イラプション(チーマー)の頭の黒澤と木村・兄のタイマン【明大中野】

86~91年あたりに存在したチーマーとして、イラプションという有名なチームがありました。

イラプションは当時、渋谷では有名な存在でしたが、最後は瓜田純士や木村兄弟・兄との連合軍と闘って敗北、解散に追い込まれたということです。

ここでは有名チーム・イラプションについてまとめました。

イラプション(チーマー)と瓜田・木村兄ら杉並連合の抗争

【明大中野】イラプションとは?「BAD-G」と友好関係

イラプションとは1986~91年あたりに存在したチーマーです。

このチームは「伊良部」という人物が作ったとされており、名前の由来も伊良部から「イラブション」だったものが変化して「イラプション」になったとされます。

この伊良部は、嘘か真か、ギャグマンガ「クロマティ高校」に登場するクイーンのボーカルにそっくりの胸毛の濃いキャラクター・フレディのモデルだったと匿名掲示板では噂されています。

またイラプションのメンバーは明治大学付属中野中学校・通称「明大中野」の、比較的家が裕福な学生が中心でした。

しかし、解散に追い込まれる当時は、昭和54年世代を中心とした明大中野の1年生たちで構成されており、友好チームとして「BAD-G」がいました(ちなみにこの「BAD-G」について、匿名掲示板の噂では、のちに代々木公園でホームレス殺害事件を起こしたともいわれています)。

またこの「BAD-G」のメンバーは、敵対している関東連合グループと後に一緒に行動することになる田丸大が副リーダーだった世田谷の「TOP-J」の直の後輩でもあり、人間関係はかなり錯綜しています。

さらにこの当時、関東連合のリーダーとなる見立真一は「TOP-J」のリーダー・井上勇と意気投合して友好関係にありましたが、その見立は傷害事件で静岡県沼津の施設に入れられて不在でした。

そのため、イラプション・BAD-Gを中心として、都内のチーマーたちは暴走族を標的にして暴れまわっていました。

イラプションの頭は、明大中野の名門レスリング部で、1年生で全国大会に出るほどの猛者だった黒澤でした。(黒澤は現在は結婚して子供もいるそうです=2008・4の匿名掲示板情報)

松嶋クロス(松嶋重)が瓜田純士をけしかける

当時、瓜田純士は見立真一に「ワキガ王子」というあだ名をつけたことが原因で11時間にも及ぶヤキを入れられ、バックレていました。

突然瓜田のもとに松嶋重からの電話がかかってきます。

青ざめた瓜田ですが、仕方なく呼び出しに応じて行ったところ、松嶋に「バックレたのをパイ(無罪放免・チャラにする・許すの意味)にしてやるからイラプション・BAD-Gをつぶせ」と命じられます。

松嶋は見立真一が不在で、松嶋自身は武闘派ではないために瓜田をけしかけてつぶさせようという考えだったようです。

瓜田は「パイ(無罪放免)」という言葉に飛びついて、「やります!やらせてください!」と二つ返事で引き受けました。

瓜田純士が集めたメンバーに木村兄弟の兄・木村泰一郎も

瓜田はやる気を出して、本当にやる気のある者だけを少数精鋭で集めようと考えます。

彼がすぐに声をかけたのが、

  • 中野近辺の15の中学を制圧した相原(25歳で火事によって焼死)
  • 東田中のカネ
  • 大嶽三兄弟の三男・大嶽正史(後にプロボクサー)
  • 相原と同級生の畑中(仮名・当時ラグビーをしていた)

といった者を含む9人だけのメンバーでした。

この時、瓜田の親友だった相原が「もう一人入れたいやつがいる」と言い出します。

それが木村兄弟の兄・木村泰一郎でした。

木村泰一郎は、イラプションの頭の黒澤と揉め、自宅を襲撃されて木刀で頭を割られ、頭の14針縫うほどの大きなケガをしており、その復讐のために加わりたいのだといいます。

泰一郎は相原や瓜田の同期でしたが、瓜田は彼を知らなかったためにすぐには了承しませんでした。しかし直接会った泰一郎が頭に痛々しい縫い傷を持っているのに平然としている根性に感心して仲間に入れます。

「BAD-G」の頭が瓜田純士とのタイマンから逃げる

そこから瓜田・相原・木村らのグループは都内のいたるところでイラプションや「BAD-G」と衝突します。

そんな時、松嶋クロスはたまたま「BAD-G」の頭から連絡を受け、タイマン勝負で蹴りをつけないかと提案されます。

松嶋は瓜田に連絡をし、「BAD-G」の頭と瓜田が、松嶋ら関東連合の3人、柴田大輔ら宮前愚連隊の3人の立ち合いのもとタイマンをはることになりました。

しかしそこでは、柴田大輔が初対面の瓜田純士をバイクの後ろに乗せてしばらく都内を流しに行くなどの唐突な行動を起こし、そのために戦意が萎えてしまったのか、戻った瓜田純士が「BAD-G」の頭に向かっていくと、突然「BAD-G」の頭は逃走してタイマンをはることができませんでした。

チーマーを拉致して半殺しにする

そこから瓜田は電話番号が分かる敵に電話をかけ、イラプション・「BAD-G」のリーダー格にタイマンの誘いをしますが、当時名前が売れていた瓜田を恐れて誰ものってきません。

1996年1月の末に瓜田らは、新宿に150人、渋谷に60人ほどのチーマーが集合しているという情報を得て、もっとも人数の多い新宿に武器を持って10人ほどで向かいます。

集まっている大勢が瓜田たちの姿を気づくと「瓜田だーー!」と蜘蛛の子を散らすように逃げ出しました。

それぞれのメンバーらは相手を捕まえて馬乗りになって殴りつけます。

結局肝心の黒澤は捕まえることができず、相原とははぐれてしまったものの、敵のチーマーのメンバー数人を拉致して瓜田・木村らは丸ノ内線の車内に連れ込みました。

この車内でも木村泰一郎は返り血で血まみれになるまで相手を殴りつけていたといいます。

拉致したチーマーのポケットからは「殺すリスト」なるものが出てきて、相原や大嶽正史の名前があり、木村泰一郎の名前には二重丸、瓜田の名前には一番でかい花丸がつけられていたそうです。

しばらくすると相原からも敵のチーマーを何人か拉致したと電話があり、相原・瓜田らは蚕糸(さんし)の森公園という当時のたまり場に連れ込み、パトカーが来て撤収するまで相手を徹底的に痛めつけました。

最終決戦当日の公園では伝説の不良たちがそろう

150対10で勝ったことで、ほぼ瓜田らのチームの勝ちは決定したようなものでした。

しかし「TOP-J」は、杉並よりも自分たち世田谷の後輩たちの方が弱いとなることに納得がいかず、松嶋に「タイマンかゴチャマンで勝負をつけろ」と言ってきました。

納得がいかない瓜田でしたが、完全決着をつけるために仕方なく引き受けます。

イラプションの黒澤と事前に連絡を取り合って互いに罵倒し合いになり、電話口で「覚悟しとけよこの野郎!」と言って電話を叩き切りました。

4対4で、杉並児童交通公園で決着をつけることになります。

1996年2月、当日の公園ではチーマー側は世田谷のTOP-J、新宿のジャックス、暴走族側は松嶋クロスら永福町ブラックエンペラー、柴田大輔ら宮前愚連隊、三鷹スペクター、関東連合OBなど、100人ほどのギャラリーが集まっていました。

さらにこの中には六本木クラブ襲撃事件の直接の原因ともされる、新宿の路上で撲殺されて32歳で死んだ、狂乱恋命久我山OBの金村剛弘(本名:金剛弘:キムガンホン)もいました。

この時、現役だけでなく、それぞれを応援するOBも大勢集まったことで、関東連合の松嶋とTOP-Jの田丸大らOB同士の間にも鋭い緊張感が漂ったといいます。

4対4のゴチャマン:瓜田は「黒澤の方が俺より強い」と悟る

タイマンに名乗りをあげたのは、最初から決まっていた瓜田純士をのぞけば、木村泰一郎と他2名が出てきました。

一方のイラプションサイドは、頭の黒澤と武田修(後の木村兄弟グループ)、他2名が出てきました。

しかし周囲を先輩たちで囲まれたことで、タイマンするために集まったメンバーは委縮して喧嘩を始めづらい雰囲気になります。

仕方なしに互いにどうやって相手をつぶすか相談すると、瓜田らは「まず頭の黒澤をつぶそう」ということになり、瓜田が「GOサイン出したらさっさと始めよう」と言うと、既にやる気満々だった木村泰一郎が合図を待たずに「よっしゃーー!くろさわーー!」と突っ込んでいきます。

しかし考えることはまったく同じで、向こうもリーダーの瓜田純士を真っ先につぶそうとかかってきました。

レスリング部員の黒澤のタックルで瓜田はあっさり投げられた上、マウントを取られて上から殴られます。この時、瓜田は「あっ、黒澤の方が俺より強いな」と悟ったといいます。

しかしそこで冷静になった瓜田は、目の前で木村泰一郎のブーツが黒澤の顔にめり込むのが見え、鼻が砕けた黒澤は血を流してのたうち回りました。

いったんケリがつくも今度はタイマンの流れに

黒澤が倒されたことでいったん喧嘩は中断しますが、これでゴチャマンでも負けた形になってしまうイラプション側は焦って、武田修が「向こうは素手でなく武器を隠し持っている」とイチャモンをつけます。

その声を受けて宮前愚連隊の先輩が瓜田らのボディーチェックをしますが、泰一郎はそれに文句を言い、宮前愚連隊の先輩を怒らせます。

さらにイラプション側は自分たちのネックレスを瓜田ら杉並チームの仕込んだ武器に偽装しようとしたことがバレ、TOP-Jのメンバーはイラプションにヤキを入れ、田丸大は武田修を殴って吹っ飛ばします。

グダグダになったところで、金村剛弘が「タイマンで決めろ」と一声かけると、そういう雰囲気になりますが、瓜田はさっきの記憶があるので黒澤とやるのに気乗りしません。

すると鼻をタオルで抑えていた黒澤が起き上がって「先輩!木村とやらせてください!」と木村泰一郎を指名します。

瓜田は内心ホッとしながらそれを隠してタイマンを譲りました。

イラプション(チーマー)の頭の黒澤と木村・兄のタイマン

こうして木村泰一郎とイラプションの頭、黒澤の喧嘩が始まります。

黒澤は瓜田にしたのと同じように、ものの5秒足らずであっという間に泰一郎を転がし、マウントポジションを取り上から拳の雨を降らせます。

かなり不利な状態になったと思ったその時、顔を下げた黒澤の顔に泰一郎の手が近づき、黒澤の左眼に泰一郎の指が第二間接までめり込みました。

「いってーー!!」と黒澤が絶叫し、左目から大量の血が流れ出し、マウントポジションをといた隙に、泰一郎は立ち上がった黒澤の着ていたパーカーをかぶせてヒモを交差させて思い切り締め出しました。

黒澤はパーカーで眼の前が見えない状態になりながらも必死に抵抗しますが、やがて黒澤は膝をついて意識を失って落ちてしまいます。

TOP-Jの田丸大は二人を引き離し、完全に決着がつきました。

こうして、この喧嘩で負けたことでイラプションは解散することになりました。

イラプションと杉並グループの抗争の後始末

この後、負けたイラプションは、TOP-Jの先輩たちにヤキを入れられます。

その横で瓜田らも松嶋はじめ、関東連合の先輩たちにヤキを入れられています。

瓜田に言わせれば、これはTOP-Jが後輩に教育しているので自分たちも対抗意識で行う一種の「場面」だということです。

タイマンで勝った木村泰一郎を除いて全員がヤキの対象になりますが、この時、瓜田は特に「何でリーダーのはずのお前が最後のタイマンをしねえんだ!」と柴田大輔にキレられて何発も殴られています。

この時、本来同い年の柴谷殴られたことで、瓜田の中で「何かが終わってしまった」と『遺書』では書かれています。

このヤキは特に、瓜田純士が関東連合入り(具体的には梅里スペクターの頭をやれと言われた)を断る理由になったようです。

この記事は以上になります。