7月12日の午後、神戸山口組系の「古川組」元組長が、尼崎市内・阪神尼崎駅近くにある飲食店付近で殴られて軽傷を負ったというニュースがありました。
この「古川組」元組長とは、古川組の二代目組長で元総裁の古川恵一のようです。
また殴ったのは六代目山口組の弘道会関係者で、すぐに尼崎南署に名乗り出たとのことです。
尼崎で襲撃された古川組元組長は古川恵一元総裁
まとめると今回の襲撃については次のように言われています。
- 時刻は2019年7月12日の午後
- 場所は阪神尼崎駅近くにある飲食店付近
- 犯人は六代目山口組の弘道会関係者
- 古川恵一元総裁は軽傷を負った
犯人は弘道会の三木一郎
さらにツイッターなどの情報では、犯人の「弘道会関係者」は、弘道会の「三木一郎」なる人物だとされています。
弘道会の三木一郎が神戸の古川恵一を殴り
尼崎南署に出頭したそうです— ・893 (@fight0Japan) July 12, 2019
転送
弘道会、三木一郎が
神戸山口組
古川恵一を殴り
尼崎南署に出頭した
そうです。らしいです。
— 任侠 (@ninkyooo) July 12, 2019
昨日の事件の詳細
7/12(金)昨日のPM4:00頃
尼崎市神田南通1丁目にある古川恵一氏の関係(実子)のお店から、古川恵一氏が出て来た所を、三木氏が襲撃。傘で頭部を数発たたいたそうです。逮捕容疑「傷害」
— 白くま会長 (@ShirokumaKaicho) July 13, 2019
役職などつけられていないことから幹部ではないと見られますが、三木一郎は「S36生 三代目弘道会若中 本部付」とされています。
三木一郎(当時46歳)は2008年6月3日に、暴力団関係者であることを隠してマンションに入居したとして、東証1部上場の港湾運送大手「上組(かみぐみ)」の元役員・森川康博容疑者(67)とともに逮捕されています。
当時のニュース記事によれば三木一郎は、山口組ナンバー2である若頭の秘書役などを務めていたといいます。2005年から山口組は六代目体制に移行したため、2008年時点でこの「若頭」とは現在も山口組若頭を務めている高山清司を指していると思われます。
古川恵一元総裁は3月にも襲撃されていた
今回の事件で殴られた「古川組」元組長(古川恵一元総裁)は、昨年の3月にも、尼崎市神田北通4丁目の路上で襲撃されています。
2018年3月7日午後8時半頃、妻や子供とともに親族が経営する飲食店から出て、三和商店街(阪神尼崎駅そば)に差し掛かったところ、鉄パイプを持った男たちに襲撃されました。
襲撃した男たちは当初から命を取るつもりはなかったようで、古川恵一総裁(当時)の右足ばかりを狙って殴打したといいます。
しかしこの襲撃は、山口組と神戸山口組の分裂後、初めての直参幹部への襲撃だったために、関係者には大きなインパクトを残しました。
また襲撃される前にいた飲食店は、まだ六打目山口組に在籍時には山口組の幹部らと、神戸山口組に移籍後は、当時神戸山口組若頭代行を務めていた任侠山口組の織田絆誠代表と会食した場所でもあるといいます。
犯人とされる山口組関係者の3人の男は、翌年の2018年5月15日に傷害の容疑で逮捕されています。
古川組は複雑な分裂状態
この事件の当事者である古川組(ふるかわぐみ)は複雑な状況を抱えています。三代目古川組は神戸山口組の二次団体で、20名程度の直参がいるといいます。
昨2018年に例の飲食店で、まだ二代目組長だった古川恵一は、任侠山口組設立時、本部長だった四代目真鍋組・池田幸治組長らに引退を迫られました。
池田幸治組長によれば、この時、古川恵一は引退を宣言したといいます。
そこで二代目古川組の若頭だった山崎博司が、多くの組員を引き連れて神戸山口組を割って出て、「三代目古川組組長」を名乗って任侠団体山口組に移籍し、ナンバー3格の「本部長補佐」に就任しました(現在は本部長)。また古川組本部ビルも占有しました。
しかし一方で古川恵一は「引退を宣言した覚えはない」として、直筆の「御通知」と題する異例の文書を送ってその噂の火消に努めます。
出典:https://wikikobe.wiki.fc2.com/wiki/%E5%8F%A4%E5%B7%9D%E7%B5%84
さらに2017年7月6日、古川組の継承盃が行われ、三代目には舎弟頭であった仲村石松が就任し、古川恵一は総裁に就任しました。
2018年3月7日に、先述の通り古川恵一総裁は尼崎市内で襲撃されます。
2018年7月5日、古川恵一は総裁職を退任しました。
その後、古川組は傘下の四代目琉真会の事務所を古川組本部として使用していましたが、六代目山口組に復帰した琉真会初代である仲本政弘が不法占有であるとして引渡しを要求します。
それに応じて建物は仲本政弘に引き渡されています。
そこから仲本政弘も少人数で初代琉真会を再興しました。
そのため神戸山口組と任侠山口組に分かれた古川組のみならず、その傘下の琉真会も、神戸山口組(古川組)と六代目山口組とに分かれることになりました。
以上になります。