ストア派哲学の創始者ゼノンには多くの弟子がいたが、それを継承した二代目の学頭がクレアンテスである。クレアンテスは学問的な資質には欠けることがあったが、労苦を厭わぬ生活態度のために名声を勝ち得た。
ストア派哲学の継承者クレアンテス
ゼノンに学ぶ
クレアンテスは元拳闘家という経歴を持った変わり種で、アッソスの人だった。ゼノンに弟子入りしてから愚直に励んで、別の師を持つこともなく、生涯ストア派の教義を守り続けることになる。
彼はひどく貧乏なために、ゼノンの弟子として学ぶかたわら、夜は水汲みの仕事をすることで生活費を稼いでいた。そのことから彼には「プレアントレース」(井戸から水を汲み上げる人)というあだ名までつく。
仕事のために見事な体躯をしていた彼は、どうやって暮らしを立てているのかと裁判所に疑いを持たれて呼び出されたが、水汲みをしていた庭の管理人と、粉挽きの仕事をしていた粉屋の女主人を証人に立てることで難を免れたことがある。
ゼノンもまたこの弟子を厳しく鍛え、法廷でクレアンテスに払うことが決まった報奨金の受け取りすら許さなかった。
鈍くて愚直
彼には鈍重なところがあり、学問的な資質には欠けていた。そのために同門の人に嘲られ、「驢馬」と噂されることすらあったが、それでも「私だけが一人ゼノンの荷を運ぶことができるのだ」と言って気にしなかった。また、臆病だと非難されれば「だからこそ私は、過ちを犯すことが少ないのだ」と言っている。
ある時、詩人のソシオテスがクレアンテスが居合わせた劇場で「クレアンテスの愚かさに駆り立てられた者たちを」という詩の一節を唱えたが、クレアンテスは動じずに、身じろぎもしなかった。観衆は感動してクレアンテスを称え、一方でソシオテスを劇場から追い出してしまった。
後でソシオテスが謝罪してくるとクレアンテスはすぐに許し、「ディオニュソス神や英雄ヘラクレスも詩人に悪く言われて怒らなかったのに、私ごときが悪口で腹を立てるのはおかしいからね」と言ったという。
クレアンテスの弟子
「もしクリュシッポスがいなかったら、ストア派はなかったろう」と言われたクリュシッポスは、このクレアンテスの弟子である。

老年と死
彼の愚直な生き方は老年になっても変わらず、同じくゼノンの弟子だったアリストンが、ある時、誰かを叱りつけるクレアンテスの声を聴き、「どなたを叱ってらっしゃるのか?」と訊くと、「髪の毛が白くなっても分別のない老人(自分自身)をだ」と笑いながら答える。
彼の最期は次のようなものだった。
彼の歯茎が炎症を起こしたために、丸二日間食事を医者に禁止された。ある程度良くなったために医者は再び食事を許可したが、彼はもう年を取りすぎているためにそれを断り、そのまま絶食を続けて命を絶った。