小林秀雄対話集『直観を磨くもの』三木清との対談「文章と論理」

小林秀雄と哲学者の三木清との対談が『直観を磨くもの』(新潮文庫)に収録されている。

小林秀雄対話集『直観を磨くもの』

三木清との対談

小林は三木にこう言っている。

あなたの言う技術とか、構想力とか、このごろの三木さんのそういうものはわかるよ。非常によくわかるんだ。あなたに貰った本もみな読んだし、――そこで僕は非常に大きな疑問があるのだよ。それはこういうところで喋って喋れるか(原文ママ)どうかわからないが、あなたは、あすこまで考えて来たわけでしょう。そうしてあんな文章を書いてはいけないのだよ。

確かに、論理の間隙を埋めていけば論理そのものは緻密になる。

しかしそうすることで文章の生気はますます失われていく。

小林 論証するには論理でよいが、実証するには文章が要る。哲学というものを創るという技術は、建築家が建築するように、言葉というものを尽くす必要がある。

小林のヘーゲルへの言及

その後で小林は珍しくヘーゲルに言及している。

体系家を嫌うイメージのある彼にしては好意的な批評なのが面白い。

やっぱり、彼は眼の前の物をはっきり見て、凡(およ)そ見のこしということをしない自分の眼力を信じてやって行ったのだね。その揚句ああいうディアレクティックの体系が出来上がって了(しま)った。

私は少し前にヘーゲルの『精神現象学』に挑戦して、チンプンカンプンだった。

ただヘーゲルの研究者だか解説者だかの言では、確かに同じようなことを言っていた。

つまりヘーゲルは事物をありのままに考えた挙句「弁証法」を完成したのであって、最初からそれをゴールに指定していたわけではないということだ。

「出来上がってしまった」という言葉に批判的な意識を感じるが、「およそ見残しをしない自分の眼力を信じてやった」などという言葉は、如何にも小林らしい言い回しで、消極的ながらもある点でヘーゲルを認めているということが感じられて面白い。

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