アニメの原作漫画『バナナフィッシュ』に出るヘミングウェイの2作品

書籍

とうとうアニメの『BANANAFISH』(バナナフィッシュ)が終わりましたね。

いや、感動のラスt‥‥ごめんなさい、ぼく本当は見てないんですけどね。(いちおう断っておくと、漫画の方はちゃんと全巻読んでますよ)

でもネット上の情報を見る限り、相当力入れて作った感が伝わってきて、いやースタッフのみなさんご苦労様でしたって感じです。

ところで、アニメの原作漫画の『バナナフィッシュ』には2つのヘミングウェイ作品が出てきますよね

その二つの作品について、以前から「吉田秋生は何でこの二つをチョイスしたんだろう?」って思って気になってたことがあります。

何故なら、私は吉田秋生よりもヘミングウェイの方を熱心に読んだからです。

もっとも、『BANANAFISH』に夢中だったころ(中三くらいか?)は、まだヘミングウェイにハマってはいなかったんですけどね。

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ヘミングウェイの『キリマンジャロの雪』

まず『キリマンジャロの雪』なんですけど、これはまあいい、って言ったら偉そうだけど、俺は特別好きでも嫌いでもない作品なんで、これといって言うべきことが見つからないんですよね。

だから、これはいいです。

ふーん、吉田秋生はこういうの好きなんだなって思うだけ。

ま、『バナナフィッシュ』に出てくるヘミングウェイの作品っつったらこっちの方が有名なんでしょうけどね。

ヘミングウェイの『海流の中の島々』

で、俺が不思議に思ったのはブランカが『海流の中の島々』を読んでること

何で?

というのは、私が読んだ限りじゃ、明らかに『海流の中の島々』は失敗作に思えたから。だから吉田がなんでそれを気にいってんだか、それをブランカの愛読書にしたのかが分からない。

具体的に言えば『海流の中の島々』を読んでみると、前半と後半が別の作品みたいにバラバラで統一性がないせいで、作品が破綻してるように感じたんですよね。

ま、俺も一人称が「ぼく」だったり「俺」だったり「私」だったり統一性ないんで、「お前が言うな」って話なんだけど。

で、『海流の中の島々』について言えば、前半は言ってみれば純文学的なんだけど、中盤ころからか、急にハードボイルド小説になっちゃう感じです。

これ大昔に読んだ記憶なのでもう一度読んで確かめようとしたんだけど、新潮文庫で出てるやつは全部買ったはずのヘミングウェイ作品なのに、本棚の中に『海流の中の島々』だけないんですよね。

察するに、たぶんあまりに面白くないと思ったので手放しちゃったのかな?

しかも『日はまた昇る』の方は大久保康雄訳と高見浩訳の両方を持ってて、短編集の方も旧版と新版が両方あるのに。

最後に

きっとこのページ読んでくれた人は『BANANAFISH』が好きで、吉田秋生が好きで読んでるんだろうから、あまり気分よくないだろうけど、それで俺、「吉田先生、ほんとにヘミングウェイ好きすか?」って思っちゃったんですよね。

なんか吉田が登場人物にファッションで持たせてる感じ、感じというか、そうなんじゃないかな?っていう、そんなささやかな猜疑心がもたげちゃうんですよ。

 

もっともこれは、実際に『海流の中の島々』が失敗作という前提での話ですけどね。

でもヘミングウェイの長編や中編っていう時、『日はまた昇る』『武器よさらば』『誰がために鐘は鳴る』の名前が出てくるけど、あれだけの尺で書かれた力作で、なおかつ「遺作」という分かりやすいアピールポイントがありながら『海流の中の島々』はまず名前があがらないことを考えれば、作品が成功してないことは明らかじゃないでしょうか。

私は一時期、ヘミングウェイの自殺の原因は彼が「あっ、こんな時間かけて一生懸命書いたのに、この作品破綻してんじゃん」って気づいたせいなんじゃないかって思ってたくらいだから。そう考えるとすごくツライですけどね。

 

まあ、吉田先生に好意的に解釈するなら、ブランカに『海流の中の島々』を持たせたのは、「この小説がそうであるように、私の人生は破綻しているも同然なのだよ」っていうアンニュイ&ニヒリスティックな気持ちを密かに表現するためだったって考えればいいんじゃない?(俺は誰向けに話してるんだ?)

 

ではね。

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