カネカの元社員の妻がツイッターで夫が育休復帰後すぐ転勤に言い渡され、結果的に退職せざるえなかったと告発したパタハラ疑惑によってカネカが炎上しています。
それに関連し、カネカ社長の角倉護(かどくら・まもる)さんが弁明のためのメールを社員宛てに送っていたことが明らかになりました。

このメールを送ったとされる現在のカネカ社長である角倉護さんとはどのような人なのでしょうか。ここではカネカ社長の角倉護さんについて調べてまとめました。
角倉護(カネカ社長)の顔画像
出典:カネカ
角倉護(カネカ社長)のプロフィール
角倉護社長のプロフィールはこちらになります。
読み かどくら まもる
生年 1959年
出身 大阪府
高校 大阪府立住吉高校
大学 同志社大学工学部工業化学科
最終学歴 京都大学大学院工学研究科博士後期課程修了
入社年 87年 鐘淵化学工業(現カネカ)入社
角倉護(カネカ社長)の学歴・経歴
幼少年期
角倉 護(かどくら・まもる)さんは1959年6月、大阪市の生野区で生まれました。
父はケーキ屋で両親は忙しく、小学校に入るまで兵庫県姫路市の父の実家で育ちます。
中学時代は野球部で、高校では1年間だけ柔道部でした。
理由は柔道部に興味があった友人に「心細いから付いてきてくれ」と言うのでいったら、「お前も入れ」と入れられてしまったからだといいます。
大学・大学院
大学は同志社大学の工学部を卒業、就職するつもりでしたが納得する仕事が見つからないために仕方なく大学院に進みます。
1987(昭和62)年に京都大の大学院の後期課程を修了。
後年、部下の提案の多くに「やってみろ」と挑戦を促すようになったのは、この大学院時代の恩師が何でも「やってみろ」と言う教授だったからだといいます。
カネカ(旧鐘淵化学工業)で勤務
1987(昭和62)年の大学院修了とともに、当時「鐘淵化学工業」という名前だった現在のカネカに入社しました。
入社して初めて配属されたのは兵庫県・高砂の合成樹脂研究所です。
自己申告で海外勤務の「ベルギー」を希望、角倉さんを研究者と考えていた課長には反対され、「君は一生、研究所だ」と言われますが、その後にきた米国留学の経験を持った新所長が「是非行きなさい」と認めてくれ、1998年秋までベルギーに6年半もの間勤務することができました。
またそこから帰国すると元通り兵庫県・高砂の合成樹脂研究センターを拠点とし、合成樹脂の強化剤や改質剤の開発を指揮しました。
加えて高砂から毎月のように米国に出張って、日本で作ったサンプルを売り込みます。
この時、米国側の関係者と交渉し、食事をしたりする過程で、「まず商売以前に信頼関係が大事」という信念を得たといいます。
2006年5月に初めての東京勤務。2009年に高機能性樹脂事業部長、10年に執行役員、12年に取締役常務執行役員と順調に昇進し、2014年に54歳で社長に就任しました。
角倉護(カネカ社長)の言葉
ネット上では角倉護社長の名言を紹介しているページもありました。
- 商売以前に、信頼関係が大事。
- これからは世の中の変化をとらえながら、スピードを上げていかなければならない。
- 従来からある技術でも新しい組み合わせを見付けることで、社内ベンチャーのような新規事業を生み出せる環境が当社にはある。
- 市場開発をする上では、製品スペックだけでは顧客が採用・購入する理由になりにくい。儀礼的な会社同士のつきあいだけでなく、人・技術の信頼関係が重要。
- 垣根がないことが当社の特性であり核。それぞれが、全く関係がなさそうに見える事業でも、基礎技術の部分では組み合わせをしていたり、応用しながら進んでいます。
引用:角倉護の名言
これを見ても角倉社長は「信頼関係」の重要性を強調しています。
今回のパタハラ炎上によって疑惑の目を向けている人たちならきっと「どの口で言っているんだ」と思ってしまうでしょう。
しかし、カネカのような大企業の社長になったほどの人ですから、本来はきっと優れたリーダーなのだと思います。
このような機会によってスポットライトが当たってしまうというのは残念ですね。
以上、カネカの角倉護社長の情報でした。