『ゲーテとの対話』とニーチェの賛辞

ゲーテに対するエッカーマンは、孔子に対する顔回に比せられる。

両者とも深い尊敬の念で師と対面した尊敬の達人である。

そうした尊敬の達人であるエッカーマンが、身近に接したゲーテとの対話を記録したのが、その名の通りの『ゲーテとの対話』という作品である。

『ゲーテとの対話』に対するニーチェの賛辞

哲学者ニーチェもこの書物を非常に高く評価した。

例えばこんな具合である(ちくま学芸文庫『生成の無垢』上巻552番)。

この世紀のもので後世に残るであろう書物、より正しくは、この世紀のうちにその根をもっていない樹木として、その枝々でもってこの世紀を越えてかなたへと達する二、三の優れた書物――私が考えているのは、セント・ヘレナ島における〔ナポレオンの〕回想録とゲーテのエッケルマンとの対話とである。

あるいは『対話』とゲーテ自身について、こんな言い方もしている(同176番)。

エッケルマンを読み、自問してみよ、かつて或る人間が、ドイツにおいて、一つの高貴な形式という点でこれほど遠くへ達したことがあるかどうかを。そこから単純さと偉大さまではもちろんなお大きな隔たりがあるのだが、私たちはゲーテを飛び越しうるなどとはなんとしても全然信ずべきではなく、むしろ、彼のやったとおりに、再三再四やってみなければならない。

エッカーマンの『ゲーテとの対話』

『ゲーテとの対話』の価値

ニーチェの言うことはもっともだと私には思える。

知性の波がつくる憂悶に打ち克ち、感受性のもたらす痛みに耐え、そうして創られたゲーテの作品の内もっとも見事なものは、『ファウスト』でもなければ『若きウェルテルの悩み』でもない。ゲーテその人こそ、ゲーテのもっとも見事な作品であり、最高傑作なのである。

そしてエッカーマンの『ゲーテとの対話』が高い価値を持つのは、普通には伝記や残された作品の行間から読み取らなければならない当人の人格を、もっとも具体的に描写して保存した作品だからである。

ここから私が読んで興味深く思った箇所を引用していく。

私の個人的な関心に依拠して選択しているので、かなりの偏りが出るだろうが、それでも少しはゲーテの人格が持つ威光を察することができるのではないかと思う。

引用文の注意点は二つある。

  1. 岩波文庫の『ゲーテとの対話』(上中下巻)山下肇訳に依拠する。
  2. 見栄えのために原文にはないところで「」(カッコ)を閉じて表示することもある。
  3. 同じく文を略した場合、(略)と示す代わりに一行の余白を作る。

古典主義とロマン主義

このゲーテの言葉は有名かもしれないが、やはり興味深い表現なので載せておきたい(中巻1829年3月24日)。

「私は健全なものをクラシック、病的なものをロマンティックと呼びたい。そうすると、ニベルンゲンもホメロスもクラシックということになる。なぜなら、二つとも健康で力強いからだ。近代のたいていのものがロマンティックであるというのは、それが新しいからではなく、弱々しくて病的で虚弱だからだ。古代のものがクラシックであるのは、それが古いからではなく、力強く、新鮮で、明るく、健康だからだよ」

女性について

これは中巻、1828年10月22日に出てくるゲーテの言葉である。

「女性というものは、銀の皿だよ」と彼はいった、「そこへ、われわれ男性が金の林檎をのせるのさ。女性についての私の考えは、現実の女性の姿から抽象したものではない。それは私に生まれつき備わっているものだし、あるいは、ひとりでに私が抱くようになった考えなのだ」

スコットランド山岳兵

個人的にこの会話は『ゲーテとの対話』の中でもっとも好きなものの一つである。

それは、エッカーマンがナポレオン時代に見た生粋のパリ出身者だけの大隊兵士たちは、非常に体つきが華奢で頼りなく見え、戦争で役に立つのか疑問に思った、と語ったところの続きである(下巻1828年3月12日)。

「ウェリントン公のスコットランド山岳兵は、」とゲーテは答えた、「もちろんそんなのとはちがう勇士だったらしいね。」「ワーテルローの戦いの一年前に、ブリュッセルで会いました。」と私は答えた、「じっさい、すばらしい連中でしたね。そろいもそろって、強そうで、元気がよく、きびきびしていて、神さまがいの一番にお創りになった人間みたいでしたよ。連中は、めいめい自由に楽しそうに頭をふって、たくましい脛をむき出しにしたまま、いとも軽快に歩調をとってきましたので、まるで、連中には、原罪や祖先の欠陥などどこにもないみたいでした。」

最後の「原罪や祖先の欠陥などどこにもないみたい」という表現は素晴らしい。

ゲーテの政治思想

どうしてもその輝かしい文業にスポットライトが当たりがちなゲーテであるが、政治的にどのような考えを抱いていたか、どのような立場だったかを知る機会はあまりない。

ここからはそのゲーテの政治思想を伺うことができる文を紹介していく。

フランス軍のスペイン出征

これはある日ゲーテ宅に、フランス軍のスペイン出征に関する情報が掲載された新聞が届いた時のものである(上巻・1824年2月25日)。

「私はブルボン王家がこういう手段をとったことを賞賛せずにはいられないのだ」と彼はいった、「というのはね、彼らは、これによってはじめて軍隊を掌握でき、同時に王位を確保できるからだ。その目的がなしとげられたのだよ。兵士は王に対する忠誠を誓いながら、帰還してくる。つまり、兵士は、自分たちの勝利からも、船頭多くして舟の一向に進まなかったスペイン軍の敗北からも、唯一人の人間に服従するのと、多くの人間に服従するのとでは、どんなに相違があるか、という事実に確信をもったからなのだ。軍隊は、昔ながらの名声を確保し、依然として本物の勇敢さを持ち、ナポレオン亡きあとも勝てるのだ、ということをはっきり示したのだよ。」

巻末の注によれば、「フランス軍のスペイン出征」とは、苛酷な反動政治を行なったフェルナンド7世は国民に迫られ、民主主義的憲法を発布したが、メッテルニヒが列国会議にもとづきフランス軍の派遣を取り決め、革命運動を鎮圧して専制主義を復活させた事件をいう。

ここから、ゲーテの政治的立場はかなりゴリゴリの保守だったことが分かる。

神聖同盟

これはゲーテがカニングのポルトガル擁護の演説を褒める場面で登場する言葉である(上巻1827年1月3日)。

「この演説を」とゲーテはいった、「粗雑だという人たちもある。しかし、そういう人たちは、自分で自分の望んでいるものがわかっていないのだ。偉大なものにはなんにでも反対するくせが、かれらにはあってね。」

「ナポレオンがまだ活躍しているうちは、ナポレオンを憎み、ナポレオンをちょうどいい鬱憤のはけ口にしていた。そのうちに、ナポレオンがだめになると、今度は神聖同盟に反対したものだ。しかし、だからといって、この同盟以上に偉大な、人類のために福祉をもたらすものがつくられたわけでは決してない。」

神聖同盟はキリスト教博愛主義にもとづく保守的な同盟で、注では「当時各国に成長しつつあった民主主義、国民主義の気運を抑圧する反動機関と化した」と説明されている。

フランス革命

このようにゲーテは保守主義的だったので、フランス革命も特に始めの頃は好意的には見ていなかったらしい(下巻1824年1月4日)。

「私がフランス革命の友になりえなかったことは、ほんとうだ。なぜなら、あの惨害があまりにも身近でおこり、日々刻々と私を憤慨させたからだ。同時に、その良い結果は、当時はまだ予想することもできなかった。」

この後ゲーテは、どんな革命も民衆ではなく政府に責任がある、と述べている。しかしこれは毛沢東の「造反有理」的発想ではなく、続けて、「政府が正しく対処するならば革命など起こらないはずだ」という意味のことを述べている。

クロード・ロラン

岩波の巻末解説では、訳者の山下肇が面白いことを書いている。

ゲーテは誰でも褒めることで有名だったというのだ。

彼の点数は甘くて、誰でも適当に褒めて励ますから、しまいにはゲーテに褒められたことは「月並み」の代名詞になってしまったほどである。

私も実際、初めて『対話』を一読した時の印象は、「ゲーテが色んな人や作品をひたすら褒めまくるもの」というものだった。しかし、だからこそ、その印象は鮮烈なものだった。

伝わるか分からないが、私は昔、絶対に買わないであろうテレビ通販をボケッと見ることがあった。何故そんなことをしているのだろうと自分で考えたところ、テレビ通販士は商品を売りたいものだから、ともかく商品を褒めて褒めて褒めまくる。

しかしその肯定の連続が、何やら見ていて気持ちがいいところがあるのだ。『ゲーテとの対話』のそれに似た印象は、ゲーテの一流の鑑識眼によって、それをもっと高尚にした感じのものである。

よくある質問として「無人島に一冊だけ本を持っていけるなら何を選ぶか」という質問があるが、私は真面目に、「自分なら『ゲーテとの対話』を選ぶかもしれない」と考えたことがある。それほど『ゲーテとの対話』は、深い、真の明朗さを持った書物である。

そのゲーテの秀逸な賛辞のうちで、一つだけ取り上げておきたい。それは画家のクロード・ロランに向けられたものである。

ゲーテはエッケルマンに「スープを待つ間、君に目の保養をさせてあげよう」と言って、クロード・ロランの風景画集を見せる(中巻1829年4月10日)。

「わかるだろう、完全な人だ。」とゲーテはいった、「この人は、美しい思想と美しい感情を抱いている。心の中には、外界にいては容易にうかがい知れぬような一つの世界があったのだ。これらの絵には、この上ない真実があふれている。けれども、現実はどこにも跡をとどめていない。クロード・ロランは、現実の世界を隅から隅まで、すらすら空でいえるほど知りつくしていた。それを彼は自らの美しい魂の世界を表現するための手段として用いた。これこそまさにほんとうの理想性だよ」

私は思わずニーチェがクロード・ロランについて書いていたことを思い出した(ちくま学芸文庫『生成の無垢』上巻1054番)。

一昨日の夕方ごろ、私はクロード・ロランにすっかり魅了されて、とうとう長いあいだ激しく泣きだしてしまった。こうしたものを体験することが私になお許されたとは! 私は、この大地がこうしたものを示すとは、そのときまでは知らないでいて、それは優れた画家たちが虚構したものだろうぐらいに考えていた。この英雄的・牧歌的なものはいまや私の魂を暴露するものだ。そして、古人たちのすべての牧歌風のものが、一挙に、いまや私に対してあらわにされ、明らかになったのだ――いままで私はこうしたものについて何ひとつとして理解していなかったのである。

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