教育について ダンスの必修化を考える

私は日本という国の将来を思う時、もっとも注意すべき問題は、憲法九条と教育である、と考えている。

憲法の問題については今ここで議論するつもりはない。思想的立場がどうあれ、それについては既に多くの人が考えて知っているだろうと思うからだ。

教育とは国家の未来である

二つ目の教育についてだが、そもそも何故、国家を形成するもっとも重要な要素は大人たちの思想や行動によって成り立っているのに、子供の教育は国家にとって重要なのだろうか。

いうまでもなく、それは子供が将来は大人になるからだ。つまり、教育とは国家の未来を形作ることに他ならない。

モンテーニュの『エセー』によれば、「子供が学ぶべきことは何か」という問いに対して、スパルタ人の王であるアゲシラオスは次のように答えたという(『教師ぶることについて』・プルタルコスの『モラリア』が典拠らしい)。

「大人になってから、するべきことだ」

ダンスの必修化

遅きに失した話題ではあるが、平成24年2012年4月から中学校の体育で武道とともに、ダンスが必修になった。実のところ、私は近年、国が行った改革でこれほど憤りを覚えたことはない。

武道については礼儀を学ぶことができるし、また護身という観点からも有用なのでことさら不満はない。だが、ダンスの必修化とは何なのか。

ダンスは学校ごとに、創作ダンス・フォークダンス・ヒップホップダンスのどれかを選び、それを教えるというが、例えば「ヒップホップダンス」を学校が選んだ場合、子供は学校で必ずヒップホップダンスを習うということになる。

先に教育は大人になったときにそれがどの程度役立つかを基準にすべきだというアゲシラオスの言葉を紹介した。

国語は、言葉を扱うことが社会の如何なる場面でもあるのだから学ぶ必要がある。それを子供に教えなければ、彼(女)は大人になったときに、文章作成が必要なあらゆる場面で支障をきたすだろう。また時には、優れた文学者誕生の芽を知らずに摘んでしまうかもしれない。

数学や理科は、今日の科学文明の基礎がそれから成り立っているのだから、学ばなければならない。それを子供に教えなくなれば将来、我々は科学者の不足と科学技術の進歩の停滞という報いを受けるだろう。

だが、ダンスを学ばないことで我々がどんな報いを受けるというのだろうか。

ダンスの必修化が決定する前から、我々はよく駅の構内の駅前の広いスペースでヒップホップダンスを練習している若者を見かけていた。

そしてEXILEや三代目Jソウルブラザーズのダンスメンバーは、学校の教師に教わることでダンスの道に進む決断をしたのだろうか。

それが今日の文明社会や国家にとって必ず要り様というわけではなく、なおかつ好きな者が自発的に学べば十分であるようなものを、学校で教える必要など全くない

「子供はそれを望んでいるか?」

また、このような問題について「子供はそれを望んでいるのか」という議論が出るのは、如何に多くの人が教育の本質的意味を理解していないかということを示している。

いったい、人々は自分が子供のときに何を望んでいたかを忘れているのだろうか。

よほど利発な子供ならともかく、子供が望むことは、スポーツをして遊ぶこと、テレビゲーム、甘いものを食べること、こうしたことが中心だ。もちろん、子供なのだからそれが当たり前であり、それでよいのだ。

しかし、こうした傾向に任せて子供が選ぶことだけを学ばせれば、どのような大人になるか、どれだけ偏った経験と知識だけの人間になるかは明白ではないか。

ダンスの必修化について「子供がそれを望んでいるか?」を真っ先に問うてしまうような大人は、義務教育がなぜ義務教育であるかを、今一度考える必要があるだろう。

教育が次の時代を創るということ

教育の本質的な意味について今なお多くの人が理解していないことは、例えば明治維新について人々が大きな思い違いというか、重大な見落としをしているということでも明らかだ。

それが有識者であれ、市井の人であれ、ほとんどの日本人は一様に「明治維新は如何に偉大な改革だったか」を好んで語る。

だがそれが意味しているのは、明治維新それ自体の偉大さである以上に、それの前時代だった江戸後期の教育が優れていた、ということを意味しているのである。

子供や若者に施した教育が、彼らが大人になった時に実るのだと考えた時、我々は明治維新の偉大さは即江戸時代の教育の偉大さを証明しているのだということに気付かなければならない。

こうした教育的観点から、昭和初期について眺めるなら、例えば大本営の無謀な作戦指揮を指摘する際には、まさにその明治以後の軍事エリートの養成に誤りがあったのではないかと考える必要がある。

このような原理を要約して表現するなら、後の時代は前の時代の結果である、という単純な命題が得られるだろう。

ついでに、その命題を考慮して昭和初期について述べるなら、その前時代が「軍人が東京の市中へ出かける時には、平服に着換えて行った方が賢明であったくらいに」(ルース・ベネディクト『菊と刀』)軍人が侮蔑されていた「大正デモクラシー」と呼ばれる時代であったことは注意が必要だ。

この病気から未だに癒えていない左派も多いこの「軍隊(自衛隊)アレルギー」は、戦後日本にも流行したことから、なおさらこのことは注目に値するといえるだろう。

最後に

ゆとり教育について批判されたことから、文科省は何を学んだのだろうか。

学校でヒップホップダンスを教えているという現実に、ここ十年来の我が国での政治的動き、二大政党制への接近、裁判員制度の実施、カジノ法案を加えてみるならば、我々は祖国日本があの国に、アメリカ合衆国に徐々に似てきている、ということに気付き、ゾッとしないだろうか。

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