死去した平原宏一(見立真一の支援者)の経歴は?死因は喉頭がん?

柴田大輔(筆名:工藤明男)の『いびつな絆』を読んでいると、六本木クラブの人違い殺人事件以降、海外に逃亡した見立真一の支援者という者が登場します。

その人物は関東連合でもないのに見立を支援し、見立真一のことだけを考えて、国内に残る他の関東連合メンバーへの伝言や脅迫を伝えることで、関東連合内を混乱させる迷惑な人物のように描かれています。

同様に柴田大輔が実名で書いた『聖域』でも、その見立真一の支援者として「H原」なる人物が登場します。

この見立真一の支援者とは、敬天新聞や、彼の死去について伝えるアクセスジャーナルの記事から、「平原宏一」(読み:ヒラハラ・コウイチか)という人物であることが判明しています。

この記事ではこの「平原宏一」についてまとめてみました。

見立真一の支援者は平原宏一

アクセスジャーナル、および敬天新聞の記事から、見立真一の支援者は平原宏一だったということが明らかになっています。

平原宏一は東証マザーズにも一時は上場していた「アーティストハウス」の元社長でした。

また柴田大輔『聖域』にも登場する「ゴブリン(通称:ゴブ)」こと中村創の兄貴分的存在でもあり、『聖域』では中村から平原に多くの資金が上納されたということが書かれています。

<ミニ情報>あの元「関東連合」 リーダー、平原宏一氏が死去
平原宏一と六本木フラワーバット撲殺事件(見立真一with関東連合OB)

平原宏一は、2019年1月に脳死の状態に陥り、そのまま今年4月10日午前1時半ごろ死去しました。葬儀は4月14日に行われたそうです。

平原宏一の死因は喉頭がん?

平原は2018年の夏に、咽頭がんの宣告を受けて2度手術をしており、抗がん剤の副作用で30キロも痩せてしまいます。

もともと身長は180センチ、体重は120キロもあり、元水泳の選手でもあり、ボディビルで鍛えて筋肉隆々だった平原は、自分の変りように強いショックを受け、外出もできないほどだったといいます。

そのために実家に帰っていた2018年12月30日に精神科で治療を受けるために入院しようとしますが、年末で他に入院先がなかったため、有明の癌研(がん研究会有明病院)に入ります。

そのことから脳死の直接の切っ掛けは喉頭がんではなく、精神科の薬の副作用と考えている関係者もいるそうです。

1月5日に心肺停止、そこから蘇生するも脳死の状態に陥って、そのまま約3ヶ月後の4月10日午前1時半ごろ死去しました。享年42歳でした。

平原宏一の顔画像


出典:アクセスジャーナル

平原宏一の経歴は?

平原宏一の経歴は細部までは明らかではないですが、分かる範囲でまとめてみました。

平原宏一は昭和51(1976)年、4月16日生まれ生まれ。江東区の出身です。

見立真一は昭和53年世代なので、それより2世代上ということになります。

平原自身は見立や柴田ら他のメンバーのように関東連合のOBではないといいます。

また意外にも学業も優秀で、明治学院大学の法学部法律学科を卒業、大学卒業後はコンサル業を行っていたといいます。

しかし若い頃やんちゃだったことから、中国残留孤児の流れをくむ暴走族「怒羅権(ドラゴン)」メンバーと仲が良くなり、怒羅権と関東連合が友好関係であることから関東連合との繋がりができたと推測できます。(平原の子分的存在の「ゴブリン」こと中村創は、怒羅権関係者だといいます)

さらには組関係者(本職ヤクザ)とも繋がりがあり、山口組弘道会野内組との関係から、テキシア事件の主犯である銅子正人とも面識がありました。

しかし性格的には虫も殺せないほど優しい男だったそうで、後輩からトラブルを相談されれば断れない人の良さや面倒見の良さから祭り上げられたという側面も強いともいいます。

それでも親分肌で面倒見の良い平原は次第に関東連合の後ろ盾・相談役のような存在になり、海老蔵事件や朝青龍の暴行事件では当事者同士の仲介、六本木クラブ撲殺事件では警察との間を仲介したそうです。

特に六本木クラブ撲殺事件後、海外に逃亡し、かつての仲間とも連絡を取らなくなった見立真一と連絡することのできる、数少ない仲介者(支援者)になりました。

指名手配されて海外に逃亡して自由に動けない見立真一に代わって、見立真一の資金集めや見立の意向を国内の関東連合メンバーに伝える役目などを果たしたと思われます。

アーティストハウスの社長

実業家としては、アーティストハウスの社長だったことでも知られています。

ただし平原は設立当初からの社長ではありません。平原のこの会社社長という肩書は「ダミー」とも言われています。

おそらく「ダミー」と噂された原因は、平原の経営方針が不透明だったことでしょう。

アクセスジャーナルによる、あの元「関東連合」リーダー、平原宏一氏が死去(3)(一部訂正。追加情報あり)のページ。関係者によれば5月22日、警視庁町田警察署は脅迫容疑で中島辰之介容疑者(43)を逮捕したという。 この連載(1)、(2)で既報のように、昨年末、「関東連合」を始めとする半グレ集団のリーダー的存在だった平原宏...

アーティストハウスの歴史は、1998年に(株)アーティストハウスパブリッシャーズ設立、2000年に(株)アーティストハウスを設立し、2004年に東京証券取引所マザーズに上場します。

アーティストハウスHDは、こうして一時は書籍・音楽・DVDなど、8社ほどのグループ会社を持つまでになります。

平原宏一がアーティストハウスの社長に就任したのは2008年4月のことで、アーティストハウスHDの株式増資の際に、3億1千万円分もの株を買い占めたことで経営権を握り、アーティストハウスHDの代表取締役に就任しました。

そして平原宏一の代表取締役就任後、グループ内で大きな売上を占めていた子会社を次々と売却したことで、アーティストハウスは事実上事業活動が停止したと見なされ、2009年、マザーズの上場廃止に至っています。

株式市場関係者は「仕手筋」と認識

平原の名前は、有限会社フクジュコーポレションの株主提案に端を発した、「プラコー」という会社の乗っ取り騒動をめぐって浮上したこともあり、その際、関係記事によると平原宏一は市場関係者からは「仕手筋」と認識されていたといいます。

さらに、突然、個人大株主として登場したのが平原宏一氏という人物で、8%程度を保有している。

フクジュ側は平原氏について、「以前からの知り合い。今回の株主提案では協力していただくことになっている」と両者が連携していることを明らかにしているが、平原氏とはいかなる人物なのか。

「アーティストハウスという企業をめぐる仕手戦で名前が上がっており、株式市場関係者の間では“仕手筋”と認識されている」(株式市場関係者)

引用:あの業績低迷企業に「乗っ取り」騒動勃発!全取締役解任を要求、謎の企業の正体

「仕手」とは巨額な資金を元手に、企業業績などとは無関係に株価を操作し、値上がりした株を売り抜けることで利益を得ることで、「仕手筋」はそれを専門に行う市場関係者を指します。

そして平原宏一は、このプラコーの騒動の際にはプラコーの株全体の8.56パーセントにあたる、時価総額で約4億円もの株を買い上げ、わずか一カ月半ほどで売り抜けています。

この売り抜けでどの程度の利益が出たかは定かではありませんが、時価総額で約4億もの株を買ったことからそれなりの利益分を想定でき、またそもそもそれだけの株を買い上げることのできる潤沢な資金力を持っていたということが分かります。

こうした経済的な手腕のおかげか、平原は非常に豊かな生活をしており、最低でも5千万円以上はするという高級車の、ロールス・ロイス・ファントムに乗っていたといいます。

平原宏一の家族・葬儀のゴタゴタ

平原宏一の家族は父、母、姉妹と、10年ほど前に離婚した妻、その間にまだ小学生の娘が1人いたといいます。この娘だけが、平原氏の直接の法定相続人だそうです。

死去の前の脳死の状態の時には既に遺産相続をめぐってか、平原氏の親族側と元妻側で対立が起こっていました。

親族が3月に親族が見舞いに行ったところ、元妻に同行した稲川会関係者で平原の側近だった中島辰之介に「この野郎、出ていけ!」などと恫喝され、病院の外まで追いかけられます(この時のことを平原の親族に訴えられ、中島は5月22日に脅迫容疑で逮捕されています)。

このような対立の結果、大勢の関係者の出席が予想された4月14日の葬儀には、平原の親族の姿は見えず、喪主は元妻が務め、関東連合関係者では伊藤リオンや平原子飼いの中村創といったメンバーの他、稲川会関係者の中島辰之介(この時はまだ未逮捕)、元チーマーの仲間、「怒羅権(ドラゴン)」関係者数名が出席しただけだったといいます。

平原家親族側のある人は、元妻の背後に対立する半グレ集団が付いていると考えて出席しなかったと言ったそうですが、元妻はこれを「言いがかり」として、実際には元妻側もそうした者を嫌って排除していたといいます。

以上になります。