【感想】『葉隠入門』三島由紀夫

二十歳前後の頃、三島由紀夫の『葉隠入門』を読んで鮮烈な印象を受けた。

引用されている山本常朝の『葉隠』の、その烈しい語句と思想、そしてまた三島の言葉でいえば「いささかのシニシズムも含まぬ世間知」に、である。

そこで興味をもって岩波文庫の『葉隠』上中下巻を買い求めたが、どうしても読み切らなかった。私はあらためて、三島の優れた解説と、目ぼしいところを巧みに編集した『葉隠入門』は、初心者にも読みやすい本だと感心した次第である。

三島と小林秀雄の『葉隠』批評

三島はいつも非常に論理的に明晰な解説文を書くので、それを読んでしまうと、感想を述べるどころか、そこに付け加えるものが何もないというぐらいの印象を覚える。

例えば下の引用は、もとは同じく三島の『小説家の休暇』中のもので『葉隠入門』のプロローグに再録されたものだが、いちいち的確で見事な表現だ(一行空けてある余白は途中の文を略している。以降の引用もそれにならう)。

いかにも精気にあふれ、いかにも明朗な、人間的な書物。
封建道徳などという既成概念で「葉隠」を読む人には、この爽快さはほとんど味わわれぬ。この本には、一つの社会の確乎たる倫理の下に生きる人たちの自由が溢れている。

エネルギーは善であり、無気力は悪である。そしておどろくべき世間知が、いささかのシニシズムも含まれずに語られる。

小林秀雄の『葉隠』への批評

これにもう一つ、批評家の小林秀雄が昭和16年に「歴史と文学」という講演(『考えるヒント3』新潮文庫)で『葉隠』について述べている言葉を並べてみよう。

第一、現代の歴史家が、封建主義という言葉から理解しているところは、徳川時代の人々には、何んの関係もない考えである。彼等は道徳を信じたのであり、封建道徳などというものを信じたのではありませぬ。封建制度は、人間の自由を拘束したという。だが、この拘束の下に、山本常朝が、どんな驚くべき自由を摑んだかは、歴史家は見逃してよいでしょうか。

小林の発言はその年の12月に先端が開かれる大東亜戦争が迫っていた時期に書かれたもので、もしかすると幾らか割り引いて捉える必要があるかもしれないが、しかし如何にも小林らしい言葉で『葉隠』に批評を加えている。そして今まで提示した三島と小林の『葉隠』批評は、その二人の文体の個性を割り引いた場合、驚くほど似ていることが分かる。

両者とも「封建主義」や「封建道徳」という概念的な理解を斥けており、なおかつ両者ともそろって「自由」という言葉を使っている。これはおそらく偶然ではなく、正しく『葉隠』を読んだ人は、皆そういう感想を抱くのだ。

三島由紀夫の『葉隠入門』

ここから先は『葉隠入門』中の『葉隠』の言葉を引いて、簡単な感想など述べていくことにする。

武士道といふは、死ぬ事と見つけたり

「武士道といふは、死ぬ事と見つけたり」という表現は三島の『葉隠入門』を読む前から知っていたが、その文を通して読むと、語句の持つ迫力に圧倒され、しびれたのを覚えている

武士道といふは死ぬことと見付けたり。二つ二つの場にて、早く死ぬはうに片付くばかりなり。別に仔細なし。胸すわって進むなり。

訳(武士道の本質は死ぬことだと知った。つまり生死二つのうち、いずれを取るかといえば、早く死ぬほうをえらぶということにすぎない。これといってめんどうなことはないのだ。腹を据えて、よけいなことは考えず、邁進するだけである)

この「二つ二つの場にて、早く死ぬ方に片付くばかりなり」という表現は凄まじい。

しかも単に「死ぬ」のではなく「早く死ぬ」なのである。例えば、今日死ぬのと明日死ぬのとでは、今日死ぬ方を選ぶべきだ、というのである。

成仏などは嘗て願い申さず候

これは出家後の山本常朝の言葉である。

今の拙者には似合はざる事に候へども、成仏などは嘗て願い申さず候。七生迄も鍋島侍に生まれ出て、国を治め申すべき覚悟、胆に染み罷り在るまでに候。

訳(頭をまるめたいまの私には似合わないことであるが、成仏などかつて願ったこともなかった。七たび生まれ変わっても鍋島侍となって、藩に尽くす覚悟が心に染みわたっているだけである)

「成仏などは嘗て願い申さず候」とは何と力強い言葉だろうか。

人に意見する時の気遣い

三島も『葉隠入門』の中でこれを「デリカシー」と題して扱っている。

山本常朝が主君に意見する時の注意点を説いている。

続きの文章だが、長くなるので二分割して引用する。

大かたは、人の好かぬ云ひにくき事を云ふが親切のやうに思ひ、それを請けねば、力の及ばざる事と云ふなり。何の益にも立たず。ただ徒(いたづ)らに、人に恥をかかせ、悪口すると同じ事なり。我が胸はらしに云ふまでなり。

訳(おおかたの人は、人の好かない、言いにくいことを言ってやるのが親切のように思い、それがうけいれられなければ、力が足りなかったとしているようだ。こうしたやり方はなんら役立たずで、ただいたずらに人に恥をかかせ、悪口をいうだけのこととおなじ結果になってしまう。いってみれば、気晴らしのたぐいだ。)

そもそも意見と云ふは、先づその人の請け容るるか、請け容れぬかの気をよく見分け、入魂(じっこん)になり、此方(このほう)の言葉を平素信用せらるる様に仕なし候てより、さて次第に好きの道などより引き入れ、云い様種々に工夫し、時節を考へ、或は文通、或は雑談の末などの折に、我が身の上の悪事を申出し、云はずして思ひ当る様にか、又は、先づよき処を褒め立て、気を引き立つ工夫を砕き、渇く時水を飲む様に請合せて、疵を直すが意見なり。

訳(意見というのは、まず、その人がそれをうけいれるか否かをよく見分け、相手と親しくなり、こちらのいうことを、いつも信用するような状態にしむけるところからはじめなければならない。そのうえで趣味の方面などからはいって、言い方なども工夫し、時節を考え、あるいは手紙などで、あるいは帰りがけなどに、自分の失敗を話しだしたりして、よけいなことは言わなくても思い当たるようにしむけるのがよい。まずは、よいところをほめたて、気分を引き立てるように心をくだいて、のどが渇いたときに水が飲みたくなるように考えさせ、そうしたうえで欠点を直していく、というのが意見というものである)

まさにこれこそが、尚武の書『葉隠』のもう一つの真骨頂、「いささかのシニシズムも含まぬ世間知」なのである。

子供の教育

もう一つ、山本常朝の意外なデリカシーが見られる箇所を扱う。

江戸時代の武士の教育とは、今日から見れば厳しすぎるほど厳しく、現代で同じことをやれば「虐待」と呼ばれかねないような部分が多い。

ところが、山本常朝の教育論は、これとは全く異なる。

武士の子供は育て様あるべき事なり。先づ幼稚の時より勇気をすすめ、仮初(かりそめ)にもおどし、だます事などあるまじく候。幼少の時にても臆病気これあるは一生の疵なり。親々不覚にして、雷鳴の時もおぢ気をつけ、暗がりなどには参らぬ様に仕なし、泣き止ますべきとて、おそろしがる事などを申し聞かせ候は不覚の事なり。又幼少にして強く叱り候へば、入気(いりき)になるなり。又わるぐせ染み入らぬ様にすべし。染み入りてよりは意見しても直らぬなり。

訳(武士の子どもを育てるためには一定の方式がある。まず、幼少のころから勇気を鼓舞し、仮りにも、おどしたり、だましたりすることなどあってはならない。たとえちいさいころであっても、臆病心のあるのは一生の疵となるものである。親たちの不注意から、雷の音におじけづかせたり、暗がりなどへは行かせないようにし、泣きやまそうと思って、こわがることを話して聞かせたりするのはいけないことだ。また、ちいさいころつよく叱ったりすると、内気な人間になってしまう。とにかく、わるいくせが身にそまらないようにしなければならない。いったんそまってしまうと、意見をしても直りはしない)

何とも「現代的」な教育論ではないか。

死狂ひ

また典型的『葉隠』的な言葉に戻すが、この言葉は、原作を南條範夫が、作画を山口貴由が担当した漫画である『シグルイ』のタイトルの元ネタでもある。

「武士道は死狂ひなり。一人の殺害を数十人して仕かぬるもの。」と、直茂公仰せられ候。本気にては大業はならず。気違ひになりて死狂ひするまでなり。

訳(「武士道とは死に狂いである。そうした一人を倒すのに、数十人がかりでもできかねる場合がある。」と直茂公がおっしゃった。正気でいては大業を達成することはできない。気ちがいになって、死に狂いするまでである)

死のうか生きようか

この言葉も印象深い。

志田吉之助、「生きても死してものこらぬ事ならば生きたがまし。」と申し候。志田は曲者(くせもの)にて、戯れに申したる事にて候を、生ひ立ちの者共聞き誤り武士の疵(きず)になる事を申し出づべくと存じ候。この追句(ついく)に、「喰ふか喰ふまいかと思ふものは喰わぬがよし、死なうか生きようかと思ふ時は死したがよし。」と仕り候。

訳(志田吉之助が、「生きても死んでも残らないものなら、生きたほうがよい。」といった。志田はしたたかな者で戯れにいったことを、若い者どもが聞きちがって、武士の名折れになるようなことを申しだしたなどと思ったものだ。この追い書きに、「食うか食うまいかと思うものは、食わないほうがよい。死のうか生きようかと思うときは、死んだほうがよい。」とある)

最初に読んで残っている印象では、このような「食うか食うまいかと思うものは、食わないほうがよい。死のうか生きようかと思うときは、死んだほうがよい」に見られるような、「存在・無・存在・無」の二択のうち、常に「無」の方を選ぶべきである、という思想は、「二つ二つの場にて、早く死ぬ方に片付くばかりなり」もそうであるように、『葉隠』の中でリフレインのように執拗に繰り返された印象を受ける。

しかし実際に読み返すと、それほど執拗に繰り返されるわけではなく、要はそれほど印象深く記憶に刻まれるために、実際の回数以上に多くあったように記憶してしまうのである。

そしてもう一つ言っておきたいことは、この「存在と無の内、無を選ぶ」あるいは「肯定と否定の内、否定を選ぶ」という発想は、一種の停滞の哲学だということだ。

江戸時代という日本の歴史的期間それ自体が、一面ではある種の停滞期であり、それは鎖国という政策によって拡張することを断念して自己(日本)の中に引きこもり、全精力を内攻させることで何ごとかを達成した時期なのである。

私がそう思ったのは、神王リョウという投資家が行動の原則として「やるかやらないか迷ったら、迷わずやるを選ぶ」という、まさに『葉隠』的発想とは真逆のことを言っていたからである。

仕返し

この言葉はシンプルで力強く、しかも「死」という自己破壊によって問題の解決を求めている点で如何にも「葉隠的」である。

打返しの仕様は踏みかけて切り殺さるる迄なり。

訳(仕返しの方法といったものは、踏み込んで斬り殺されるまでやることに尽きる)

赤穂浪士討ち入り(忠臣蔵のモデルになった事件)

この言葉は非常に面白かった。

仕返し(復讐)について語っている流れで、現代では武士道の清華とも思われている、もっとも有名な仇討ちとしても知られる赤穂浪士の討ち入りに言及される。常朝は褒めるかと思いきや、これが全くそうではない。

又浅野殿浪人夜討も、泉岳寺にて腹切らぬが越度(おちど)なり。又主を討たせて、敵を討つ事延々(のびのび)なり。もしその内に吉良殿病死の時は残念千万なり。

訳(また浅野の浪人たちの夜襲にしても泉岳寺で腹を切らなかったことがそもそも失敗だといえる。主人がやられたのに、敵を討ちとることがのびのびとなっていたが、もしそのうちに吉良殿が病死でもされてしまったら、まったくもって、とりかえしのつかないことになる)

端的に言えば主君の仇は「死んだ」ではなく「殺した」でなければならないということ、「仇討ちすべき仇が勝手に死んでしまうということは取返しがつかない」という観点は、さすが山本常朝らしい。

『葉隠入門』(『葉隠』)感想

最後に総評的な感想を述べるが、これは『葉隠入門』に対してというよりも、『葉隠』それ自体に対してである。私はもちろん、この書物の爽快さを低く見積もりはしない。

しかし、注意すべき点もある。

私はある時、Wikipediaで大東亜戦争の軍人について読んでいた。

すると、悪名高いインパール作戦での指揮官であった牟田口廉也(むたぐちれんや)の出身地が葉隠武士の故郷である佐賀県であることを知った。また次いで、皇道派の頭目だった真崎甚三郎(まさきじんざぶろう)もそうである。

私は大東亜戦争に非常に詳しいというわけではなく、戦史通でもないので特に真崎については断定的には言えないが、実際に、『葉隠』によって教育を受けた者には、ろくな者がいないのではないか、という印象を覚える。

三島は、『葉隠』を発光体にたとえ、戦時中には光の中に置かれて目立たなかったが、戦後の闇の中で光を放ち始めた、という表現をしている。言い換えるなら『葉隠』は、「平時にこそ輝きを放ち、読むべき本である」ということである。

しかしこれは裏返すならば、「戦時には読むべきではない」のである。それはただでさえ戦争の熱気によって高ぶった兵士や軍人を、なおさら、おかしくしてしまう。三島の言う通り『葉隠』は、平和に対してだけ処方すべき劇薬なのである。

あるいは「戦時には読むべきではない」をまた裏返して元通り「平時に読むべき」に戻すならば、『葉隠』あるいは『葉隠入門』は、集団的自衛権や憲法9条の改憲の問題が未来に控えている今、まさに平和である今のうちに読んでおくべきである、ということである。

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