千葉には伝説的なチーマーのKGBというチームがあり、そこに所属していたのが「人刺し裕」と呼ばれた内藤裕(ないとうゆたか)です。
「人刺し裕」とまで呼ばれた内藤裕さんはどのような伝説を持っているのでしょうか。
内藤裕のプロフィール

画像:GBR
内藤裕の年齢・生年月日は?
内藤裕さんの細かい生年月日は不明です。
しかし2008年時点で31歳、2013年12月で36歳ということなので、
1977年ごろの生まれで、現在は43歳ぐらいでしょうか。
内藤裕の身長・体重
- 身長 163センチ
- 体重 55キロ
かなり小柄です。体重は試合に出るために絞った時のものだと思うので、もう少しあるかもしれません。
内藤裕の職業
内藤裕さんの職業は不明ですが、試合に出ているもののプロの格闘家ではないようです。
しかし2009年4月の総合格闘技津田沼道場の総合格闘家・小林聖人さんのブログでは、内藤さんの写真をあげて
ちなみに僕以外は現役の指定広域暴力…おっと失礼、本職の方々(^^)
引用:KGB
としているので、もしかしたらヤクザだったことがあるのかもしれません。
しかし、瓜田と一緒に刺される事件が起きた2013年12月当時では「当面はカタギとして生きていくつもり」としており、今は非合法な活動などはしていないと思います。
【千葉】KGBの「人刺し裕」内藤裕の伝説とは?【30対1で刺しまくり】
千葉の伝説的チーマー「KGB」に所属
内藤裕さんは公式には「関東伝説のチーマーグループの幹部で、喧嘩の日々を過ごしてました。起こした事件、数え切れず」と紹介されています。
KGBは千葉では伝説的なチーマーです。
KGBは「キング・オブ・ギャング・ボーイズ」の略だといいます。
構成員は300人、周辺者も含めれば1000人もの数がいました。
このKGBで内藤裕さんは、2代目のリーダーとなった田中雄士さんとともに、同じ日に別の場所で事件を起こして逮捕されたそうです。
KGB2代目リーダーの田中雄士の伝説【経営者でキックボクサー】
30対1で刺しまくり
当時、内藤裕さんは誰彼かまわず刺しまくっていたといいます。
内藤さんは『THE OUTSIDER(ジ・アウトサイダー)第参戦』のアンケートで、喧嘩戦績について聞かれると、
戦績は別にないけど、負けたことはない。喧嘩にも種類あるよね。刺しちゃうし、さらっちゃうし、何でもありだから。まずオレは負けないね。
と答えています。
また「今までで一番凄かった喧嘩(武勇伝)」については、
1対30で喧嘩して刺しまくって逃げちゃった、アハハハハ!
と答えています。
同じアンケートで内藤さんは、尊敬する人、好きな格闘家を聞かれると、同じKGBに所属していた格闘家の高谷裕之だと答えています。
「刺す刺されるはガキの頃からしょっちゅうある」
内藤裕さんといえば、瓜田純士の引退試合の相手を務めたことでも知られています。
その引退試合の後に瓜田と仲良くなった内藤さんは、一緒にいたところを刺されたことでも話題になりました。
事件後のインタビューで、「人刺し裕」と呼ばれた内藤裕さんが皮肉にも刺されて事件になったことをどう思うか聞かれると、このように答えています。
内藤 「よくあるケンカの一つ。刺したり刺されたりは、ガキのころからしょっちゅうあること。全然特別なことじゃないし、これしきのことで僕の心は折れませんよ。普通は、刺されたり、さらわれたりすると心が折れるもんですけど、僕は一切折れないですね。心さえ折れなきゃ、誰にも負けない。そういう考えで、KGBのときから命かけて戦ってきました。やられたらやり返せばいいし、徹底的な暴力で相手に何も言わせなくすればいい。それが僕のケンカです。きっと関東連合のメンバーは関東連合が一番と思ってるだろうけど、自分は自分らが一番と思って生きてます」
内藤さんは自分自身について「勝ち負けに100パー」こだわる人間だといっています。
同じインタビューで瓜田は兄貴分の内藤さんについて、
兄貴は『負けるんだったら自分も死ぬ、気絶するまで殴り合う、勝つためなら手段を選ばない』という考えで生きていて、とにかく勝ちに徹底している人間ですね。
という風に語っています。
以上になります。