六本木クラブ襲撃事件の首謀者、関東連合リーダーの見立真一ですが、不良としての彼はいったいどの程度強かったのでしょうか?
ここでは見立真一の関東連合での抗争や喧嘩の話を中心にまとめたのでご覧ください。
【関東連合】見立真一の強さとは?
見立真一は必ずしも喧嘩では強くなかったという話はよく聞きます。
見立の強さというのは、単純な腕力というより、集団で相手をさらう、執拗にヤキを入れて恐怖心を植え付ける、といったことが中心でした。
ここから見立真一がどのように強かったか、あるいはさほど大したことがなかったのか、という情報をまとめていきます。
永福町ブラックエンペラーを復活させるまで
中一まで真面目だった見立真一ですが、中二の時に塾で「がり勉見立」とバカにされ、相手を階段から突き落として鑑別所送りになります。

画像:工藤明男のブログ
環境を変えようと思った両親は静岡の沼津に引っ越しますが、転校した学校で番長グループに呼び出され、相手に「タイマンで勝負しろ」と言ってタイマンをはりますが負けてしまいます。
それからは番長格の少年にお菓子屋ジュースを自腹で買いに行かされるようなパシリもしていたといいます。
しかしそこからこの静岡で、見立真一は、喧嘩の腕ではなく、「直結」と呼ばれたバイクの窃盗技術によって一目置かれ、不良グループ内で地位を築きました。
東京に戻ると見立は地元の永福高校に入学しますが、1年で退学すると、永福町ブラックエンペラー21代目で稲川会系暴力団員だった高橋に話を通してブラックエンペラーを復活させます。
結成時は東田、高南、高井戸といった中学校から、見立の他、国田、佐藤カンジ、松嶋重(後のAV監督・ヤクザ)といったS53年世代のメンバーを集められました。
TOP-Jと一人で話をつける
永福町ブラックエンペラーが復活して間もないころ、当時の暴走族はチーマーを目の敵にしてチーマー狩りをしていましたが、ブラックエンペラーは渋谷にあった伝説的なチーム「TOP-J」を主に標的にしていました。
ブラックエンペラーのメンバーが一人、TOP-Jに大勢で囲まれて攫われて人質にとられ、TOP-Jは見立真一を呼び出します。
TOP-Jのリーダーは井上勇でしたが、相手が50人いるところに、見立はたった一人で現れ、それに感心した井上勇は「お前気合入ってるな」と逆に親しくなり、大事には至りませんでした。
「ワキガ王子」のあだ名にキレて瓜田純士に11時間のヤキ

画像:Instagram
ネットでは見立真一は「残虐王子」というあだ名で呼ばれていましたが、工藤明男によれば、当時実際の彼にそのあだ名で呼ぶ人はいなかったといいます。
その代わり、実際に後輩の瓜田純士が見立につけたあだ名が「ワキガ王子」。
このあだ名をつけて仲間内で話した時、バカウケしたそうですが、それがどこからか漏れて、後日瓜田は見立たちに呼び出されて壮絶なヤキを食らいます。
現場にいたのは松嶋クロス(重)、佐藤カンジ、国田、高井戸のSといった面々で、見立だけではないですが、この時の恐怖は「一生消えないだろう」と瓜田は語っています。
特に見立くんは、すごかった。骨が折れようと泣き叫ぼうと、絶対に殴る手を緩めてくれない。
引用:瓜田純士『遺書』
見立のヤキでの執拗さは有名だったようです。
瓜田純士『遺書』によれば、見立真一のヤキは相手が土下座して詫びたり気絶したりしても殴る手を緩めず、顎の骨が砕けた相手の顎をさらに何時間でも殴るという執拗さだったといいます。
また工藤明男も『いびつな絆』で、敵対している相手はもちろんのこと、身内に対するヤキはそれ以上に執拗だったとしています。やはり相手の前歯がすべて折れ、顎の骨が折れて口からダラダラ血を流している相手でも殴り続けたそうです。
大嶽三兄弟の長男・大嶽清孝にワンパンで失神させられる
しかしこの時ヤキを入れられたメンバーは瓜田だけではありませんでした。
工藤明男は『破戒の連鎖』で、「見立君世代のメンバーそれぞれにあだ名をつけて、悪口を言っていたから」という理由で、瓜田だけでなく複数の者がヤキにあったことを書いています。
その中には大嶽三兄弟として知られている三男の大嶽正史(後にプロボクサー)がいました。
- 長男 大嶽清孝
- 次男 大嶽伸次
- 三男 大嶽正史
弟があまりにもひどい暴行を受けたので、見立の4学年上の先輩で、後に住吉会系組員になった三兄弟の長男の大嶽清孝は見立を呼び出します。
大嶽清孝は極度のハードパンチャーとして知られ、少年院の中で殴った相手の頭蓋骨を陥没させたことがあり、谷山秀行(与国秀行)ですら敬遠するほど危険な者でした。
そして呼び出した清孝が見立を殴ると、一発で鼻が折れて気絶してしまったといいます。
後に成人後の見立は、相手を一撃で沈めることにこだわるようになりますが、これは2学年上の喧嘩最強とされたハードパンチャーの谷山秀行(与国秀行)への憧れもさることながら、大嶽の長男に殴られて気絶した経験がトラウマになったからではないかと工藤明男は推測しています。
宇田川警備隊のメンバーを刺す
宇田川警備隊と抗争になった時は、宇田警備隊の舟木(S52)の立ち合いのもと、宇田川警備隊の英悟という人とタイマンを張ります。
この喧嘩でボコボコにされ、耳までちぎられそうになったため、見立はエンペラーの同期である幹二から包丁を受け取って英悟を刺してしまいます。これで見立は捕まったといいます。
また別の説では、タイマンでボコボコにされたために、もう一度呼び出して大勢で騙し討ちでボコボコにしたという説もあります。
コンタクトが外れて押し込まれる:アーリーキャッチとの抗争
このように見立は喧嘩ではさほど強いとは言えず、タイマンでは「コンタクトが外れた」といって相手に押し込まれるようなこともあったといいます。
宮前愚連隊の工藤明男も『破戒の連鎖』で、S52世代でもっとも強いと言われていた宮前愚連隊の清田の方が見立より強かったと書いています。
アーリーキャッチとブラックエンペラーがタイマン合戦を行った時、見立の相手は気が弱くてあまりパッとしない不良少年でしたが、見立はコンタクトが外れてこの相手に苦戦してしまいますが、最後には勝ちました。
しかし柴田大輔(筆名:工藤明男)は「不良として自分が見下していた者に見立くんが苦戦したので少し気まずく感じた」と言っています。
井荻レーシングを制圧、凌辱写真を撮る
見立ら永福町ブラックエンペラーが、走りを中心としたチームであるTC連盟の支部・井荻レーシングと抗争し、リーダーらに69をさせる有名な「凌辱写真」を撮った時の話です。
何度か井荻レーシングと永福町ブラックエンペラーは抗争になり、松嶋クロスはゴルフクラブで3人にボコボコにされます。
1年後くらいに現役の関東連合メンバーは井荻レーシングの頭をさらい、見立や松嶋は井荻の頭たちをボコボコにした上で互いに69をさせて写真を撮りました。
しかし井荻との抗争は再燃し、そこに抗争に負けたアーリーキャッツのOBの後押しも加わり、いつの間にか現役たちは、「アーリーキャッツ」「井荻レーシング」対「宮前愚連隊」「永福町ブラックエンペラー」のタッグ戦という形になります。
井荻の頭はなぜか柴田大輔(筆名:工藤明男)を指名して、タイマンをはることになりますが、柴田は既に心が折れていた井荻の頭を一方的に殴って降参させ、それでチームは解散しました。
井荻のリーダーらは69の写真を後にヤクザを動かして取り戻そうとしますが、逆に怒った松嶋重らにバラまかれ、後に雑誌に売られて有名になってしまいます。
工藤明男の語る見立真一の本当の怖さとは

画像:工藤明男のブログ
見立はこれまで見てきたように、必ずしも喧嘩の強さで有名ということではありませでした。
しかし人間のネガティブな感情を利用することで、仲間内での人間関係をコントロールして、自分が主導権を握ることに巧みなところがありました。
例えば見立真一は、仲間内でも自分の気にいらないことがあると相手に対して電話に出なくなり、しばらくの間無視することで相手に不安を与え、他の仲間に電話をかけては「あいつはお前のことを嫌ってる。腹黒い裏切り者だから電話に出ないでくれ」と伝えて孤立させることがあったといいます。
また必ず相手を攻撃する時、自分ではなく「○○がお前を嫌ってる」とか「後輩がお前のしたことに納得がいってない」といった形で、自分以外の誰かに責任転嫁させる形で相手を責めたといいます。
工藤明男は著書『いびつな絆』でこのように書いています。
見立君の本当の怖さはその腕力ではなく、いつ手のひらを返して敵に回るかわからないところにあった。意図したものかどうかはわからないが、周囲の人間に対して、常に独特の緊張感を与えていた。周囲の者も見立君が突如として仲間内に向ける暴力の意図を測りかねて戸惑っていた。
引用:工藤明男『いびつな絆』
見立はまったく予想外の場面で急にキレたり暴力を振るうことで、相手や仲間の意表をつき、緊張感を与えることで一目置かせることに長けていました。
また頭が良く、話すことに説得力があったといいます。
さらに見立真一は、仲間内でも喧嘩を煽って自分以外の誰かと誰かが揉めるのを好むようなところがあったそうです。
こうした人間の恐怖心や不安を煽ってコントロールするのに巧みなところが、必ずしも腕力で一番優れているとは言えない見立を、関東連合のトップで居続けさせたのではないでしょうか。
以上になります。