ダン・ニューハースの『不幸にする親 人生を奪われる子供』

ダン・ニューハースの『不幸にする親 人生を奪われる子供』は、スーザン・フォワードの『毒になる親』の続編といわれることもある、親子関係の心理学的著作である。

そのため、細部では異なる点もあるが、両著作のスタンスはよく似ている。

ダン・ニューハースの
『不幸にする親 人生を奪われる子供』

「親バッシングではない」

著者のダン・ニューハースは、序盤で「世の中に子育てほど難しくて重要な仕事はない」と述べ、そうした認識の上であえて『不幸にする親』は書かれたもので、そのため「(この著作は)親バッシングではない」とわざわざ断りを入れている。

それでも「正しい躾(しつけ)」と「過剰なコントロール」には厳然とした違いがあり、完全な親であることが難しい以上、こうした問題を無視することはできないとニューハースは考えている。

肉体的暴力より言葉

第1章で、しばしば虐待被害者が、肉体的な暴力以上に、残酷な言葉によって深く傷つくことがある、としているのは興味深い。こうした言葉による虐待も、身体的なものに劣らず、長期間に渡る影響を与えるという。

実際、身体的な虐待を受けた人の多くが、「いちばん傷ついたのは暴力ではなく、ひどい言葉を浴びせられたことだった」と言っています。

対決について

スーザン・フォワードの『毒になる親』は、「もしこの方法を取らなければ、残る道はその恐れとともに残りの人生を生き続けるしかない」と、かなり強い調子で「親との直接対決」(自分の傷つけられた体験について、親に直接話すこと)を推奨している。

スーザン・フォワードとダン・ニューハースの異なる点は、ニューハースは「対決」を必ずしも必須のこととしていないことである。

ニューハースは「対決はしてもしなくてもよい」としている。これはおそらく、似た主題を扱った先行のスーザン・フォワードが、対決を必須のように書いていたのを修正する意図があったと思われる(もっとも、スーザン・フォワードに批判的な言い方はしていない)。

ニューハースは、「対決にはかなり大きな効果がある」と認めた上で、心理的な負担が大きい、親との関係が更に悪化することがある、復讐を受ける可能性がある、といった大きなリスクがあることを述べ、「対決」はリスクと効果(メリット)を測りにかけ、個々人が自ら選択することが重要である、と述べている。

「許し」について

一方で、「許し」に関しては、スーザン・フォワードと同様で、許す必要は必ずしもないとしている。許すことで癒える人もいるが、許さないでも癒える人はいるからだ。

また、「許し」が時に治療の陥穽になることもあるという点ではスーザン・フォワードと全く同じである。

「許し」は「事実の否定」の一形態でしかないことが多いのです。

問題に関する二つの態度

ニューハースは内面の歪みを知るために有用な、心理学の「帰属理論」を説明している。

それはその人に問題が起こった時に、その原因がその人の内部にあるか、外部の環境にあるかを判断する傾向についてのものだが、問題が内在していると考える人は、失敗について、自分の(人間性・能力の)せいで失敗したと考え、外部にあると考える人は、その時の外的環境(たまたま起こった不運など)のせいにする、という傾向を表現している。

ニューハースによれば、親との関係に問題がある人は、良いことは外部に原因があり、悪いことは内部(自分)に原因がある、と考える傾向があるという。

もちろん、常に悪いことの全てが、自己の外部に原因があるというわけではないので、その点で、現実をチェックすることの重要性、現実について冷静に観察することが重要であるとしている。

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