭のいい人の手のひらで踊るのだ」と思ったといいます。

キャンパスサミットとD-1を創設

工藤は入学した年に「キャンパスサミット」という巨大イベントを創設して成功させ、このイベントは工藤がイベサーから離れた後も長い間継続されました。

その20周年を記念するイベントでは次のように説明されています。

 1995年に東京で始まった「Campus Summit」は、過去最大規模での開催時、会場数が全国47都道府県57会場を記録した情報発信型イベント。過去20年間のイベント累計動員数は32万人、タイアップCD売上数は累計47万枚を超える。

引用:ギャルの祭典「キャンパスサミット」20周年アニバーサリーイヤー開幕

1995年といえばまだ工藤が入学したばかりの1年生だった年なので、工藤が如何にイベサー組織の中に急激に出世したかが伺えます。

(ところで『詐欺の帝王』出版当時はまだこの「キャンパスサミット」のイベントは継続していたようですが、2016年度のものが非常に評判が悪く、それ以来イベントが途絶えているように見えます。 ⇒キャンパスサミット2016 観客から酷評の嵐 ! )

さらに工藤明生は高校生のオピニオンリーダーや雑誌モデルを集めたイベントである「D-1 DreamProject( ディーワン・ドリームプロジェクト)」、通称「D-1」を創設します。

この「D-1」の方は現在でも継続しており、高校生イベントとしては全国で最大のものだといいます。 ⇒D-1 dreame project

ヴェルファーレと和田のスーパーフリーのケツ持ち

工藤はまた、1500人から2000人ほどを収容できて、エイベックスと関係の深いクラブ・ヴェルファーレを独占的に予約して活用、イベントのたびに80万程利益が出たといいます。

工藤明生は、「キャンパスサミット」などでエイベックスと人脈を繋いだので気軽に会場取りができて、その借りた会場を各参加サークルに又貸しする形で儲けることができました。

このヴェルファーレを通じて、工藤は2歳年上の和田真一郎という男が代表を務める「スーパーフリー」、通称「スーフリ」と関わることになります。

和田の「スーパーフリー」はどの系列にも属さず、工藤にしてみれば煙たい存在でしたが、ヴェルファーレを貸してほしいというので工藤は他と同じ金額を提示します。

すると和田は、提示金額(200万)よりもう50万上乗せされても平気だと答え、実際にそれだけの金額を和田は持ってきたといいます。

良く知られている通り、和田は集団強姦事件によって逮捕された後、現在では出所して、雑誌に公開した手記が話題になっています。

そしてこのスーフリ和田との関りが、後に工藤の運命を狂わせることになります。

工藤明生は卒業後に電通に入社

工藤明生はイベサー以外の学生生活も真面目に送っており、成績も優秀で、四年間で「良」は一つ、他はすべて「優」だったといいます。

1999年には明治大学を次席で卒業、学生生活を終えた工藤明生は、あの大手広告代理店の「電通」に入社します。

溝口の『詐欺の帝王』でも該当の会社について、はっきり「電通」と名指ししていないものの、「広告を通じてメディアを支配し、社会を動かすと恐れられる一方、社員への高給と好待遇で知られていた」とあり、電通のイメージとよく重なるのでほぼ間違いないものと思えます。

工藤明生は電通では雑誌局に配属され、そこの仕事を無難にこなしつつも、大学時代に引き続いて主要イベントサークルの面倒も見ており、副収入を得ていました。

スーパーフリー事件への関与が疑われ左遷、退社

しかし2003年6月、スーパーフリーの事件が発覚、和田ら5人が逮捕されます。

和田の大学が「早稲田」という有名大だったこともあり、他にも関わったイベサーOBが各大手企業に就職しているのではないかという観測がメディアで盛んに行われました。

それに関連して、スーフリのケツ持ちをしていた工藤明生も疑われ始め、中には工藤の実名を出して疑惑を報じるメールマガジンもあったということです。

工藤はまったく事件に関わってはいませんでしたが、電通にスーフリOBが何人かいたこともあり、疑われて2003年にグループ会社に左遷されます。

工藤はそのことで嫌気がさして同年中に退社してしまい、結局、電通マンとしての社会人生活は5年で終わりを告げます。

工藤明生と闇金・詐欺

当時、山口組系の五菱会の事件が世間を騒がしていました。

まだ工藤が電通に在籍していた2002年ごろ、既に工藤は山口組系五菱会の闇金事件の噂をちらほら聞き、工藤明生は「五菱会は終わっても闇金はまだ生き残るのではないか」と可能性を感じます。

そこで都知事の登録免許を取って闇金を始めました。

最初はダイレクトメールでの客集めから始め、組織は次第に大きく成長していきます。

闇金から詐欺へ

工藤明生は闇金を続ける中で、純粋に数字で部下を評価しました。

この回収率の数値を追っていくと、本来、回収率は「100%」が最高のはずが、「120」や「150」といった不自然な数値が計上されるようになります。

それは部下が詐欺の収益を闇金の利益として計上するからだといいます。

こうして徐々に工藤たちの詐欺グループには、利益率のいい詐欺グループが増え始めます。多くは最初にオレオレ詐欺をしていましたが、その後に徐々にシステム詐欺が増えたといいます。

最終的に、闇金グループと詐欺グループの比率は3:7くらいになりました。

詐欺グループは一般に、「収益のより少ない闇金にこだわるのは実刑が怖いんだろう」と、闇金のグループを馬鹿にする傾向があったといいます。

しかし工藤は詐欺で捕まった場合の相対的なリスクの高さも認識しており、また闇金であれ詐欺であれ、どちらにしろ、従業員には「サクッと稼いで、サクッと辞める」ことを推奨していたそうです。

詐欺の手法・技術的な要点については煩瑣になるので割愛しますが、下記の記事に要点がまとめられています。興味のある方は参照してください。

闇金の店舗数・給与

工藤の闇金は最終的には300店舗を超え、従業員は1300人を抱えるほどになります。

また給与についても相当な額を部下に渡していたそうです。下に記されているのはそれぞれの役職月給です。最初はヒラの「店員」からスタートします。

  • 「店員」   40万円
  • 「番頭」   200~300万円
  • 「店長」   700~800万円
  • 「統括」   1000万円(基本給)さらに店舗数によって割り増しがつく。
  • 「総括」   5000万円
  • 「社長」   1億5000万~2億円
  • 「幹部」   2億~3億円

相当羽振りが良かったということが伺えます。

工藤明生の側近

ところで、この役職の一番上の「幹部」は工藤明生の側近です。

工藤には4人の側近がおり、それは次のような面々でした。

  1. 工藤より10歳年上の人物(『詐欺の帝王』出版時にもオレオレ詐欺を継続)
  2. 全狂連(全日本狂走連盟)OB 一時、住吉会幸平一家系の組に所属 身長は190センチもある武闘派で、無茶をすることで有名だった
  3. 知性派タイプの男
  4. 工藤より7歳年下で五菱会の出身者

最初、この側近たちは工藤に敬語で話しかけていましたが、「ワンマンで人の意見を聞かないなら組織が衰退する」と考えた工藤は、タメ口で話すよう逆に注意したといいます。

工藤明生の殺し

工藤は溝口敦の取材の中で、それとなく仕事上、人を殺したことが複数回あるとほのめかしたといいます。

ただ本藤(=工藤明生)は、「従業員など身内の指も四、五本は飛ばしたことがある、ことの行きがかり上、埋めた死体も一人や二人じゃない」とつぶやくように漏らしたことがある、とだけ伝えておこう。

引用:溝口敦『詐欺の帝王』

工藤明生とヤクザ

健國会の企業舎弟ではない

工藤明生とヤクザとの関りについては、ネットの掲示板では「山建組系健國会の企業舎弟」とする噂もあったそうですが、それは事実ではないといいます。

工藤は噂されているその組長と仲が良かったことは認めていますが、組に籍を置いたこともないそうです。またこの組長を、その都度のトラブル解決で頼ったことはあったそうですが、企業舎弟ではないということは、定期的な上納はしていなかったということだと思われます。

工藤は、組長について「チンピラ的な言動がなく、金を持ってこいと言ったこともない」、また「一緒に仕事をして失敗しても引きずらず、終わった話だとして気にしない」などとしており、そうした部分で信頼していたといいます。

そしてこの組長は具体的には、四代目山口組の若頭補佐・四代目山建組の若頭で健國会の初代会長だった山本國春だとされています。山本國春は現在では既に引退しています。

◆健國会系譜
初 代 – 山本國春(四代目山健組若頭)
総 裁 – 山本一廣(四代目山健組舎弟頭補佐)/代 表 – 袖岡勝二(四代目山健組若中 袖岡総業組長)
二代目 – 西野雅之

引用:全国暴力団wiki

ヤクザとの掛け合い

また工藤は自分自身で行う掛け合いにも巧みで、匿名掲示板では、あるヤクザは工藤との掛け合いに敗れた末に東京から地元に落ち延びる羽目になったと真しやかに語られています。

しかし当然、掛け合いに負けたこともあるようで、そのことについて工藤は『詐欺の帝王』の中で「筋は元からあるのでなく新規に作るもの」という自分なりの掛け合いの秘訣である「筋論」について語った後、次のように述べています。

一度、ヤクザ相手にこれをやってボコられたことがあります。弘道会系福島連合の幹部でしたが、ぼくの上を行く筋論を出してきた。こう言うんです。

『アゴ(口)は便利だな。お前はカタギだろ。喧嘩はヤクザの土俵だろ。掛け合いでお前がヤクザの話をするなら、こっちもヤクザの話で行くぞ。お前みたいなものが掛け合いに入って来るんじゃないよ』
とボコボコにやられたわけです

引用:溝口敦『詐欺の帝王』

この工藤を掛け合いで一方的に負かしたヤクザについて、匿名掲示板の噂では、福島連合の副会長で「山一組」組長の山田俊一だとされています。(下記:福島連合組織図)

組織図
会 長 – 福島康正(三代目弘道会舎弟頭補佐・北海道地区責任者)
若 頭 – 佐藤正和(康和総業会長)
最高顧問 – 高野紘吉
副会長 – 山田俊一(山一組組長)
本部長 – 武田 敏
舎弟頭 – 大倉宏治(大倉企画組長)
相談役 – 原田 茂(天野総業組長)
相談役 – 水沼正三(康心会会長)
舎弟頭補佐 – 淀谷志郎(淀谷総業組長)
舎弟頭補佐 – 粕谷尚史(粕谷興業組長)
舎弟頭補佐 – 金子裕二(金子組組長)
舎 弟 – 佐佐木美佐夫
若頭補佐・渉外総括委員長 – 淀谷 潤(淀谷組組長)
若頭補佐 – 東海林 仁(二代目高野組組長)
若頭補佐 – 福島健司(福健組組長)
若頭補佐 – 関 高広(二代目小川組組長)

引用:全国暴力団wiki

工藤明生は銃撃されて入院も経験

金属バットでの襲撃

工藤は銀行に預けることのできない莫大な収益を、3部屋ほど、自分専用の金置き部屋に置いていました。

2004年の4月27日、新宿で工藤の取り分の4800万円をグループの幹部が運んできました。タクシーで渋谷の金置き部屋に向かって、マンション前で降りると、4,5人の男に襲撃されます。

金属バットで胸を横殴りされた工藤は、うずくまったところに更に頭や肩を殴られ。持っていたバッグと財布を奪われました。

警官が来て盗られたものを訊かれますが、工藤は金置き部屋の発覚を恐れて、「盗られたものは何もない」と答え、被害届も出しませんでした。

銃撃されて入院

さらに2009年には、トラブルが元で拳銃で撃たれて負傷しています。

工藤はある組と関係を良くしたいという気持ちから、その組織に属する水商売上りの組長に金を貸します。

しかしその組長は組を破門され、もう貸す義理はないので返済を迫ったところ、新宿の外国人に転売するつもりで薬物の代金として渡し、返ってこなくなったといいます。

工藤がその外国人と話しをつけるつもりで呼び出したところ、相手は来日間もない韓国人で、ろくに日本語も通じず、工藤の語気が荒くなって「喧嘩を売られた」と勘違いした外人に改造拳銃で足元に発砲されます。

一発が足首に命中して中に留まってしまいますが、これもまた被害届を出さず知り合いの医者に処置してもらい、元組長とその所属していた組織に話しをつけたそうです。

工藤明生の引退の理由とは?

このケガも引退の理由に間接的に関わってきます。

銃弾は足首の毛細血管をズタズタにし、血流を上に押し上げることができなくなって、体調が悪化します。胆石がたまって胆嚢をとり、肝臓も一部切除するなど銃創の事後手術を何度も繰り返します。

入院の多さからグループへの監視も緩くなり、徐々にグループ内部の情報が外に漏れるようになりました。「もう潮時」と感じた工藤は、ようやく手術によって体が安定した2010年に、幹部に引退を伝えました。

通常、詐欺などの引退は逮捕が切っ掛けになることが多いですが、工藤の場合はグループ支配にガタがきているのを察知し、自発的に引退を決定したそうです。

また引退の理由としてもう一つ、儲けた巨額の資金の問題もありました。逮捕で没収されてしまえば、これまでの仕事の苦労がすべてが水の泡になるためです。

そのために資金は何分の一かを海外に避難させもしましたが、その金については日本に戻すことが限りなく難しくなり、結局、見つかりにくいものの自由にできない金になってしまったといいます。

工藤明生に詐欺の前科はなし
吉本興業の闇営業問題とも間接的に関係

最後に工藤明生の関係者で、最近の有名な芸能スキャンダルに間接的に関係した人物がいるということだけ書いて、記事を終わりにします。

溝口によれば、工藤には詐欺に関わる事件での逮捕歴や前科がないということです。これに関して驚くべきことが『詐欺の帝王』には出てきます。

工藤明生は詐欺のピラミッドの頂点にいましたが、捜査が関係者に及んでも、元配下は名前をまったく出さないために捕まらなかったといいます。

その工藤明生の「元配下」とは、当時メディアに「キング」と呼ばれていたと報道された戸田雅樹を指しています。

溝口は、戸田雅樹を「振り込め詐欺のキング」としたのは警察の誤認であり、そのために、既に戸田は工藤の元から離れていたとはいえ、捜査が本当の詐欺の大元締めである工藤明生まで及ばなかったといいます。

ピンと来ない方もおられるかもしれませんが、戸田雅樹は振り込め詐欺で計約1億4600万円をだまし取ったとして懲役20年の判決を受けた男で、その事件に関係して、当時その部下だった大野春水が逮捕されています。

大野春水とは?詐欺を学んだキング戸田雅樹は懲役20年の判決

御存知の通り、大野春水は元吉本興業所属の宮迫博之を中心とする闇営業問題で、当の闇営業の忘年会を主催した詐欺グループのトップとされています。

警察は、大野春水は「キング」戸田雅樹の下にいた時に戸田から詐欺の手法を学んだと見ており、そこから出所後に自分の詐欺グループを作って今回の闇営業問題に関わる詐欺事件を起こしたと考えられます。

大野春水は戸田雅樹の部下の時の逮捕時と、出所して自分の詐欺グループを作った時と、最低でも2度逮捕されています。そして吉本興業の闇営業問題とからむのは後者の時です。

したがって巷間を騒がせた吉本興業の闇営業問題にも、工藤明生 ⇒ 「キング」戸田雅樹 ⇒ 大野春水 ⇒ 宮迫博之らの吉本興業・闇営業問題、という経路で間接的に繋がっていることになります。

この記事は以上になります。