天安門事件で中国政府の報道官を務めた袁木(えんぼく)とは?

袁木(えん・ぼく)は中国の民主化運動が武力弾圧された1989年の天安門事件で、中国政府の報道官を務めた人物である。

天安門事件で中国政府の報道官を務めた袁木

袁は1927年12月に江蘇省で生まれた。

88年、国営新華社通信の記者などを経て、国務院(政府)の報道官に就任。

89年4月15日の胡耀邦元総書記の死去を機に、大学生らによる民主化運動が拡大すると、同29日、政府代表として学生らと対話を行う。

しかしこの時、参加した学生の大半が“官製学生会”のメンバーだったという。

そして袁木は李鵬国務院総理(首相)から、デモを行う学生達の行動を動乱と決め付けた中国共産党中央の機関紙『人民日報』の「四・二六社説」を擁護するよう指示を受けていた。

そのため袁木は党内に腐敗があることを認めたものの、「大多数の党幹部はすばらしい」、また「検閲制度など無い」と述べ、「デモは一部の黒幕に操られている」という主張を繰り返した。

この模様が夜に放送されると、学生は失望してまた抗議デモに繰り出した。

同年6月4日の天安門事件後も記者会見などで政府の見解を代弁した。

「天安門広場で1人も死んでいない」

この事件による死傷者については、中国共産党の公式発表では「事件による死者は319人」となっているが、中国共産党による報道規制により、客観的な確定が不可能であり、数百人説から数万人説まである。

袁木は「学生の死者は23人」「天安門広場で1人も死んでいない。(装甲車などに)ひかれてけがをした者もいない」などと主張し、国際社会の不信感を高めることになった。

袁木の死去

このように天安門事件では“政府の顔”を務めただけに、中国国外では負のイメージがつきまとった。

2018年12月13日、袁は病気のため死去した。90歳だった。

袁の死亡情報は1度は葬儀関係者を通じて外部にもれ、23日には葬儀を執り行うとする葬儀委員会の告知もインターネット上に拡散したが、その後、死去に関する情報が次々にネットから削除される事態となった。

これについては、来年、天安門事件から30年の節目を迎えるのを前に、当局が関連報道に敏感になっていることが原因とみられる。

袁の葬儀は23日、北京市内で行われた。

葬儀には、習近平国家主席、李克強首相、王岐山国家副主席のほか、江沢民元国家主席、胡錦濤前国家主席、また天安門事件当時、首相だった李鵬らが花輪を送り弔意を表した。

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