ストア派哲学者のクリュシッポス

ストア派のクリュシッポスは、膨大な著作を書くことでストア派哲学を理論的に整理し、完成させた哲学者である。

ストア派哲学者のクリュシッポス

ストア哲学を学ぶ

クリュシッポスはソロイの人で、哲学を学ぶ前は長距離走の選手だった。

彼はゼノンに学んだともクレアンテスに学んだともいわれているが、クレアンテスとの逸話については幾つかのものが伝えられている。クリュシッポスは鋭敏な知性を持った自信家だったため、やや鈍重な気のあるクレアンテスとは相性の悪い部分もあった。

彼はクレアンテスに向かい、「自分は学説を教えてもらいたいだけで、それの証明は自分で行いますから」としばしば言ったが、しかしクレアンテスと言い争った後はそれをいつも後悔して、「私はその他の点では幸福な男だが、クレアンテスに関してだけはそうではない」と言ったと伝えられる。

また、ある問答家が師のクレアンテスに詭弁を用いた論争を仕掛けると、「この年老いた人の心をもっと重要な問題から逸らすのはやめてくれ。そういった屁理屈は、我々若い人に提出したまえ」と言った。

名声と自負

しかしクリュシッポスは、まだクレアンテスの存命中に師から離れ、哲学において並々ならぬ者になる。特にその巧みな問答法は、当時「神々が問答法を持っていたとしたら、それはクリュシッポスの持っているものと何も変わらないだろう」と言われたほどである。

こうして名声を高めたクリュシッポスは、「彼だけが正気を保っている、他の者は影のように飛び交うだけ」とか、「クリュシッポスがなければストア派はなかったろう」とまで言われるようになる。

彼自身も強い自負を持ち、ある人が「わたしの息子を誰に託しましょうか」と尋ねられると、「私に託しなさい。もし私以上に優れた人がいるなら、私もその人のもとで学んだだろうから」と答えた。

クリュシッポスの晩年と最期

しかしクリュシッポスは、晩年には(プラトンの創始した学園の)アカデメイアのアルケシラオスやラキュデスという人のもとでともに哲学を研究したという説もある。そのためにクリュシッポスの著書には、一部アカデメイア派の作図法を用いて量や数を論じた箇所があったそうだ。

彼の死に様については、二つの異なる説が伝えられることがある。一つは、弟子たちから招かれた犠牲祭で、水で割らない葡萄酒を飲んで目まいを覚え、体調を崩して五日後に世を去ったという説、もう一つは、驢馬(ろば)がイチジクを食べて、彼の世話をしている老婆に、「驢馬がイチジクを呑み込むように葡萄酒をやってくれ」と言って、笑いすぎたために死んだ、という説である。