ウォーレン・バフェットがビル・ゲイツに勧めた本を読んでみた

ある時わたしはこう考えた。

「金持ちが読むような本を読めば自分も金持ちになれるのではないか」

そこで私は、ウォーレン・バフェットがビル・ゲイツに勧めたと言われるジョン・ブルックスの『人と企業はどこで間違えるのか?』を読んでみることにした。

ウォーレン・バフェットの挙げた必読書

ちなみにシドニー・モーニング・ヘラルド紙によれば、ウォーレン・バフェットは今まで、必読書として次のようなものを挙げているという。

『賢明なる投資家』ベンジャミン・グレアム

バフェットはこの本に出合った時を「私の人生の中で最も幸運な瞬間」と呼んでいる。バフェットが言うには、この本から学べるもっとも重要なことは思考に感情を容喙させないことであり、感情の規律を確立させることだという。

『証券分析』ベンジャミン・グレアム、デビッド・ドッド

同じ著者とデビッド・ドッドによる著書。バフェットが父親に次いでもっとも影響を受けたのがこの先輩投資家であるベンジャミン・グレアムだという。

『株式投資で普通でない利益を得る』フィリップ・A・フィッシャー

フィッシャーはバフェットと同じく投資家。バフェットはフィッシャーの投資スタイルを自分とは異なるとしつつ、フィッシャーの著作は是非読みたいし、人にも勧められるとしている。

『ガイトナー回顧録 ―金融危機の真相』ティモシー・F・ガイトナー

アメリカ合衆国の財務長官を務めたガイトナーの著書で、バフェットは国の財政状況が破滅的な状況におけるマネジメントを記したこの本を「すべての経営者が読むべき」としている。

『バフェットからの手紙』 ローレンス・A・カニンガム

バフェットが自身の会社であるバークシャー・ハサウェイの株主に向けて書いた手紙に、カニンガムの序文がついた一冊。バフェット自身の投資哲学を知りたい人には一番いいかもしれない。ただしAmazonのレビューを読む限り初心者向きではない。

『わが経営』ジャック・ウェルチ

GE(ゼネラル・エレクトリック)のCEOだったジャック・ウェルチの著書。

『破天荒な経営者たち』ウィリアム・N・ソーンダイク・ジュニア

バフェットはこの著書を「資本分配に秀でたCEOたちについての素晴らしい一冊」と讃えている。

『人と企業はどこで間違えるのか?』ジョン・ブルックス

初対面の時にビル・ゲイツがバフェットに好きな本を尋ねたところ、バフェットはこの本を挙げた。ビル・ゲイツはこの著書から、ビジネスにおける人材の重要性を再確認したという。

『投資家のヨットはどこにある?』フレッド・シュエッド・ジュニア

バフェットはこれを「今まで書かれた投資に関する本でもっともファニー」としている。投資を理論立てて勉強するための本というより、投資や金融の風刺本であるようだ。

『ケインズ 説得論集』J・M・ケインズ

メイナード・ケインズは経済理論家としてだけでなく、その時々の経済情勢を分析する視点でも優れていた。これはそのケインズによる1919年から1931年までの経済時評論集。

『マネーと常識』ジョン・C・ボーグル

バンガード・グループの創始者である著者ボーグルが、コストを最小限に抑えたインデックスファンドこそ最善であることを数字を挙げて論証した一冊。

『投資で一番大切な20の教え』ハワード・マークス

著者はオークツリー・キャピタルという巨大ファンドの創業者。バフェットはこの本を「極めて稀に見る、実益のある本」と評している。

『ウォール街の大罪』アーサー・レビット

著者は元SEC(米証券取引委員会)委員長。バフェットは本の帯で「私が知る限り、小口投資家にとって最良の友は元SEC委員長のアーサー・レビットである」としている。

『核テロ』グレアム・アリソン

バフェットが挙げるものの中では珍しく、国の安全保障に関する本。アメリカの政策が転換しない限りアメリカは核テロの標的にされるという内容。

以上は下記のページを参考にしたが、ここでは邦訳が出ているものだけを挙げた。

投資の神様ウォーレン・バフェットが挙げる「21冊の必読書」

ジョン・ブルックス『人と企業はどこで間違えるのか?』

さて、本題のジョン・ブルックス『人と企業はどこで間違えるのか?』だが、一読して私は驚いた。なぜ驚いたかといえば、あまりにも退屈だったからだ。

たしかに私にはそうしたビジネス書を読むような素養が欠けていた。

私の読書遍歴は、最初は小説から入って、そのうちに思想書・評論が中心になった。これまでもっとも興奮した読書体験は、オルテガ・イ・ガセットの『大衆の反逆』だったと思う。

だから読書の好みはビジネス書のようなものにはまるで向いていないのかもしれない。

だがそれにしても、平均よりかは本を読んできた私なのに、これほどまで一冊の本が面白くないものか、ということが衝撃だった。

結局私はほとんど読むことができずに、挫折してしまった。

それでも私が何とか読もうとしてみたところに、例えばデイヴィッド・エリ・リリエンタールという実業家の家に著者が取材に訪れた時の一節で、次のような文章があった。

彼は私を居間に通して夫人を紹介すると、調度品の説明を始めた。暖炉の前の大きな東洋風の絨毯はイラン国王からの贈り物だそうだ。暖炉の正面の壁には、十九世紀末の中国の掛け軸が飾られている。何やら悪だくみをしていそうな四人の男が描かれているが、彼らはそれなりに地位のある役人で、リリエンタールにとって特別な意味があるという。彼はとりわけ謎めいた表情の人物を指し、東洋に住む自分の分身だと思って眺めているのだとにこやかに説明してくれた。

これはこの後にリリエンタールが以前の仕事を辞めた理由などを語り出す部分で、いわば本題を装飾する前段の文章に過ぎない。

ところが、私にはむしろそんなことよりリリエンタールがなぜ「中国の掛け軸」の一人の人物を「東洋に住む自分の分身だと思って」いるのかということの方がずっと興味が沸く。

しかしそんなことは本題ではないのである。実際に著書では「東洋に住む自分の分身」の話などにはならず、本題の仕事の話へと話題の中心が移っていく。

私はこの箇所から、自分から如何にビジネスマンにあるような感性が欠落しているか、ということを感じた。

なぜなら、彼らにとって重要なことは私にとって関心の対象ではなく、かつ彼らにとってあまり重要でないようなことが私の関心の中心なのである。ここでは私は、著者やこの著作の愛読者たちと二重にすれ違っている。

思うに、もしこの『人と企業はどこで間違えるのか?』を読んでとても面白いと感じることができたならば、それだけで特別な人間なのかもしれない。

少なくとも、私にはこの本を面白いと感じるためには、今しばらくの修練が必要であるようだ。

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