『マルクスの悟達』に見る小林秀雄の学びの方法

批評家・小林秀雄は若い頃『マルクスの悟達』という評論を書いている。

ネット上で『マルクスの悟達』の感想を読んでみると、私には多くの人があまりに『マルクスの悟達』を真面目に読みすぎているという印象を受けた。

そこでこれから私が『マルクスの悟達』について考えたことを書いてみる。

小林秀雄の『マルクスの悟達』

小林秀雄の『マルクスの悟達』は1931(昭和6)年、小林が28歳の時に発表されたものだ。つまり小林が若い頃に書いたものだということを何よりも念頭に置くべきだと思える。

そして私が『マルクスの悟達』に読み取るのは次の二つのことだけだ。

  1. 当時のマルキシズムの勢いの強さ
  2. 小林秀雄の学びの方法

順に説明していく。

マルキシズムの勢いの強さ(小林の気質)

そもそも、小林の気質はマルキシズムと相いれないものだ。

彼は体系的な思想をそれほど信用してはいない。

後年の発言を見る限り、彼がもっとも敬愛した哲学者はベルクソンである。

次いでニーチェ、パスカルといった哲学者を高く評価している。

ここには精緻な体系家としてのヘーゲルの名はなく、ましてやマルクスの名も見えない。

彼は『Xへの手紙』でニーチェについてこのように述べている。

彼の一見抽象的に見える言葉は、とくと見るとどれも矛盾錯雑とした現実の事物に密着している。

小林を感嘆させたニーチェの言葉は「矛盾錯雑とした現実の事物に密着して」いたが、「矛盾錯雑とした現実の事物に密着」することは、また外観上の矛盾を招く。

「外観上の矛盾」は、精緻な体系家にとってもっとも忌むべきものだ。

何故なら「体系」とは全体の首尾一貫性であり、「外観上の矛盾」はそれを読者に疑わせるものだからだ。

こうした点からも、彼の気質の内には、体系的な思想家に対して愛着や尊敬を抱かせるようなものはほとんど存在せず、したがって「精緻な体系的哲学」であるヘーゲル哲学の系譜上に位置するマルクスに対して尊敬や信頼を抱かせるような要素は寸毫もない、ということが分かる。

それが若年期に書かれた『マルクスの悟達』というものにマルクスへの尊敬が見られるとすれば、それは当時のマルキシズムというものが如何に文化人や若者の間で強い影響力を持っていたか、ということを意味している。そしてただそれだけのことだ。

小林のような独創的で強固な個性を持っていても、時代の思想的な流行から完全に免れることは難しかった、ということである。

小林秀雄の学びの方法

『マルクスの悟達』から読み取れるもう一つのことは、小林秀雄の学びの方法である。

小林の学びは、いわゆる知識人らしい知的な了解に基づくものではなく、日本的な芸道においてそうであるように、常に「信」を起点にしている。

彼はまず先師を徹底的に信頼し、尊敬することでその先師から学び取ろうとする。

父性の投影

私は個人的に、これは小林が先師に対して父性のようなものを投影しているのだと思える。

小林はしばしば作品の中でも母親に言及するが、父親の影は薄い。

彼は父親との間に良好な関係を築くことに失敗したのだと思う。

これ自体はそれほど珍しくはないし、ただそれだけのことなのだが、この心理的な瑕疵(かし・傷の意)は、結果的に小林の優れた「学び」を確立させた。

小林は、現実の父親によっては満たされなかった「父性の枯渇」を、文学上の先輩たちによって埋める。極端にいえば、彼は先師や優れた先輩を「父親」のように思う。

それが誰であるかは問わず、彼が優れていると認めた先輩の文学者には、大抵こうした父性の投影が行われている。

このことは、彼の志賀直哉に対する不自然と思えるほどの傾倒、また正宗白鳥との「思想と実生活論争」における不可解な批判からも窺うことができる。

正宗白鳥との「思想と実生活」論争

私は小林が正宗白鳥に対して怒りを覚えた理由は非常に単純なものだと思う。

それは単に、正宗白鳥に自分が敬愛するトルストイを侮辱された気がしたからだ。

論旨に捉えどころがないのも、小林の文体の癖のせいでもあるが、根本がそのような私的な情緒に由来するものだからだとも取れる。

例えば小林は、『思想と実生活』の中でドストエフスキーについても、『ドストエフスキー伝』を書いた「ストラアホフ」のドストエフスキーの意地の悪い性格を伝える言葉を引いている。

「ストラアホフ」の言葉の中には、あろうことかドストエフスキーが「ある女の家庭教師の手引で、ある少女に浴室で暴行を加えた話を彼は自慢そうに語った」というエピソードまでが含まれている。

小林の言は苦し気だが、それは「尊敬するドストエフスキーが、同時に下劣な人間性の持ち主でもあった」という二律背反的矛盾に対する苦しみではない。

「下劣な人間であろうと、相変わらずドストエフスキーが尊敬に値する偉大な作家であることを、どうすれば上手く伝えることができるだろうか」という苦しみだ。

平たく言うならここで小林は「私はドストエフスキーがこんな人間であっても相変わらず彼を尊敬している。何故あなた(正宗白鳥)はトルストイが細君を恐れて家出したくらいで彼への尊敬の念を失ってしまうのか」と言いたいのである。

小林の学びの方法に話を戻すと、これは内田樹の『日本辺境論』の学び論を参照することで、より理解しやすい。

内田樹は『日本辺境論』の第2章「辺境人の『学び』は効率がいい」と第3章「『機』の思想」において、実に巧みに日本的な学びのシステムの秘密を解き明かしている。

この解説から、小林の『マルクスの悟達』でのマルクスに対する態度、そして後にそこから離れて行ったことも合わせて理解することができる。

日本人はこれから学ぶものの適否について事前チェックをしない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。これは私たちに刷り込まれた一種の民族誌的奇習です。けれども、この奇習ゆえに、私たちは、師弟関係の開始時において、この人が師として適切であるかどうかについては吟味しない」というルールを採用していた。(中略)

外来の知見に対したとき、私たちは適否の判断を一時的に保留することができる。極端な言い方をすれば、一時的に愚鈍になることができる。それは一時的に愚鈍になることによって知性のパフォーマンスを上げることができるということを私たちが(暗黙知的に)知っているからです。(原文では『一時的に愚鈍になる』と『暗黙知的に』に傍点)

「一時的に愚鈍になる」とは、言ってみれば対手を盲目的に信頼するということだ。

日本的な学びは、先師への盲目的な信を起点としつつも、そこから偽物をはじき出すための「アンテナ」や「触覚」を併(あわ)せ持たなければならない。

日本人は「鰯の頭」であっても信心することができる。(略)けれども、考えればわかりますが、ほんとうに「鰯の頭」を拝んだ場合には、いろいろと差し障りがあります。(略)そのリスクを回避するためには、「鰯の頭」であっても信心しうるほどの開放性を持ちこたえながら、それと同時にそれが無価値な「鰯の頭」である場合には、それを先駆的に知って、さりげなく回避する能力が必要になります。

だからといって私は早急にマルクスを「鰯の頭」と断定するわけではない(別に断定しても構わないし、マルクスが『鰯の頭』であるという可能性は高いが)。

マルクスが「鰯の頭」であろうとなかろうと、小林にはマルキシズムと親和的な要素が決定的に欠けており、どちらにしろマルクスから離れていくのは時間の問題に過ぎなかったのである。

小林はマルクスを若年期と時代の熱に浮かされて盲目的に信じたが、後にそれが自分の気質に合わぬと感じたか、もしくはそれが単なる「鰯の頭」に過ぎないと感じて、それを「回避」したのだ。

後年、小林がマルキシズムや「唯物論」に言及する時、そこには否定的なニュアンスしかなく、『マルクスの悟達』に見られるような尊敬や信頼は微塵も感じられないのはそのためだ。

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