元暴走族YouTuber250番の半生|地元での生活から瓜田純士との出会いまで

アウトロー系YouTuber
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元暴走族YouTuberの250番という方がいます。

250番は高校時代に暴走族を結成、5度の逮捕と刑務所の服役経験を経て、獄中で出会った瓜田純士の著書によって人生を変えられます。

波乱万丈な250番のこれまでの半生をまとめてみました。

この記事はネット情報をまとめたものです。
正確性・真偽のほどは保証できませんのでご了承ください。
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元暴走族YouTuber250番の半生|

この記事は、下記の動画からの情報と他のネット情報を総合したものです。(記事内にある暴走族のチーム名は動画外の他のネット情報によるものです。動画内でチーム名は出していません)

父からの虐待を擁護する母の言葉による決意

もともと内向的な性格だった250番は、幼少の頃から父の虐待を受けていました。

父親は貿易会社で働き、3か国語を話せるエリートサラリーマンでしたが、その父が家に帰ると家の空気がガラリと変わり、父が家にいるだけで嫌な気分を感じました。

何を言っても「ガキの癖に」と言われ、夢を語っても「お前なんかにできるわけないだろ」と常に否定され続けます。

そのうち父親は250番に暴力を振るうようになり、狭い部屋の中には逃げ場もありませんでしたが、母はそんな父からいつも彼をかばってくれていました。

しかし小学校3年生の時、耐え切れず彼が武器を取って父親に反撃すると、それまで250番の味方でいてくれた母が「アンタ自分のやったことを分かってるの!?なんてことをするの!!」と全面的に父親を擁護します。

250番はこれに衝撃を受け、彼の中の何かが切れてしまいました。

250番は「コイツらだけは本当に許せない」と思い、父のみならず母にまで失望、その日のうちに髪の毛を金髪に染めて非行に走るようになります。

当時は、流行っていた雑誌『チャンプロード』や漫画『ろくでなしブルース』の影響も強く受けたといいます。

中学校のバスケ部で顧問からの体罰を受ける

それでも中学の時にはバスケットボールに真剣に打ち込みます。

しかし運悪く体罰をする教師が部活動の顧問でした。

「なんでいつもいつも誰かに殴られなきゃならないんだ?」

バスケは大好きでしたが、「こんなに真面目に努力しても報われることはない」と感じて辞めてしまいました。

さらに中学は横浜の悪い地域の学校で、隣の地区の他校が攻めてきて乱闘事件を起こして怒られるなどの経験を積み重ね、ますます非行の道にのめり込んでいきます。

既に250番は中学在籍時に、中学を卒業したら暴走族を作ろうと考えるようになります。

中学を卒業後、横濱連合に属さない暴走族を結成

高校に入り、さっそく250番は仲間と相談の上で自分たちの暴走族を作ることにしました。

彼の地元は横浜であり、そこには全国的に有名な横濱連合(横浜連合:通称ハマレン)がありました。

そこで自然に行けば地元で有名な「淋姦強姦」(横濱連合)という暴走族チームに入るのが通常ルートでしたが、仲間と相談した上でそれを選びませんでした。

その横濱連合のチームに属してしまえば、伝統的な上下関係に縛られると思い、そのような伝統を壊したいという思いがあったためでした。

そこで250番らは本職のヤクザに「自分たちのチームを作りたいです。横濱連合には入りたくありません」とケツモチを依頼します。

そして彼らは、独立を前提としてタメ年の者だけで、一番喧嘩の強い者を頭に「平楽昆虫」という暴走族の大岡支部を立ち上げました。

しかし、こうしてその地域の伝統的なチームを受け継がなかった250番は一気に目の敵にされ、通っていた大岡高校の前で先輩たちに待ち伏せに合ってボコボコにされます。

結局、この件はケツモチ同士の話し合いで決着がつきましたが、その後、250番らは弑仇麗(しぐれ)と名を変えて単独の暴走族チームとして活動を始めました。

暴走族時代の250番の肩書として「大岡弑仇麗(シグレ)初代特攻隊長」とされています。

単独のチームだった弑仇麗はどこの集会にも顔を出すことができましたが、名前が売れていなかったために、集会ではなるべく目立とうと積極的にケツ持ちを志願、集会に邪魔が入れば先頭で金属バットを振り回して暴れまわりました。

他の暴走族チーム、神州連合・極道(きわめみち)と抗争をして傷だらけで学校に登校することもありました。

そしてこれほど束縛を嫌った彼でしたが結局、暴走族特有の上下関係から免れることはなく、先輩から「気合入れろ!」と言われて、多い時は2~3日に一回はヤキを食らうことになります。

サイコロを転がして出た目の分だけ殴られるなど、先輩からのヤキはもっともキツい思い出だったといいます。

少年院での生活後の大学進学と会社設立

結局、250番らの暴走族は彼らを初代として5代目ぐらいまで続きましたが、その後は時代の推移とともに消滅したそうです。

250番自身は、高校3年の3学期の逮捕を切っ掛けとして暴走族を辞めることになります。

高校3年の3学期の逮捕は、文化祭で彼女が声をかけられたのを切っ掛けに始まった喧嘩による傷害と、暴走族活動の一環としてのバイクの窃盗などで逮捕されます。

少年院は10カ月ぐらい入ったそうです。

しかし少年院に入る前に、テレビ番組『ガチンコ!』のヤンキーを進学させるような企画の対話集会に出たことがあったらしく、そこで大学進学という選択肢があることに気づき、出所後には大学に行きます。

1年遅れで入学して無事に卒業、卒業後には1年ほどサラリーマンを経験してから、洋服のブランドを作ったり、IT関係の会社を設立したりして活動しました。

しかし、その会社は最終的にはダメになってしまい、キャバクラのボーイをするなどして苦労を経験します。

5度の逮捕歴と最後の3年半の実刑判決

さらに250番には、最初の少年院に入った事件とは別に(罪状としては)覚醒剤での逮捕があります。

売人をしていた男の後輩が合法ドラッグのハーブ屋をすることになり、「試供品だから」と渡されたものが覚醒剤だったそうです。

まさか覚醒剤とは思わず、知らずに吸うと鼓動が速くなって眠れなくなり、気持ち悪いので病院に行くと通報されてそのまま逮捕されてしまいます。

さらに道端で喧嘩をして暴行罪で逮捕されたこともあります。

最後は強盗致傷罪での逮捕でした。

昔から知っている弟の元カノが、27歳ぐらいの時にLINEをしてきて、レイプに遭って動画を撮られたから相手と話し合ってほしいと連絡がきます。

最初は相手と揉めて面倒くさいことになると思ってスルーしていましたが、女性からの病んだLINE連絡が止まらずに、仕方なく相手と話し合いに行きます。

相手のスマホを取り上げて中身を見てみると、たしかにそのような動画や画像が保存されているのを確認できたので、女性の話は本当だと確信しました。

結局、話し合うだけのつもりでしたが相手に生意気な態度を取られ、最終的に相手が包丁を出してきたので、思わずこちらも手を出してボコボコにしてしまいます。

しかも相手のスマホを取り上げたために「傷害」だけでなく「強盗」の罪状もつき、結果的に大まかな相場では8~10年の「強盗致傷」という重い罪状での逮捕でした。

さらに裁判では検察と警察は相手と女性は和姦で合意の上だったと片付けてしまい、相手は無罪になって一方的に裁かれることになります。

被害者とは300万の金を払って示談し、これで済むかもしれないと思ったものの、結局は起訴されます。

裁判が始まると相手の被害者にも落ち度があることが分かり、相場8~10年という長い刑期は回避しますが、3年半の実刑判決を言い渡されました。

人生の転機:獄中で出会った瓜田純士の『遺書』

受刑中、ずっと「あいつのせいでこんなことに」と相手に対する怒りは消えませんでしたが、2年目ぐらいの時に「こんなことでは自分の人生をダメにしてしまう」と、やられたらやり返すという発想を捨てることを決心します。

獄中では時間が有り余っており、多くの本を読みました。

250番のいた刑務所は変わったルールがあり、日が昇っていたら布団の中で本を読んでも良いということになっていました。

そんな中で出会ったのが、瓜田純士の作品でした。

 

瓜田が自分を飾らず、自分をさらけ出して書いていると感じた250番は、その著書から「俺はこんなんだけどみんな大丈夫だよ」と言われた気がして、生まれて初めて人に対して深い尊敬の念を抱きます。

一刻も早く刑務所から出たかった250番は、獄中では真面目に生活をして、オヤジ(看守)たちにも信頼され、数字が小さいほど優遇される1~5類では2類になるまでになります。

こうして250番は、尊敬する瓜田と一緒にYouTubeに出たいという夢を抱きながら出所します。

ちなみにYouTuberとしての名前『250番』も、獄中で割り振られた称呼番号が250番に由来するといいます。

YouTuberとして瓜田と共演

出所後、250番はまた会社を設立し、YouTubeを始めます。

下は現在残されている限りでは『250番』の一番最初の動画で、「人生は自分次第でどうにでもなる」と問題を抱える人たちにメッセージを送っています。

さらには瓜田純士の後輩で友人でもある土橋政春を通じて、夢だった尊敬する瓜田との共演まで果たしました。(上2つは『250番』最後は『瓜田夫婦』の動画)

『街録(がいろく)』のYouTube動画では、250番は「人生で一番つらかった時期は?」という質問に、出所してからつい最近までが一番辛かったといいます。

受刑中は夢を見ることが生きがいですが、いざ出て実際にやってみると、なかなか上手くいかないことが多かったからだそうです。

下は250番のYouTubeチャンネルのリンクです。

(記事おわり)

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