血液型別性格診断に関する考察

特に批判的に言及される時、「それを信じているのは日本人だけだ」などという言い方がされることがある血液型別性格分析だが、私はそれを割と信じている。

しかしこの記事は、「血液型別性格分析は絶対に間違っていない」と主張するためのものではなく、「血液型別性格分析は絶対に間違っている」とする主張を否定するためのものである。

血液型別性格診断に関する考察

私はそもそも素朴に考えて、人体器官の重要な活動エネルギー源である酸素を運んでいるのは血液である、そして人間の性格ともっとも密接に関わっているであろう人体器官である脳にも血液がそれを運んでいる、それなら、その血液の型が異なることが、性格の決定と因果関係や相関関係があるのに何の不思議もない、と思っている。

もっとも、詳しい血液の役割についてはそれほど知らず、調べようとも思わないから、この説明が間違っている可能性もある。

しかし、もし間違っていても、やはり「血液型別性格分析は絶対に間違っている」とする主張は極端だろうと思う。

因果関係と相関関係

こうした説明を私以外の人もしているかもしれないが、「血液型と性格は絶対に無関係だ」と頑強に信じている人は、因果関係と相関関係を混同しているのではないかと思う。

つまり「血液型と性格とは関係がある」場合には、

  1. 直接的な因果関係がある
  2. 因果関係はないが相関関係はある

という風に、少なくともこの2つを意味しているのだが、絶対否定派の人は「血液型と性格との関係」を、「血液型と性格との因果関係」だと、無意識の内に限定して考えているのではないかと思う。

例えば、以前見たテレビの情報番組では、狩猟民族の子孫はO型であり、農耕民族の子孫がA型として分化した、という説明が為されていた記憶がある。もちろん、この説明は粗雑に過ぎ、私自身、おそらく仮説の段階に過ぎないものをテレビ番組で使ったのではないかと疑っているが、それでも今述べたいことを伝えるのに支障はない。

もしこの仮定が正しいとした場合に、「狩猟民族の子孫には一定の(例えば冒険心に富む、戦闘的である等の)性格傾向があり、農耕民族の子孫はそれとは異なる一定の(例えば堅実である、計画性がある等の)性格傾向がある」という説明に多くの人が違和感を覚えない、少なくとも血液型で分けられる場合ほど違和感を覚えないだろうに、それが血液型ならば、絶対に迷信だというのは不条理だと思える。

というのも先に説明したように、この場合、血液型と性格に直接的な因果関係はないが、間接的な関係、つまり相関関係はあるからである。

この場合、狩猟民族もしくは農耕民族の子孫であることが性格の傾向を決定しており、それはまた血液型をも決定しているので、必然的に「狩猟民族の子孫であるO型の人は一定の性格傾向があり、農耕民族の子孫であるA型の人はそれとは異なる一定の性格傾向がある」ということになり、血液型は性格の傾向を掴むのに役立つことになる。

また(説明するまでもないのかもしれないが)、私が最初に「おそらく仮説の段階に過ぎないものをテレビ番組で使ったのではないかと疑っているが、今述べたいことを伝えるのに支障はない」としたのは、血液型分化の原因が、狩猟民族と農耕民族という相違に基づこうと、あるいは他の何かに基づこうと、この場合どうでもいいからである。

例えば、要素Xが、血液型と性格の両方の原因である場合、因果関係は「X→血液型および性格」であるが、その「X」に「農耕・狩猟・採集といった生活形態」が入ろうと、それとは別の何かが入ろうと、血液型と性格に間接的な繋がり(関係)があることに変わりはないからである。

要するに(この例えがもっとも分かりやすいのではないかと私は信ずるが)、私には「血液型別性格診断は絶対に間違っている(血液型と性格とは全く関係がない)」と頑強に主張する人は、それと気付かずに、「兄と弟は絶対に血縁関係がない」というものと類似の主張をしているのだと思える。何故なら、兄と弟(あるいは姉・妹、兄・妹、姉・弟でも組み合わせは何でもよい)も、父母を介しての間接的関係しか持たないからである。

そして血液型性格診断がある程度当てになるためには、「要素Xを原因として、血液型および性格が結果する」という分かりやすい相関関係すら必ずしも必要はなく、かなり遠くからでも何かしら性格と血液型に繋がりがあれば(それが具体的にどんな繋がりかは分からなくとも)それで十分なのである。

最後に・職業人の実践的理論

最初に述べたことを繰り返すが、この記事は「血液型別性格分析は絶対に間違っていない」と主張するためのものではなく、「血液型別性格分析は絶対に間違っている」とする主張を否定するだけのものである。

だから、これを以って私は「血液型別性格分析は絶対に間違っていない」とするのではなく(私自身は血液型は性格を類推する上で一定の目安になると感じているが、当然他人にまでそれを信ずるよう強制する必要などないから)、単に「そうだろうか。関係があるという可能性を捨てきる方がおかしいのじゃないか」と言っているだけである。

また、蛇足かも知れないが、個人的に私が「やはり血液型と人間の気質には何かしら関係があるだろう」と意を強くしたのは、ある時、著書などもある幼児教育の第一人者のような方が、「幼児の血液型によって、適した接し方がある」と述べられたと聞いたためでもある。

うろ覚えではあるが、具体的にはそれは「A型の子は体に触れながら話しかけた方が良く、AB型は触れない方が良い」みたいなことだったと思う。

この「話しかける際に触れた方が良いか悪いか」というのは、はっきり「性格」とは同一視できないものの、やはり「幼児の気質」という部分で、何かしら血液型性格分類と似たものだと考えている。

私がその意見を重要だと思うのは、それが長年一つの仕事に携わり、一定の成果を挙げたような職業人の抱いた理論だからだ。

そうした職業人は、聴衆を説得すればある程度の地位を得られる知的職業と異なり、実践で役立たなかったり、もしくは実践でつまずくような理論、つまり間違った理論を、後生大事に抱いたりはしないからである。

そのような職業人は、間違った実践的理論を抱いた場合、自ずと実際の職場でトラブルや挫折を招き、修正や反省を余儀なくされる。そうして長年の経験を基に築かれた実践的理論には、純粋な実験科学を除く知的職業の人にありがちな「信じたい」という感傷の入り込む余地がほとんどない。

私自身そうした傾向と無縁ではないが、しばしば学者をはじめとして、机上の思考が主たる活動になる人間はどうしても、自分が信じたい理論を先に信じ、後からそれを補強する証拠に目を向けてしまう傾向があるように思う。

これはつまり、「根拠が先にあり、結論を後に出す」という思考の理想と、先後を逆にしているのであり、結論が先にあり、結論を決めてからそれの証拠集めに奔走して(しまって)いるのである。

だから常にとは言わないものの、現場で一定の成果を挙げた職業人が抱く理論は、そうした感傷が入り込む余地のないために、しばしば下手な知的職業人の抱く理論よりも、余程耳を傾けるに値すると私は思う。

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