犬儒学(キュニコス)派の祖アンティステネス【犬儒学の由来】

古代ギリシャの哲学者・アンティステネスは犬儒派(キュニコス派)の創始者として知られている。この人の弟子には「樽のディオゲネス」がおり、ディオゲネスの弟子にはクラテス、クラテスの弟子にはストア派の創始者ゼノンがいるので、ギリシャ哲学における重要な人物の一人である。

犬儒学派哲学の祖アンティステネス

これから紹介する内容は、ディオゲネス・ラエルティオスの『ギリシア哲学者列伝』の記述によっている。

犬儒学の由来

犬儒学の由来については、その学派では「犬のような乞食同然の暮らしをした人が多かったから」とも言われていますが、もう一つの異説もある。

キュニコス派の祖であるアンティステネスが、アテナイの城門から少し離れたところにある「キュノサルゲス(白い犬の意)」の体育場で人々に語りかけていたからだ、という説である。

生まれについて

彼はアテナイの生まれだが、母親は(ギリシャからすると異民族である)トラキア人であり、つまり生粋のアテナイ人ではなかった。今で言うところの「ハーフ」ということになる。

しかし、彼は生粋のアテナイ人であることを誇る人には、(生まれた時からの特性を誇ったところで)「カタツムリやバッタよりも高貴であることにはならない」と冷淡だった。

また、親の二人ともが自由人ではないと非難されると、「私の両親にレスリングの心得はないが、私にはあるよ」と答えたという。

ソクラテスの弟子

彼はソクラテスの弟子で、大変熱心に学んだという。アンティステネスはソクラテスに心酔し、自分の弟子にまでソクラテスの弟子になるよう勧めたほどである。

彼はソクラテスの住むアテナイではなく、ペイライエウスというところに住んでいたが、毎日40スタディオン(7.4km)の距離を通ってソクラテスの話を聞きに行った。

ソクラテスもまたアンティステネスを可愛がり、ある人が「彼の母親はトラキア人だ」と言うと、「では君はアテナイ人の両親から生まれることが、そんなにも尊いことだと思っていたのかね」と弟子をかばった。

またアンティステネスがタナグラの戦い(前426年)で有名を馳せると、ソクラテスは「彼の両親がアテナイ人だったら、これほど卓越した者にはならなかったろう」と弟子を称えた。

しかし、時にはソクラテスにたしなめられることもあった。アンティステネスが自分の質素な暮らしを誇って、わざと着古した上衣のほころびを目につくように着ていると、ソクラテスは「その上衣を通して君の名声欲がぼくにはちらつくね」と言った。

つまり、ソクラテスの眼には、アンティステネスがあえて粗末な衣類を着ることで、自分の生活の質素さや節制を誇示しているように見え、それをたしなめたという話である。

ソクラテスは世界的に仏陀・キリスト・孔子と並んで四聖(しせい)の一人とされている。古代ギリシャの哲学者で、もっとも著名な者といっていい。 ...

アンティステネスの教え

アンティステネスは「幸福に必要なのは徳だけであり、ソクラテス的強さ以外には何一つ必要ない」と考えた。彼の教えには他にも次のようなものある(『ギリシア哲学者列伝』)。

胆力があり、かつまた正しい人を戦友とすること。

徳は奪い取られることのない武器である。

多数の劣悪な連中を味方にして少数の優れた人と戦うより、少数の優れた人を味方にして多数の劣悪な者と戦った方がましである。

敵に対しては注意を怠らぬこと。
なぜなら、こちらの落度に真っ先に気づくのは彼らだから。

身内の者より、むしろ正しい人を重んずること。

徳は、男子のそれも女子のそれも同じである。

邪悪なことはすべて自分には関係のないこととみなせ。

アンティステネスにおける「賢者」

後継のストア派では特に「賢者は~である」という賢者の特性の定義づけのようなものが頻繁に見られますが、これは犬儒派のアンティステネスにおいて既に見られたようだ。

アンティステネスは「賢者」についてこのように考えたとされる(『ギリシア哲学者列伝』)。

賢者は自足している者である。なぜなら、他の人たちが所有しているものはすべて賢者のものだからである。

賢者は市民生活を送るにあたって、既定の法律習慣に従うのではなく、徳の法に従うであろう。

賢者は結婚するだろうが、それは子供を産むためであり、そしてそのためには、最も育ちのよい女と一緒になるであろう。

賢者は恋もするであろう。なぜなら、賢者だけがどのような人を愛すべきかを知っているからである。

アンティステネスとディオゲネス

弟子でもあった「樽のディオゲネス」がアンティステネスの病床を見舞った時の話について、『ギリシア哲学者列伝』はこんなエピソードを伝えている。

ディオゲネス(紀元前412年?~323年)は質素な生活と奇人変人ぶりでも知られた古代ギリシャの有名な哲学者である。 樽の中で暮らしたこ...

アンティステネスは「誰が私をこの苦痛から救ってくれるか」とつぶやくと、ディオゲネスは持ってきた短剣を取り出し、「これが」と言った(自殺することを勧めた)。

するとアンティステネスは「私は『苦痛から』と言ったのであって『生きることから』と言ったのではないよ」とディオゲネスに返した。

これについて『ギリシア哲学者列伝』の著者は、「病気に耐えるにはいくらか柔弱なところがあるように思われていたから」だと解説している。

結局、アンティステネスは肺の病で命を落としてしまった。

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