藤島ジュリー景子の父とは?藤島泰輔『孤獨の人』は三島由紀夫も賞賛

ジャニー喜多川さんの逝去にともなって、ジャニーズ事務所の新社長は、ジャニー喜多川の姪であった藤島ジュリー景子さんになるという報道がありました。

藤島ジュリー景子さんの母はジャニー喜多川の姉・藤島メリー泰子さんだということはよく知られていますが、一方で父親の作家・藤島泰輔(ふじしま たいすけ)氏(故人)についてはそこまで知られていません。

ここでは藤島ジュリー景子さんの父、藤島泰輔氏について調べてみました。

藤島ジュリー景子の父・藤島泰輔

名前:藤島泰輔(ふじしま たいすけ)

生没年月日:1933年1月9日~1997年6月28日

出身:東京府東京市(現在の東京23区)

父母:父・藤島敏男(日本銀行監事) 母・孝子 継母・紀子

妻子:妻・藤島メリー泰子 子・藤島ジュリー景子

職業:小説家・評論家

著書:小説『孤獨の人』 ポール・ボネ名義『不思議の国ニッポン』など

下記は藤島ジュリー景子さんの父・藤島泰輔氏の画像です。


出典:https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14172149934

小説『孤獨の人』は三島由紀夫も賞賛

藤島泰輔さんは初等科から大学まで、皇族を中心とした上流家庭の子弟が集まる学習院に学んでいました。その時の学友に当時はまだ皇太子だった後の平成天皇・現在の上皇陛下がいらっしゃいました。

その学習院での皇太子をめぐる人間模様を描いた青春小説が、藤島泰輔さんのデビュー作となった小説『孤獨の人(孤独の人)』です。

この作品は当初は『孤獨の共犯者』とされ、学習院生がそれぞれにみな孤独であることを描いたものですが、出版社の三笠書房がインパクトを狙って皇太子の孤独感のみを連想させる『孤獨の人』というタイトルにしたといいます。

内容は皇太子(作中では「宮」)を取り巻く環境が他の学生以上に不自由であり、なおかつ皇太子殿下が校内の権力争いの道具にされ、それを救済しようという試みも挫折に終わる、というものです。

藤島泰輔さんはこの作品の創作動機として「もっと皇太子さんの実状を知って欲しかった」としています。

当時この本はベストセラーになりました。

『孤獨の人』の序文は藤島の学習院の先輩にもあたる小説家・三島由紀夫が書いています。

三島由紀夫は同作について、学習院内での生徒による先生に対するいじめが描かれた部分を取り上げ、学習院ではそうしたいじめは昔からだったとしています。

三島は『孤獨の人』での藤島の筆致について「うますぎて心配」と述べており、小説の趣向として皇太子が「淋しい肩を見せて立って」いる様子を褒めています。

一方で友情と称して皇太子をモデルにしたことについては疑問を述べたようです。

藤島メリー泰子との結婚

藤島泰輔さんは1963年(昭和39年)、高浜虚子の孫娘である朋子と結婚、当初は円満に暮らしていましたがその後メリー喜多川と内縁関係になります。

メリーとの出会いは、当時メリーが「スポット」というカウンターバーを経営しており、そこで当時東京新聞記者だった藤島と出会ったといいます。

そして朋子と結婚した3年後の1966年(昭和41年)、正妻の朋子ではなく内縁関係の妻・メリー喜多川との間に長女の藤島ジュリー景子が生まれています。

1971年(昭和46年)に内妻のメリー・長女ジュリーとともにアメリカ・フロリダ州に移住、アメリカ生活を経験し、1972年(昭和47年)にようやく朋子と離婚しています。

その後、メリーと正式に結婚しました。

以後、1997年に死去するまでメリーと婚姻関係を継続したようです。

在日フランス人「ポール・ボネ」名義の本

藤島泰輔は社会評論家としても活動しました。

評論家としては大宅壮一の門下生とされていますが、左派・リベラルが多い大宅門下の中では右派・保守系であり、保守系雑誌の『文藝春秋』や『諸君!』などに寄稿していました。

一方で1975年ごろから藤島さんは週に一度のペースで、『週刊ダイヤモンド』誌上に「ポール・ボネ」名義で「在日フランス人の眼」と題したエッセイを連載しました。

この「ポール・ボネ」は設定上、日本に長期滞在しているフランス人ビジネスマンということになっています。

連載は長期間継続し、『不思議の国ニッポン』としてダイヤモンド社から出版された書籍は22冊にも及んでいます。

1996年に『さよなら、不思議の国ニッポン 在日フランス人の眼』が刊行され、ポール・ボネはフランス本国に帰国したことになっており、その翌年1997年に藤島は死去しました。

以上になります。

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