藤井学の半生や歌舞伎町阿弥陀如来の由来は?ニコ生出演や覚醒剤での逮捕

藤井学、またの名を「歌舞伎町阿弥陀如来」は、闇金時代には巨額の金を稼ぎ、さらに覚醒剤での逮捕、ニコ生出演、また「歌舞伎町五人衆」の話題で名前が挙がるなど、アウトローウォッチャーの間では注目されていた人間の一人です。

ここではその藤井学の半生について、まとめてみました。

歌舞伎町阿弥陀如来の由来は?

藤井学が「阿弥陀如来」を名乗るのは、実は藤井の祖父に由来があるそうです。

藤井の祖父は静岡の田舎の人間で8人兄弟の末っ子だったといいます。

しかし浜名湖に出かけた時、川から阿弥陀如来の木像が、まるで「桃太郎」の物語の桃のようにドンブラコと流れてくるのを見て、奮然として悟るところがありました。

木像を手にして上京すると事業を起こし、EDWINのジーパン工場、複数のビル所有、500人の従業員を使います。

藤井の祖父は人脈にも豪華なものがあり、天皇陛下と写った写真もあれば、住吉会の西口茂雄総裁と交流したこともあったそうです。

そんな祖父は藤井学に、「何でもいいから一番になれ」と教えたと言います。

この祖父は藤井が19歳の時に84歳で亡くなります。

生前、藤井の祖父は自分の成功の秘訣が「阿弥陀如来」の木像にあると信じ、庭にお堂を立てて阿弥陀如来を祭っており、そんな祖父の影響で、藤井は自分の身体にも阿弥陀如来の彫り物を入れました。

さらに歌舞伎町で派手に遊んでいたことから、「歌舞伎町」という言葉をつけて「歌舞伎町阿弥陀如来」とし、自分のブログを開設する際に、ブログタイトルに「歌舞伎町阿弥陀如来」と名前を付けます。

⇒ブログ「歌舞伎町阿弥陀如来

藤井学の不良少年時代から大人の不良への道

地元・杉並の高円寺

藤井学は昭和51年に東京・杉並区の高円寺で生まれます。

2人兄弟の次男で、三つ上の兄は19歳の時に麻雀の大会で優勝、また不良の先輩として藤井学に影響を与えたようです。

また杉並の2つ下の昭和53年世代には有名な「関東連合」の中心世代となる見立真一や松嶋クロス(重)らがおり、もう一つ下には瓜田純士もいて、特に藤井学は松嶋クロスとは関りが深かったようです。

藤井学と杉並の関東連合メンバーの関係は?瓜田純士や木村孔次朗のエピソードも

松嶋クロスとは一緒にチーマー狩りをしたこともあるといいます。

先輩や親友の桜井義光

杉並の地元では「Y君」「B君」(『歌舞伎町阿弥陀如来』)といった不良の先輩がおり、シンナーをさばく手伝いや、誘われて新宿の「のぞき部屋」で大人の世界に触れたりしました。

さらに定時制高校時代には桜井義光という無二の親友と出会います。

藤井学は初対面で桜井義光と意気投合し、祖父からの教え「一番になれ」を初めて破っていいと思えるほど桜井義光を信頼するようになり、「こいつが一番なら自分は二番でいい」というほどの友情と信頼を築きました。

桜井義光は最初は暴走族「最古利伊達(モッコリーズ)」に所属、次に2人だけの「極龍会」というグループに所属していました。

残念ながらこの桜井義光は、詳細は明らかではありませんが、関東連合がからむ抗争のゴタゴタのさ中に命を落としてしまったといいます。

それについて藤井は著書の『歌舞伎町阿弥陀如来』のある箇所では、「(桜井義光は)後輩のために命を絶った」とも記しています。

阿久津雄治組長との交流

若い時期、藤井学が「大きな影響を受けた」とするのが、阿久津雄治組長です。

四代目東京安田会(とうきょうやすだかい)は東京都新宿区西新宿に本部を置いた暴力団。阿久津雄治会長の除籍に伴い解散

東京安田会系譜
初 代 – 安田朝信
二代目 – 阿久津義光
三代目 – 阿久津秀長
四代目 – 阿久津雄治

組織図
会 長 – 阿久津雄治(良知組若中)

引用:四代目東京安田会

阿久津雄治はその「阿久津」という苗字から、ヤクザを題材にした有名な漫画『代紋TAKE2』の主人公「阿久津丈二」のモデルになったともいわれています。

特に阿久津雄治の掛け合いは見事で、藤井は阿久津が不利なところから態勢をひっくり返すのを真の当たりにするなど、阿久津のヤクザとしての所作を常に身近に見て学び、「兄貴」と呼ぶほどに慕うようになります。

また著書『歌舞伎町阿弥陀如来』では、阿久津と別のある人が盃を交わす際、互いの腕を切る場面で、「C型(肝炎)だから(血に)触るな」と注意されたエピソードを披露し、「そうまでしてヤクザは兄弟の契りを結ぶのか」と感銘を受けたそうです。

しかし藤井は阿久津雄治から、「(ヤクザにならずに)堅気としてやっていけ」と言われ、「分かりました」と答え、それに従います。

そんな阿久津雄治は藤井学の著書『歌舞伎町阿弥陀如来』出版の前年(平成29年)に亡くなったそうです。

右翼団体「東方青年連盟」に加入

藤井はヤクザにこそならなかったものの、実の兄に誘われる形で、右翼団体の「東方青年連盟」に加入します。

右翼団体は得てして「暴れる口実」や「シノギの口実」になりやすいものの、藤井が「東方青年連盟」は比較的真面目な団体で、勉強会や恵まれない子供の施設にケーキを持って行くなどの活動もしていたそうです。

とはいえ、やはり暴力的な側面は確固としてあり、構成員の大部分はヤクザで、総裁が暴力団の親分である関係から、暴力団抗争に巻き込まれることもあったといいます。

この右翼団体構成員時代、先輩が起こした揉め事を収めるために相手のヤクザと交渉し、苦肉の策として「人懐っこく謝る」という手段を用いて事を収めたこともあるそうです。

そのような修羅場やトラブルは、その時代頻繁に起こったことで藤井は鍛えられます。

藤井学の闇金時代

闇金を始める

藤井は25の時に闇金を始めます。

当時は山口組五菱会系の闇金の全盛期で、それに追随する形で多くの闇金業者が誕生し、それぞれ巨額の金を稼ぎました。その闇金グループの一つが藤井学のグループでした。

闇金のノウハウは既に闇金で儲けていた後輩から教わる形で、習得します。

最初に借りた店舗は、既に亡くなっていた祖父が北新宿に持っていた物件を借りる形で始めたといいます。

闇金時代の年収

藤井は各店舗で利益の7割を自分の分として得ていました。

店舗が5店舗で、1店舗が1カ月に500万なら2500万。

そのうちの7割なので1750万が藤井の取り分になります。

年間にすると、およそ2億1000万ほどの儲けです。

闇金のシステムが完成すると、藤井自身が何もしないでも大きな収入が自動的に入って来るようになっていたといいます。

そのようにぼろ儲けした金で、藤井は歌舞伎町で派手に飲み歩くようになります。

歌舞伎町五人衆の一人?

そのようにして歌舞伎町で派手に飲み歩く内に藤井学は、当時ネットの匿名掲示板で実(まこと)しやかに囁かれた「歌舞伎町五人衆」の噂で名前が挙がるようになります。

ただし「歌舞伎町五人衆」の噂は、五人と言いつつ、五人以外にもう五人、合計で十人ほどの名前が挙がるのが基本形で、そのメンバーが入れ替わることがあったその他五人のメンバーの一人として名前が挙がったことがあるということで、厳密にいえば「五人衆」の一人ではないようです。

当時、こんな書き込みがあったと言います。(①~⑤までが厳密な意味での歌舞伎町五人衆で、()は補足として記入しました)

①総帥 Y(矢野高宏)様 総資産300億以上
②五人衆最大派閥 K(工藤明生)様 最大量袖総資産200億以上 イベント仕切と金融詐欺?の帝王
③T(張貴也)様 蛇頭 総資産100億以上
④関東連 K(かんじ=前原完治)様
⑤元カジック K(笠井祐介)様〈補佐3人組〉
⑥グループ筆頭 O(萩)様
⑦ワンクリック王 T(哲)様
⑧(逮捕) S(佐藤嘉和)様〈補佐3人組相談役〉
⑨(逮捕) O(該当者不明:小笠原晃か)様〈五人衆グループ顧問〉
⑩歌舞伎町阿弥陀如来

引用:藤井学『歌舞伎町阿弥陀如来』

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覚醒剤での逮捕

藤井は先輩に勧められるなどして覚醒剤を何度か試しており、それまではそこまでハマらなかったそうですが、闇金がうまくいっていた30歳の頃、覚醒剤にハマってしまいます。

同じ時期、FX(担保となる金の何倍もの金額で行うことのできる通貨交換)にもハマっており、3億もの金を溶かしたといいます。

FXで負けると、「寝ないで集中しなければ」という理由からさらに覚醒剤に頼る悪循環に陥ってしまいました。

そこから5年後、35歳の12月28日、藤井はとうとう逮捕されます。

(下記は翌2012/2/8付のネットニュース)

覚醒剤などをインターネット掲示板を通じて販売する目的で所持したとして、警視庁サイバー犯罪対策課は8日までに、東京都新宿区大久保2、無職、藤井学容疑者(35)と同区北新宿1、無職、江島啓介容疑者(22)を覚せい剤取締法違反(営利目的所持)などの疑いで逮捕した。

同課によると、藤井容疑者は容疑を否認、江島容疑者は「営利目的ではない」と一部否認している。

同課によると、江島容疑者は藤井容疑者の指示で、ネット掲示板に「極上の冷たい氷あります」などと覚醒剤を意味する書き込みをし、昨年7~11月、約70人に計約100グラムの覚醒剤を販売。約510万円を売り上げたという。

逮捕容疑は昨年11月末、新宿区内のレンタル倉庫内で覚醒剤約11グラムなどを販売目的で所持した疑い。

引用:日本経済新聞

これを読むと、まるで藤井が覚醒剤の売人のように報じられています。

これについて藤井は著書『歌舞伎町阿弥陀如来』で、「実際には売人のようなことはしていないのに、そのように報道されて腹が立った」と書いています。

懲役2年、執行猶予3年の判決で家に帰ると、妻子がいる身でしたが、家はもぬけの殻だったといいます。

アメーバブログからのニコ生参戦

藤井は瓜田純士の勧めで29歳の時からアメブロ(歌舞伎町阿弥陀如来の 1000日の修行)をやっていましたが、出所後、そこから「ニコ生参戦」を宣言。

「阿弥陀如来」の名で、たちまち唯我、ウナちゃんマン、悪魔のQPといった「アウトロー系配信者」の人気者の一人になりました。

下記はウナちゃんマンが藤井学(阿弥陀如来)と電話で会話する動画です。

【ウナちゃんマン】 懲役上がりのアウトロー、阿弥陀に電話 【悪魔のキューピー】

また下は同じくアウトロー系配信者の「うさま」が、電話で藤井学(阿弥陀如来)と話している動画です。

うさま VS 阿弥陀如来[スタンバイ OK?] Part_1
うさま VS 阿弥陀如来[阿弥★スタ] Part_2

動画内で「1グラムいくら?」と訊いているのは、藤井学が逮捕報道で「売人」のように報じられていたことを皮肉っているものです。

また「レンタルギーニ」というのは、藤井がブログなどに載せていたランボルギーニが、どうやらレンタル車だったらしいということをからかっているようです。

二回目の逮捕で刑務所へ

藤井は、ニコ生でも長時間喋るために覚醒剤を打って出ていたといいます。

当然、明らかに薬で「キマッている」感じの藤井は警察に目をつけられ、前回の逮捕から8か月後、執行猶予で出てからは4カ月ほど経った36歳の時、2度目の逮捕をされます。

今度は執行猶予のつかない実刑で、刑務所に送られてしまいました。また藤井がニコ生をしていたのはわずか3カ月でしたが、大きなインパクトを残すことになりました。

藤井は不良として生きてきたせいで、小学校4年生ぐらいからまともに学校に通っておらず、読み書きに難があるために、活字どころか漫画さえあまり読んだことがなかったそうです。

そのために留置所では初めて読んだ『はじめの一歩』を全巻読破し、『ワンピース』には感動して涙が出るほどだったといいます。

また刑務所ではよくあるように、徐々に漫画、漫画から小説、小説から自己啓発など、色々なジャンルの本を読めるようになり、自身の「阿弥陀如来」の由来となっていた仏教の教えにも初めてしっかり触れることになりました。

著書の『歌舞伎町阿弥陀如来』では、出所後の藤井が「写経」をしている姿が写されています。

藤井学の現在

藤井学は3年ほど獄中生活を送った後、出所しています。

藤井はアウトローとしての生活はしていないようで、今ではグレーな仕事でも後輩にさせる形で自分は手を付けていないといいます。

またブログ更新こそしなくなったものの、ツイッターなどをしているようです。

たまにトークライブなどのイベントにも参加しています。

以上になります。