所沢のタイソンこと久保広海が、ホーミーケイのYouTubeチャンネル動画内で、自分が小平のギャング「ゲルド」に所属していた時期があることを話しています。
この動画でのゲルドの話題と、ゲルドについてネット上で調べたことをまとめました。
小平の赤ギャング「ゲルド」安岡力也がケツモチ|久保広海も所属
動画「所沢のタイソン 噂の真相」
安岡力也がケツモチの小平のギャング「ゲルド」にいた
ここから「ゲルド」について話す久保広海の話を要約します。
- 中学3年の時にギャンググループ「ゲルド」に先輩に誘われて入った。
- 毎週金曜日土曜日に新宿に遊びに行っていた。
- 何するわけでもなく、くっちゃべるだけだった。
- 5個上の先輩たちがメインで中三が2~3人いた。
- 中三は先輩にケツにくっついていくだけ。
- 詰まらないのでいつも夜中に「帰らしてください」とタクシーに乗って帰った。
- タクシーは毎回、新宿~所沢まで乗り逃げしていた。半年くらい続いた。
- ゲルドは安岡力也がケツモチだった。
- 2回ほど会ったことがあるが喋ってはいない。
- ゲルドは小平のギャングだったが所沢の人たちがやっていた。
- メンバーは40~50人いた。
- 喧嘩はまったくなかった。
- ゲルドというチーム自体はそんなに強くない。
- 5個上の代で有名な TOP-J や KGB と比べると全然格下だった。
- 自分の時代は暴走族よりはギャングが流行っていた。
久保はインタビュアーが話を振るまで自分からゲルドの話題を出さなかったことから、参加が不本意だったか、短期間であれ所属していたことをよく思っていないようにも見えます。
またこの話による限り、久保の所属した期間は半年間だけで中心メンバーでもなく、久保自身はゲルドでは大した活動をしていなかったようです。
小平の赤ギャング「ゲルド」
ここからこの小平のゲルドというチームについて調べて上がってきた情報をまとめます。
新宿歌舞伎町にたまっている赤ギャング
ゲルドについて調べてみたところ、情報は非常に少なかったですが、『東京ジャックスマフィア伝説の物語』に少しだけ書いてあります。
- 当時、頭を張っていた人物は赤玉(向精神薬の別名)をよく食っていた。
- 頭はギャングの時にすぐ刺していたので「人刺し○○」と呼ばれていた。
- ゲルドは新宿歌舞伎町にたまっている赤ギャングだった。
『東京ジャックスマフィア伝説の物語』は非常に癖のある文体で書かれるブログで、どこまで本当か冗談か分かりにくいのですが、ともかくこうしたことが書かれています。
「トゥナイト2」で取材されたこともある
匿名掲示板の『5ちゃんねる』に2007年3月ごろから、「東京都小平市の赤ギャング!!!!」というスレッドが立っており、そこで少し情報が見られます。
匿名掲示板では久保が話すような「安岡力也がケツモチだった」とする話は出ていませんでしたが、ゲルドについてはこのような話をしていました。(以下、まとめ)
ゲルドは「GERUD」と表記している人もおり、赤ギャングだったためか「小平ブラッズ」と呼んでいる人もいるようです。
ゲルドはテレビ朝日系列の深夜番組「トゥナイト」(もしくは『トゥナイト2』)で、おそらく94年ごろのことか、取材されたこともあるといいます。
ゲルドのギャングは刺青だらけで非常に厳つい風貌をしていたそうです。
彼らは取材陣に対し、「さっきから何回うちらの前通ってんの?ねぇ?ねぇ?なめてんの?」と絡み、果ては「この車燃やしちゃおうぜ!」と言い出したので、取材陣は「すいません、すいません」と平謝りだったそうです。
取材では「俺らは死ぬまで不良」「相手を刺すこと、殺すことは何とも思わない」といったことを語り、取材中にレ〇プの話をしていたと記憶する人もいました。
トゥナイトの取材時におけるゲルドの情報はこんなところですが、ただこうしたことは「全部ヤラセ(テレビ演出)だろう」と考える人もいます。
総じて5ちゃんねるの「ゲルド」の話題では、レ〇プやひったくりなどの話が多く、見るに見かねた当時の朝高生(朝鮮高校の生徒)によってボコボコにされた、と話す人もいました。
(記事おわり)